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藤井風「花」MVを観て思う、曲に第二の命を与えるアーティストと監督のリレーション

藤井風「花」については、コメントすることはないだろうと思っていました。
初めて聴いたのは確かドラマの放送開始タイミングでの、YouTubeトラック公開だったと思います。なんとなく、ドラマ合わせでざっくり作ったような、フワッとした楽曲だなあという印象でした。単純に自分の理解度が足りないせいかもしれませんが、「ファン以外にはスルーされそうな楽曲」という風に感じたのが、正直なところです。
そんな諸印象が180度書き換えられたのは、数日前、YouTubeでミュージックビデオを観た瞬間です。衝撃に近い感動を覚え、気がつくと立て続けに三回は再生していました。
内容は、明らかに死生観に溢れたものでしたが、これまで何度も死生観を作品に投影してきた藤井さんですから、それ自体に衝撃を受けたわけではなく。ここまで鮮やかに軽やかに「死」を描き切れるまでに、彼の精神は成熟しているんだなという「事実」に驚きました。

実際問題、このMVの魅力を構成している要素として下記が挙げられると思います。
繊細な設定と世界観
映画レベルかそれ以上の映像美
悲しいはずなのに踊ってしまうようなユーモラス
傍観的、脱力感

簡単にあらすじを言えば、自らの死を俯瞰し、受け入れている淡々とした導入。死後の世界での謳歌。最後、砂になって空に溶ける
……ということだと思いますが(踊りのシーンが死後の世界なのか蘇りを表しているのかは迷いますが)、これをオーストラリアの広大な自然のなかで撮影したのは世界観の醸成において大きなキーになっていると感じます。
目に映る風景が、そのアングルが規格外に美しくキマっていて、脳の情報処理が間に合わないという現象が起きました。
演者である藤井風やダンサーについても同様で、ワンカットワンカットこれ以上ないというくらい絵がキマっている。特に最後の火を囲んでの踊りは
、失敗すれば非常に滑稽なものになりかねない危険な演出だと思いますが、これ以上ないと言えるカットの集合で、「やり切るってすごい」という感動を与えてくれました。
細かい演出としても、花葬であったり位牌であったり線香であったり、死生観を彩る小道具が随所にそれも意外な形で散りばめられていて、これには詰め切るすごさも感じました。

今回の監督も当然MESS、ということですが、まさにこのMVは、アーティストと監督の絶対の信頼関係、組むことでの相乗作用を体現したようなものだと思いました。
実際に「花」に曲だけでハマらなかった私のようなリスナーが、MVを観たことで、真逆の心理状態に持ってかれています。

MESS監督と藤井風がMVについての打ち合わせをしている様子は、前作「 Workin’ Hard」でもSNSで投稿されているし、この監督との出会いで何かが”ブレイクスルーし続けて”いることは、ファンの間では有名な認識だと思いますが、この幸福な出会いは音楽ビジネスの世界でもなかなか稀有な事例だと思います。そして今のクリエイティブチームの中には、余計な障害物が何もないんだなと、勝手に想像してしまいますね。

楽曲について、私が音だけで乗れなかった理由はドラマの影響も多少あったかと思います。放送は2、3度観ましたが、今時ナイズされた青春群像劇か…というバイアスが早々にかかってしまい、多様性だったり、強制しない・されない・みんな自由 といった今時のファクターに寄せた楽曲だと感じていました。「花」というタイトルも然り、そういったドラマのイメージに合わせた解釈も可能な歌詞になっていたかと思います。

これらが掛け算になることで、曲に対して乗れない、というか乗り方がわからなくなってしまった自分が、MVを観て具体的に大きく変わった部分が、リズムの解釈でした。映像の1サビ部分で、藤井風が車を運転しながら、曲に合わせて「裏拍で」リズムをとります。この演出によって曲の解像度が万倍にもなりました。言うなれば、これってドライブソングだったんだ…という。ドライブしながら鼻歌まじりに、ラフに口ずさむタイプの曲だったのか、というくらい衝撃的提案性あるシーンでした。
乗り方で言えば、落ちサビと「my flower's here」で繰り出される踊りも、衝撃的提案です。「Workin’ Hard」でも茶摘みのシーンで自前のダンスを取り入れた、とコメントしていましたが、おそらくここでも入っていそうですよね。
「my flower's here」のフレーズは、位牌が歌うシーンでも「横乗り」になっていて、これもウィットに富んだ、シャレの効いた解釈だなと思います。


前作「Workin’ Hard」では新境地であったり第二章を感じさせる作品だったのに対して、この「花」は集大成、完成、といった趣を早くも感じるため、ファンの方々はどこか胸がザワザワするのではないでしょうか。実際、内容としては1人のアーティストがここまで大きなものを作ったら、燃え尽き症候群になるのではないか?と推察します。結局のところは、本人しかわからないことですが。
これは少し俯瞰して聴いているリスナーとして思うことですが、「花」に関しては、はっきりと遠くに行ってしまったと言えるくらいの大作だと思います。サウンドはあのA. G. Cookをプロデューサーに迎え、MVの予算も推して知るべしです。もはや、世界のユニバーサルミュージックが誇る一軍アーティストにまで昇格していると言えましょう。
「同時代に生きてその活動を見届けられて嬉しい存在」のミュージシャン部門 in JapanがあったとしたらTop3にランクインしそうだとすら思います。

が、一方で、藤井風って凄いなあと思うのが、こういったMVを観た流れでパッと過去の関連動画、例えば5年前くらいのピアノ弾き語りとかを観ると、全然変わってないなと感じさせるところです。ああ、ずっと自然にそのまんまなんだなと。これってすごいですよね。多くの人が放っておかないわけです。
「いつの日か全てがかわいく思えるさ」こういう歌詞が出てくるチャーミングな部分が、おそらく色んなところでプラスに結実しているのではないでしょうか。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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