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SSの箱。

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短編を詰め込んでいます。読みたいときにお話を取り出して。
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記事一覧

天上の音

天上の音

 古びたピアノ。
 少しだけ音が歪んでいる、そのピアノの前で。
 彼女は僕の音を、とても良い、と言った。
 少し熱のこもった声、顔には満ち足りた笑顔。

 音楽家の両親も、姉も、僕には見込みがないと言いたげだった。
 なにより僕は、自分の音に失望していた。
 父や母、姉の音は、あんなにも澄んで、天高くまで昇りそうなきらめきと、波が空間のすべてを洗い流すような熱情で溢れているのに。
 僕の音は、ぎこ

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STAY

 雨が降っていた。
 昨晩から降り出した雨は、まだ当分は止みそうにない。
 自分の心と同じだな、となんとなく思う。
 あきらめなきゃ、と思うのに。
 いつまでもいつまでも、気持ちにケリをつけられない。
 そしてそれを、どこか心地よくさえ感じていた。
 彼がどう思うのかなんて、関係ない。
 ただ彼を好きで居続けることの、何が悪いのか。
 雨だって好きなように降るではないか。
 とはいえ、彼にきっぱり

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SS:Christmas Mission

SS:Christmas Mission

 ならざきむつろさん、noteアドベントカレンダー2016 参加者の皆様、企画&創作、お疲れ様でした。
 毎日、いろんな方のいろんなnoteがUPされて、とても楽しませていただきました。
 観客席で観ていると、その素敵な作品の数々に、私も創作意欲がかきたてられて、ウズウズしてきました。
 というわけで、リアルが忙しく、各作品にはあまりコメントできなかったのですが、感想贈答の代わりに掌編をUPしたい

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SS:聖夜をひとりで過ごすより。

SS:聖夜をひとりで過ごすより。

 改札口を出て、街路を歩き出す。冷たい風が吹きつけてきた。
 通りを行く人は、みんなどこか幸せそうに見える。
 近くのケーキ屋では、サンタの衣装を着た店員が店先で売り込みをしていた。
 手をつないでそっと寄り添っているカップル。
 それを見てため息をつく。
「……あ、また幸せが逃げた」
 ひとりごとを呟いて、冷えた両手をそっと息で温めた。
 そういえば、ため息をつくと幸せが逃げるって誰から聞いたの

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SS:孤高の月

SS:孤高の月

 凍てつく空気。こぼれた息は白く。
 静かな雄叫びが闇夜にひびを入れる。
 振り返ると、天を仰ぐ彼の姿があった。

 気高く、誇りに満ちて。
 しかし、どこか寂しく、物悲しく。
 闇夜に浮かぶ白い月のように私には思われた。

 せめて、彼のそばにいることができるなら。
 少しはその痛みも苦しみも、分かち合えるのに。

 それを決して許さなかった彼の強い瞳が、輝く月のように凛としていて。
 私は、た

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SS:リコール

SS:リコール

 はあ、と今日何度目になるかわからない溜息をついた。
 疲れた。朝から新商品のクレームにリコール回収に、と追われて。
 完璧に設計、開発したはずだった。自信を持って客に勧められる商品だったのに。
 それが、まさかのリコール。何が起こっているのかわからないうちに事は進んでいた。ただ大きな波に流されるように走り回って。
 気が付いたらもう二十三時を回っている。社内には自分と同じように疲れ切った人間がわ

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朝、目が覚めたら

 朝、目が覚めたら、知り合いの女性が隣で寝ていた。

 ただ寝ていた、というよりは、気絶したようになって寝ていた、というべきかもしれない。

 目の下には大きなクマ。いつの間にか目立つようになった、目尻や口元のシワ。化粧もヨレヨレで、クレンジングさえしなかったらしい。

 そっと彼女の手を握る。

 私が幼かった頃は白くて綺麗な手だった。
 今はガサついて、お世辞にも綺麗な手だとは言えない。絆創膏

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SS:現在を生きる君、あの日のままの僕。

こんばんは。
noteにSSを公開するのは久しぶりすぎて緊張(笑)。
500文字程の掌編ですので、読了時間は3分程度かと思います。
よろしくお願いします( ´ ▽ ` )ノ

SS:現在を生きる君、あの日のままの僕。 一枚の葉書が届いた。
『結婚しました』と書かれた葉書には、幸せそうに笑うカップルと新居の住所、そして「元気ですか?」と隅の方に丁寧な文字。

 あの日、彼女は泣いていた。
 

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SS:春を待つ

「ねぇ、雪やこんこって歌、あるじゃない? あれって本当かしら?」

 妻の泰子が突然そんなことを話し始めた。

「うん?」
「犬は喜び庭駈けまわりって歌。うちのモモは、いつも寒くてブルブル震えてるじゃない。雪が積もってるところを走り回ったりするとはとても思えないわ」
「ああ、そうだね……」

 確かに我が家の飼い犬は、冬になると寒さでブルブル震えている。顔もなんだか情けない顔をして、見ていると哀

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SS:夜桜奇談

SS:夜桜奇談

おはようございます。雪月音弥です。

私が所属しているmixiコミュニティ「創作が好きだ!」で、GW特別企画として、桜をモチーフにした創作をしようという企画が、本日締め切りでして。

そのために創作した短編をUPいたします。どうぞ宜しくお願いいたします。

画像は、同じくmixiコミュニティ「創作が好きだ!」で活動されている、しちみ黒猫さんからお借りいたしました。この場を借りてお礼申し上げます。

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SS:太陽

 青空に向かって手を伸ばす。
 太陽はとても眩しくて、遠い。
 この手は、届かない。
 あの人と同じ。
「……また、ここにいたのか」
 不意をついて聞こえてきた、呆れたような優しい声。慌てて私は体を起こす。
「……なぁんだ。先生か」
「なぁんだ、じゃないよ。屋上は立入禁止。何回目だよ。ったく……」
 先生はブツブツこぼしながら、面倒臭そうに右手で頭をかいた。その様子がなんだかおかしくて、

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SS:傘

「雨降りそうですよ」
 三上圭子が窓の外を眺めながら言った。確かにどんよりとした雲が広がり、薄暗くなっている。
「洗濯物干して来ちゃったのに」
 彼女の顔も、どんより曇っている。
「木下さん、これから出かけるんですよね? 傘は?」
 持って来てません、と木下良美は首を左右に振った。
 通行人が手のひらを上に向けて立ち止まっている。ポツポツと降り出したようだ。
「この曇り方だと、結構降りそう。持ち主

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