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家族と暮らして、思ったことは。

人と一緒に暮らすというのは難しい。

それは、血の繋がった家族といえども例外ではなかった。

僕は今、祖父母の暮らす田舎と、両親と弟妹が暮らす金沢とを行き来して生活していた。

一人暮らしとは何もかもが異なる環境。

その二重生活では、その都度いろいろ変化に適応していかなければいけなかった。


わかりやすいところで言えば、眠る時間。

都会にいたころは、働いていた書店の営業時間の関係もあって、特別なことがなければ深夜2時ごろに布団にはいって、午前9時に起きていた。

しかし、田舎ではそんなことは考えられない。

田舎の深夜2時といえば、真の闇が広がっていた。

すべての明かりは飲み込まれ、音は失われた。

僕はよく、その闇の中でじっとしているとき、宇宙を感じた。

『宇宙に放り出されたときって、こんな気持なんだろうか』

だから、そこで過ごすときの僕の就寝時間の目安は夜の8時だった。

なんとしても宇宙飛行士の孤独を味わうまえに、眠りたかった。


しかし金沢の家にいると、また話は違ってくる。

早朝から夕方にかけては両親と大相撲や高校野球を観てすごしたり、小説の執筆作業をすすめたり、次男が引っ越しをするといえば手伝い、近所に広い図書館があると聞けば狂喜して足を運び、そして夕方からは深夜まで三男とゲームに明け暮れたり、彼から『バガボンド』や『君は放課後インソムニア』といった漫画を借りて読んだりしていた。

金沢では人工の太陽が照り続け、宇宙を部屋の角に押しやった。

孤独の恐怖は霧散し、僕は朝4時に寝ることもあった。


そんな様々な変化の中でも、変えてはいけない領域があった。

それは書くことだった。

書くことをしなくなったとき、おそらく僕は生きる目標を見失ってしまう。

やることがなくなり、人里離れた森に住み、狩りなんかに一生を捧げる世捨て人になることうけあいだった。

そのうち他所の畑に忍び込み、白菜や大根を盗み始めるかもしれない。

ある家に盗みに入ったとき、そう式が行われているのを見つけるかもしれない。

そこに住む、母親を亡くして独りになった若者を憐れんで、ひっそりとくりや松たけを持っていくだろう。

しかし若者に見つかった僕は、いたずらをしにきたと思われ、ひなわ銃で撃たれてしまう。

「アヤト、お前だったのか。いつもくりをくれたのは。」

その逸話は語り継がれ、いつか国語の教科書に載るようになるかもしれなかった。

僕はそれはどうか、と思った。

どうせ教科書に載るなら、自分の創作したもので載りたかった。

ということで、やっぱり書くことが必要なのだった。


そこで僕は以前から、執筆に入る前のルーティンとして、コーヒーを淹れるということをしていた。

全国津々浦々、どこにいてもコーヒーはある。

それを飲む、ということが執筆時の儀式になるように、自分なりに訓練を続けていた。

そしていつ何時でも、それを崩さないように細心の注意を払った。


田舎にいると世話焼きな祖母が、朝食時にコーヒーを淹れてくれる。

「自分で淹れるから」と断っても、毎日淹れてくれる。

僕はすぐにはそれに手をつけない。

朝食を終え、使わせてもらっている自室に戻り、机に向かったときにようやくそれを一口飲み、作業に取りかかる。

僕の執筆活動は一杯のコーヒーに支えられている、と言っても過言ではなかった。


思い返すと傍らにはいつも、湯気の立つマグカップがあった。

引っ越しのとき、家が空になり、作業場所がなくなっても近所のカフェに行った。

人との待ち合わせで、相手が大遅刻をしても、缶コーヒーひとつあれば、その時間を推敲にあてることもできた。

宇宙船との命綱が切れ、闇のなかに放り出されたときも、物資の中にあったコーヒーを持っていたので、比喩を考えることができた。

ひなわ銃の弾丸を取り除く手術のときもそうだ。

お医者の先生のはからいで用意された紙コップを片手に、肌を切るメスの痛みと、麻酔の眠気に抗った。

退院する頃には、短編小説がひとつ出来上がっていた。

僕にとってコーヒーと執筆作業は、まさに切っても切れない関係にあるのだった。

誰にだって、そんな『自分だけの心のよりどころ』は必要なのだ。そう思った。


ちなみにこの記事に嘘は一切ありません。

それどころか、嘘をつこうと思ったこともありません。

僕はエイプリルフールだから、と言って嘘をつくような浅はかな人間にはなりたくないからです。断じて。


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