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「黒影紳士」season2-5幕〜花鳥風月〜鳥の段〜 🎩第ニ章 時刻表

――第ニ章 時刻表――

「参ったなあ……」
 黒影は翌朝になっても目覚めない白雪を気にして言った。
「様子、見て来ましょうか?」
 サダノブも気にしていたのは言うまでもない。
「流石に寝過ぎな気もするなぁ。疲れでも溜まっていたんじゃないか?」
 と、風柳までもが気にする。昨晩も起きて来ず、三人だけで夜は出前を取って何とかしたが、何時も料理は白雪がしてくれていたので、疲れにも気付けなかったと思うと何だか気まずい。
「……ただの夏バテだろう。サダノブ、後で様子見るから其の儘寝させておいてやろう」
 黒影はサダノブにそう言ってキッチンへと行った。
「えっ?ええ?!黒影先輩料理出来るんですか?」
 思わず不安になって、サダノブが風柳に聞いた。
 風柳は朝刊を読み乍ら、
「ああ、出来るよ。似合わ無いと思うらしくて、普段しないだけだよ」
 と、答える。サダノブは興味本位でキッチンを覗き込んだ。想像と違って、イタリアンシェフが着けそうな腰から足までの黒いロングエプロンをキュッと前で結んでいる。意外に其の仕草も手慣れていて様にはなっている。割烹着だったらと期待して笑いに来たつもりが、案外似合っていたので何も言えなくなった。
「サーダーノーブー、何だ、そんなに手伝いたいのか?其れとも調理されたいのかなぁー?」
 と、ドス黒い地を這う声で振り向くと、黒影は包丁片手にサダノブを見てニヒルに笑って見せた。
「いっ、いえ!しっつれい、しましたー!」
 サダノブはダッシュで振り返り、風柳の横にすっ飛んで帰って正座する。
「ほら、だから本人が似合ってないって思ってるんだから、大人しく待っていれば良いんだよ。」
 風柳は、プルプル震える犬と化したサダノブの頭を撫でて笑って言った。

 暫く待って、軈て出て来た料理にサダノブは驚愕する。
 リーフレタスと紫オニオンのサラダにはサーモンと生ハムが綺麗に花の様に巻かれ、黄色と赤のプチトマトがカットされ彩り良く散りばめられている。オリーブオイルベースのドレッシングには庭のハーブから取れた刻んだバジルとパセリ、ローズマリーが添えてある。
 焼きたてのバケットも香ばしい香りが漂った。
 白身魚のムニエルには香草のディルとマッシュポテトが添えてある。冷製スープまで手作りだ。
「えっ、此れ朝ご飯ですか?」
 思わずサダノブが聞いた。
「ん?ああ、足りなかったか?……香草苦手なら早く言え」
 と、言って黒影も席に座って食べ始めた。風柳にはサダノブが何が言いたいの分かっているので、
「黒影はこう言うのしか作れないんだよ。食器も多いし、時間も費用も掛かるから、結局は白雪が作ってるんだ」
 と、教えた。
「へぇー。器用なのに勿体無い」
 と、サダノブは言い乍ら食べる。ホテルかレストラン並みだとサダノブは感動して目を輝かせたが、
「食器洗いは頼んだぞ」
 と、黒影にボソッと言われ、こんな旨い朝飯がタダで食べれるなんて、世の中そんな甘くなかった事を思い出すのだ。
 黒影は食べ終わって自分の食器を片付けると、何時もの食後の珈琲も飲まずに、白雪の部屋へ行った。
「……白雪?」
 枕元で黒影が小さく声を掛ける。やはり、何も反応がない。呼吸をしているのに、それこそ魔法に掛けられたみたいに寝ている。時夢来の影響だろうか……。黒影は見慣れた寝顔に不安を覚えた。
……もし悪夢を見ているのなら早く目覚めさせなくては……そう、思わずにはいられなかった。
「ちゃんと終わらせるからな。安心して待ってろ。……行ってくるよ」
 そう言って立ち上がった時、白雪が黒影のコートの袖先を掴んだ。黒影は起きたのかと慌てて振り返る。起きてはいない……けれど、何か伝え様として口を小さくぱくぱくさせている。黒影は慌てて、
「何だ?!」
 そう言って白雪の言葉に耳を貸した。
「……と……けい……とけ……」
 と、言っている。
「時計!時計だな。分かった、分かったから安め。必ず何か見付けて帰って来る……」
 黒影は白雪が伸ばした手を、掛け布団に仕舞い直してやり、帽子を被ると部屋を後にした。

 ――――
「サダノブ、あの様子じゃ未だ白雪は起きそうも無い。時夢来本はお前が持っていてくれ。其れと風柳さん、出来ればあの図書館を調査するのに休館日を待ちたかったのですが、其れでは白雪が危ないかも知れない。何とか出来ませんか?」
 と、黒影は白雪の部屋を出て来るなり言った。
「県警から役場に話を通して貰えば、上手くいけば出来無くもないが、確証は出来ないよ。其れで……白雪が危ないって如何言う事だ?」
 風柳は聞いた。
「白雪は時計と言うキーワードを残してまた眠ってしまいました。起きたくても、起きられないんですよ。時夢来の影響か今回の件の夢の影響とみて、間違いないでしょう。此の儘長時間夢を見続けては体に影響が出るのも時間の問題でしょう。其れ迄に、此の事件を解決しなくてはっ」
 黒影は珍しく焦っていた。
「……一度止まった時を動かした代償か……」
 落ち着いたかと思うと、悔しそうにそんな弱気な事を言った。
「駄目ですよ、先輩!……時夢来は先輩の友達じゃないですか!だから先輩を裏切る様な事はしないです。……だから、其の……此れは、先輩なら時間を正しく戻せると思って写した筈。だって人が殺されて其の儘な時なんておかしいじゃないですか。白雪さんだって、先輩を信じて言葉を残したなら、絶対意味があるんです」
 サダノブは、そう言った。
「その通りだ、黒影。サダノブ君の方が今は冷静らしいな。白雪は、黒影を混乱させる様な事はしない。考えるんだ……。何時もの様に食後の珈琲を飲み乍ら、何時もの様に考える。其れがお前らしい」
 と、風柳は伝え終えるとまた朝刊を読み始める。
 黒影は黙って珈琲をゆっくりカップ淹れ、リビングに座った。
 ……何故、時計を見上げると眠くなるのか……。
 きっと、白雪は当時の高頭 弘の視点になって夢を見ているに違いない。  高頭 弘は記憶を失う様な事は其の一回しか無かったと言った。眠気の副作用がある薬も飲んでいない。其れでも眠かった理由……。
 時計の針に自己暗示を掛けてしまったのかも知れない。
 稀にだが、無いとは言い切れない。白紙に見えた本も気に掛かる。現に他の人が見えてるのに、高頭 弘だけが見えないなんて……まるで幻だ。
「……やはり行ってみるしか無さそうだ。もしかしたら、時夢来に写されたロングショートヘアの人物に見覚えのある人が未残っているかも知れない。其れに例の図書館の奇妙な隙間を埋めなくては推測も立たない。先ずば正しいパズルを作り直す必要があります。風柳さん、さっきは焦ってすみません。今日は取り敢えず通常通りの動きを確認して、閉館も見て来ます。少し遅くなるので、白雪の事宜しくお願いします」
 と、珈琲を飲んだ黒影はそう言った。
「……ん、其れが良さそうだな。白雪の事は任せておきなさい」
 と、何時もの調子に戻った黒影を確認し、そう言うと微笑んだ。
「サダノブ、時刻表を調べたいんだ」
 と、言って手を伸ばしたのでサダノブはタブレットを黒影に渡した。
「乗り遅れると厄介だなぁー」
 思わず黒影がそう言ったのも無理はない。帰りの電車は5時40分に終わってしまう。閉館後の捜査に時間を取られると野宿になってしまいそうだ。
「今日は、俺の車も使えんしなぁー」
 と、風柳も終電を見て言った。風柳は今日は他の事件で駆り出される予定がある。
「あっ、俺のバイクは?」
 サダノブは忘れていたのを思い出して言った。
「一応、大型なんで二人乗れますよ」
 と。黒影は訝しげな顔をして、
「乗せた事あるのか?」
 と、聞いた。サダノブは、
「ありますよ。穂さんのバイクの点検とか故障した時ぐらいですけど」
 と、答える。其れでも黒影は明から様に嫌そうな顔をしているが風柳は、
「じゃあ、決まりだな。良かった、良かった。安全運転厳守でなっ」
 と、言って笑った。

「先輩、何不貞腐れてるんすか?」
 サダノブがバイクのエンジンを掛け乍ら言った。
「帽子が被れないからだ。」
 と、素っ気なく黒影が言う。ヘルメットを渡し乍ら、サダノブは何か変な感じだと、少し考えて気付いた。
「あー!もしかして、バイク乗った事無いですよね!」
 と、言ってニヤニヤする。
「五月蝿い!むさ苦しいのが嫌なだけだ!其れと一々心を読むなっ!」
 と、怒鳴り付ける。
「やりいー!先輩の初めて頂いちゃいましたー!」
 と、巫山戯てサダノブは大笑いしたのだが、フルメットを被ってバイクに跨る黒影からドス黒いオーラが見えた気がした。
「事故に見せ掛けて殺されたくなかったら、さっさと出せ!」
 と、黒影は言った。
 ……やばいよ、殺される!先輩ならやりかねん!
 サダノブはそう思って、
「はい、ただいまー」
 と、言うなり葱々(そうそう)とバイクに乗って走らせた。

 黒影は高速の看板を見て、サダノブの肩をトントンと叩いて、サービスエリアに入る様看板を指差した。
「時間は順調だな。丁度中間地点だ、休憩して行こう」
 黒影は、ヘルメットをバイクに置くと胸ポケットから時夢来の懐中時計を見て言った。
「あれ?普段も使えるんですね」
 サダノブが時夢来の懐中時計を見て言った。
「ああ、本から外したら普通の時計だな」
 と、黒影は答える。
「俺の運転、如何でした?」
 サダノブが聞くと、黒影は少し時間を置いて、
「昔に乗ったバイクの方が乗り心地が良かった」
 と、言うのでサダノブはちょっと嫉妬して、
「誰ですかー?そのバイクって」
 と、聞いてみた。
「……ああ、風柳さんのバイクだよ。正に安心安全でスマートな乗り心地だった」
 と、言って黒影は先に歩く。
「えーっ!風柳さんが?」
 思わず想像が付かなくてサダノブは言った。
「ああ、今も現役だが、もっと現役バリバリの頃から車もバイクも乗っていたよ」
 と、黒影は懐かしそうに言って微笑んだ。昔から、唯一頼り休める背中だったと思い出し乍ら。
「そりゃあ、勝てないっすね」
 と、サダノブは諦めて言った。
「そうかもな」
 と、黒影は少ない可能性は残して言った。

 ――――
「此処か……」
 黒影は然程大きくも無い木造の古い建物の前に立った。
「こりゃー、古いっすねー。俺の田舎の寄り合い所より年期入ってますよ」
 と、サダノブは思わず図書館を見て言った。
 周りは鬱蒼とした木々が生えているが、空は青く日も高いので暗いと言うよりは涼むのには程良く思える。
 姿は見えないものの、二種類の蝉が近くで鳴いていた。
「こんにちは」
 中に入ると座っていた貸し出し兼、返却の窓口の女性が本と団扇を置いて立ち上がり、そう声を掛けてくる。
「ああ、こんにちは。我々は本を借りに来たのでは無く、五年前の事故について調査依頼を受けた者です。少し中を拝見させて頂きたいのですが……今、大丈夫ですかね?」
 と、黒影は其の女性に特に隠す事も無く、気さくにそう聞いて名刺を渡した。
「あら、探偵さんですかっ。本物の探偵さんなんて初めてお会いしました。如何せ、忘れた頃にちらほらしか人なんて来やしないんです。今、冷たいお茶でも出しますから、ゆっくりして行って下さい。」
 と、其の女性は読書用の椅子に掛けて待つ様に言った。
「素性を明かした方が得する事もあるだろう?」
 黒影はそうサダノブに言い乍ら、読書用の椅子のある窓際から、受付前の壁にある柱時計を斜めにじっと見詰めている。
 暫くすると、女性は冷茶を持って来てくれた。
「……何時もこんな風に?」
 と、黒影は聞く。
「ええ、本当は図書館内は飲食禁止なんですけど、子供達が良く暑がって飛び込んで来たり、ご年配の方の拠り所にもなっているので、誰も注意をしない事を良い事に、大体こっそり何時もお茶をお出ししています」
 と、女性はふふっと笑って答えた。
「其れは良い心掛けだ。……えっと……」
 黒影は態と言葉を濁らせた。
「ああ、御免なさい。ご挨拶が未だでしたね。私は山中 櫻(やまなか さくら)と言います。皆んなにはさっちゃんって呼ばれています」
 と、爽やかな笑顔で自己紹介をしてくれる。
「此方が佐田 博信で、僕は名刺をお渡しした黒田 勲です。サダノブと黒影と気楽に呼んで下さい」
 と、黒影は自分達の事も紹介した。
「……ところで櫻さん、あの入り口を入って直ぐ横にある時計、随分立派な柱時計ですね」
 と、黒影が言った。山中 櫻は振り返り時計を見て、
「あれは随分前に、地元の高等学校から寄贈されたものなのです」
 と、何故か笑うでも無く言った。其れまで山中 櫻は笑顔を絶やさず話していたのに。
「あの時計が如何かしたんですか?」
 と、サダノブも変に思って聞いた。
「いえ、何がと言われると説明し難いのですが、時々あの時計の目の前にずっと座っているせいか、不気味だなあと思う事があるんです。まぁ、多分、疲れていたからかも知れませんけど。……何か、変な事を言ってしまってすみません」
 と、山中 櫻は話すと忘れ様としてまた笑った。
「構いませんよ。そういう話は大好物なんですよ、僕らみたいな探偵は。五年前の事故とは別に、其方の不気味な時計の謎も是非とも解かせて頂きたい」
 そう言って黒影は笑っていた。不気味な時計の謎を解くのが先だと分かっていながら。不気味だと曖昧な表現をしているが、良く無い事が増した等は大概理由を探せば見付かるものだ。何故、「不気味」と言う言葉で済ますかも、例えば柱時計を取り外せば良いだけの事も、地元の寄贈品となれば話は別。其処から動かせ無いから、嫌な記憶に蓋をする様に何も無かったと思いたい結果がそんな言葉にしたに違いない。ある程度なら「気のせい」にしたくなる。けれどある程度の度も越えれば「不気味」となるのだ。
「如何でしょう、櫻さんは丁度暇だったのでしょう?良かったら我々と少し、推理ごっこをしませんか?」
 と、黒影は提案する。
「えっ?」
 山内 櫻は行形(いきなり)の事に少し驚いた様だ。
「えっ!?先輩、依頼は?」
 と、サダノブは思わず黒影に言った。
「櫻さんは、随分と推理小説がお好きな様だ。先程手から離した本もさる事ながら、其の横に此れから読むであろう積まれていた本も全て推理がメインの小説ばかり。折角の夏休みだ。本から抜け出して実践するのは良い思い出作りになりますよ。勿論、無理強いは致しませんし、お仕事は優先で」
 と、黒影は言ってにっこり笑う。
「本当に良いんですかっ!?仰る通り、私、大の推理小説好きで。まるで夢の様だわっ!」
 と、山中 櫻は興奮気味に喜んだ。
「……本気ですかぁ?」
 サダノブは黒影に聞いた。
「ああ、本気だとも。推理好きとは此れ程味方にして優秀な助っ人はいない。まさかサダノブは僕の後輩を名乗る癖に負けるのが怖いんじゃあるまいね」
 と、黒影は態とらしく笑って言った。
「負ける訳無いじゃないですかっ!……おっ、俺が先に時計の謎、解きますよっ!」
 と、威勢良くサダノブが吠えるものだから、黒影は笑い乍ら、
「其れは、其れは……楽しみな事だ」
 と、言った。
「……では櫻さん、先ずば不気味さを外す鍵を使いましょう」
 そう、まるで物語の様に黒影は櫻さんをふわっと座らせ、目の前の机にコートから一枚の紙をひらりと出し、手に綺麗な万年筆を取らせそっと握らせる。
「何ですか、その余計なキュンキュン演出は。……白雪さんに叱られますよ」
 と、サダノブは文句を言うが、黒影は唇に人差し指を近づけて静かにするよう、
「……サダノブ、無粋だねぇ、君は。……今、櫻さんは物語から抜け出した主人公なのだから。世界観とは人の能力を引き出すのに、とっても大事なアイテムなのだよ」
 と、言った。
「……でも、何からすれば良いのだか……」
 と、山中 櫻は黒影に聞いた。
「何時も始まりは分からない。だから君は一度あの時計の姿を頭から消した」
 そう言って黒影はコートを翻し視界を一度遮り、再び視界を開かせた。
 「そうすると、残った事実は、実はあの時計の歴史の文字だけ……その文字を書くだけの時間は安心出来る筈です。其の魔法の万年筆がカリカリ音を立てる音と、蝉が呼吸するも同じ」
 そう言って黒影は万年筆を握らせた山中 櫻の手をそっと離した。最初は確かめる様に、山中 櫻は少しずつ書き始め、軈て何かに夢中になる様に万年筆をガリガリ音を立てて書き始めた。
「何だ……此れは……」
 サダノブが書かれた文を見て恐れる様に言った。
「種も仕掛けもない真実さ……」
 と、黒影は冷茶を飲み乍ら涼しい顔で言った。
 そして、紙いっぱいに文が書かれると、すっと二枚目の紙を上に滑り込ませる様に置く。
「……終わりです」
 山中 櫻はフーッと長い息を一つ吐くと言った。
 黒影は拍手して其の努力を賞賛する。
「実に見事だ。サダノブ、見たまえ。あの時計の歴史其の物と櫻さんがずっと気に掛けていた理由が此処にある。推理小説の好きな櫻さんだからこそ、あの時計が気に掛かかった。そして、知らず知らずの内にこんなに頭の中に記録し、整理していたんだ。何時か、其の不可解なあの柱時計の「不気味」さに挑もうと。そうですね、櫻さん」
 と、黒影は言った。山中 櫻は、
「その通りです。どの推理小説の主人公も曖昧な言葉を好みません。だから私も皆んながあの柱時計に不気味だと言って終わらせる事を、普段から快く思ってはいませんでした。だからお二人が探偵だと知った時、つい不気味と言う言葉を出して、自分だけが気に成る物なのか試したかったのかも知れませんね」
 と、話した。
「何となくは分かっていましたよ。探偵じゃなくとも真実に魅入られた者は曖昧さを嫌う。曖昧な物は一番大事な真実を曇らせる霧でしかないからです。……丁度、十年前にあの柱時計が此処に来たのですね。……不可解な出来事と、事実に色分けして考えましょう。櫻さん、何か色分け出来るペンか何かは有りませんか?」
 と、黒影は言うと、山中 櫻はカラーペンの入った手作りの和紙の貼ってある鉛筆立てを持って来た。
「では、色分けしましょう」
 黒影はまるで採点をする様な速さで、出来事の始めの文字にレ点を赤と青で書き込んで言った。
振り子のガラス戸に人影が映る、何時もとは違う音がした等の所謂、怪奇現象の様な証言には青を、近くの不運や誰かが転んで怪我をした事や勿論、五年前の事件等の現実に起こって確認出来るものに赤のレ点を着ける。
「……やはり不気味と言うだけあって、不確かで確証が取り辛い青の方が多いですね。此の青に真実を与えれば単なる時計に戻ります。僕らが推理すべきは此方からの様ですね」
 そう確認すると、こんな事を最後に赤いペンで書き加えた。
……時計を見ると酷い眠気に襲われる……
 と。その文を見て、思わず山中 櫻が固まった。
「えっ……他にも?」
 と、言って。黒影は其の言葉に反応し、
「櫻さん、貴方も時計を見て酷く眠くなった事が?」
 と、聞いた。
「いいえ、私では無いのですが……以前此処で働いていた高頭さんと言う人が、何時も何だか眠くなってしまうと言っていたのを聞いたんですよ」
 と、山中 櫻は答えた。
「高頭 弘さんですね。話しが本人とは多少違いますが……高頭さんだけが強い眠気を感じていたのは何故ですかね?」
 黒影の問いに山中 櫻は、
「さあ……此れだけ、七不思議が詰まった様な柱時計ですから、皆んな其処迄気にはしなかったんです。此れだけ暇で長閑な図書館ですから、何もしないで時計を見ていたら、誰でも眠くなっても仕方無いって思いますよ」
 と、答えた。確かに、何もしていなかったらそうかも知れない。けれど、高頭 弘は本を読んでいた筈。
「高頭さんは、どんな本が好きだったか覚えていますか?」
 黒影は聞いてみた。
「日替わりに番をするので余り覚えていませんが、時刻表を偶に見ていたと思います。そんなのを見ているから眠くなるんじゃないかって、私、言ったのを覚えていますから。そうしたら、高頭さんは彼と出掛ける算段をしているのだと笑って教えてくれました。なのにあんな事になるなんて……」
 と、五年前の事故……今となっては事件だが、きっと其れを山中 櫻は思い出したのだろう。奥へ行ったと思うと、頼みもしなかったのだが、
「あの頃の皆んなのアルバムです。毎年、奥の棚に整理して締まってあるんです。確かあの事故を調べてるって言ってましたよね。時計も気にはなりますが、やっぱりあんな事があってからは、此の年のアルバムを開く気にはなれなくて……」
 と、当時の写真の入ったアルバムを渡してくれた。
 アルバムを開こうとすると、丁度夕暮れを柱時計がボーンボーンと閉館のを告げた。
「もうこんな時間ですね。……推理ごっこの続きはまた後日になりそうだ。未だ少し調べたい事があるのですが……」
 そう、黒影は少し気不味そうに聞くと、
「ああ、そうですよね。……じゃあ、鍵をお渡しするので帰りに出口を出て右脇の紫陽花の下に鉢がありますから、其処に鍵を入れて置いて下さい」
 と、言って黒影に鍵を渡すと山中 櫻は帰り支度を始めた。
「結構、不用心なんですね」
 サダノブが苦笑して言うと、
「此処には取られて困る物なんか、ありはしませんよ。では、またお会い出来たら。推理ごっこの答えが分かったら教えて下さいね。じゃあ、お先に!」
 と、言うなり山中 櫻は手を振り颯爽と自転車に乗り去って行った。
 山中 櫻を軽く見送って、サダノブと黒影は再び図書館へ戻る。
「夕方とは言え、未だ明るいな」
 黒影が窓から差し込む光を見て言った。
「高頭さんが帰った時間って、もう少し後でしたよね」
 と、サダノブが言う。
「ああ、依頼人の話……全てを鵜呑みにはしていないが、仮定として時期は同じ、此の図書館に差すのは西日なのが変わらないのであれば、後一時間では辺りが真っ暗にはならない。もっと後に帰っていたのが正しい。本の後片付けに一時間もあれば十分な程だ。現に山中 櫻は十五分程度で終わっている。其れに、さっきの柱時計の音、聞いたか?」
 黒影は辺りを見渡し乍らサダノブに話し掛ける。
「はい、俺もばっちり聞いてましたよ。確か、高頭さんは記憶が戻った時にまだ閉館時間じゃなくて良かったと、あの柱時計の時間を見て思ったって言っていました。……だから、えーと……変です。そう、変ですよ。俺が寝てたとしてあの音がすれば起きるし、聞こえなくて起きても閉館時間じゃないって安心してるから、良かったーと思う事はあれど不安にはなりませんよ。」
 と、サダノブは柱時計の音と言うワードで気がついて言った。
「説明下手は相変わらずとして、上々だな。じゃあ、音が出ないと事前に思う状況を全て述べよ。」
 と、黒影先生の授業が急に始まったらしい。
「えっ、またですか!?……えっと、えっと……故障中、修理中、自分で止めた、誰かが止めたのを知っていた、後は……元から鳴る事を知らないっ!」
 黒影は其処で、指を鳴らして止めた。
「……嘘でしょう?」
 自分で答えておきながら意外過ぎる正解にサダノブはそう呆然として言った。
「……嘘みたいだが本当だ。人は自分が見える範囲だけを真実だと思い込みがちだ。さっきの櫻さんに書いて貰った、実はアンケートに答えが書いてある。此の紙はあの時計を如何思っているかを他者と櫻さんの視点で読めるし、我々が知らない過去のあの時計を取り巻く環境まで示してくれた。だから素晴らしいと言っただろう?……其処でだ。改めて事件前後の記述を見よう。変な時間に音がする、変な音がする……両方とも音に関するものだが、全く意味が違う。変な時間にと言うのは、さっきの閉館にした時計の音の事で時計のズレを表している。もう一方の変な音とは聴き慣れていない何かの音であって、閉館を知らせるあの時計の音では無いと言っている。此の変な音と言った人物は高頭 弘だ。誰かが時計に細工し、振り子を止めたり、音が鳴らない様にクッション材でも仕込んでいれば歪な変な小さな音になる。……そして時計の針を五時前にセットし、高頭 弘が確認したのを見計らって戻す。近所や此処を偶然通り過ぎた人は五時を過ぎた変な時間に閉館の知らせを聞くという、不自然な状態が作られた」
 と、黒影は紙に書かせた理由と、紙を照らし合わせて、高頭 弘が閉館の音を知らなかった理由を言った。
「やっぱり真実って何にでもあるもんなんですね」
 と、サダノブが冷蔵庫から冷茶の入ったピッチャーを勝手に出し、机に置いた。
「そうでも無いさ。解こうとしなきゃ全ては謎のまま取っておく事が出来る。何時解くかは謎を持った者の自由だ。だからこそ、謎に魅入られる者も沢山いる。……まるで、鍵を渡されたのに、何時開けるか迷う宝箱だ」
 と、黒影は夕日に伸びた自分の影でピエロの真似をして遊んでいる。まるで宝箱を目にした子供の様な目で。

「先輩……そろそろですかね」
 サダノブが言った。
「ん……そろそろだな」
 サダノブの声に少し眠っていた黒影は目を開け、椅子にだらけていた身体を整え柱時計を見た。
「七時か……」
 そう言って懐中時計も確認する。薄暗い中、何とか文字盤が見える程だ。一度暗くなって来たらみるみる真っ暗になって行く。
「そろそろ電気を付けましょう」
 サダノブが言ったので、
「ああ」
 と、黒影は相槌だけした。白雪が眠り続けてから殆ど黒影は一睡もしてい無い。よほど心配なのは分かるが、少しでも仮眠が取れたならと、サダノブは安心していた。
「あれ……電気、壊れてるのかな?」
 サダノブの其の声に黒影は椅子からゆっくり立ち上がる。薄らとした月明かりに黒影の歩いて来る姿がサダノブにも見える。
「……先輩?」
 急に黒影が立ち止まるので、サダノブは聞いた。……が、返事は無い。
「……サダ……」
 ……えっ?……何を言おうとしているのか、サダノブが近寄ろうと歩き出すと、黒影は音も立てずにスッーと床の影に溶け込む様に落ちて行った。
 窓が空いた音がした。カーテン越しに揺れる何者かの去った姿が一瞬見えた。
 ……まさかっ!
 サダノブは纏わり付くカーテンを払い、何者かの後を目で追うが其奴はナンバープレートも無いバイクに乗り走り去って行った。

🔸次の↓season2-5 第三章へ 

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読書感想文

お賽銭箱と言う名の実は骸骨の手が出てくるびっくり箱。 著者の執筆の酒代か当てになる。若しくは珈琲代。 なんてなぁ〜要らないよ。大事なお金なんだ。自分の為に投資しなね。 今を良くする為、未来を良くする為に…てな。 如何してもなら、薔薇買って写メって皆で癒されるかな。