Facebookによる軋轢〜プレゼントされたくないという問題発言〜

2013.1に #Facebook を登録し、数年後に友達申請登録した子持ちで既婚の友人との価値観の違いによるすれ違いで退会した。

原因は実家がある郊外から都会への就職で地元の友人たちの近況を知る機会がないまま疎遠になった影響で現在の様子を知らず最後に会った時と同じように接したことによるトラブルになってしまったことにある。

初めはやるつもりはなかったものの Facebookが予めセットしてあった #スマートフォン#電話帳 機能によって検知されたことで過去の友人達との交流が再開した。

同時期に前職の管理職と上司が交代したことが起因となった #パワハラ#モラハラ#職場いじめ の被害に遭っているという相談をする為に彼女にしたら、LINEの内容が支離滅裂であるという心無い発言をされた。

確かに職場にあってはならないことに対するSOSをしたものの、彼女は大学を卒業してから数年で会社を辞めてから社会に出ていなかった為に近年の #労働問題 を知るわけがない立場で平気で心無い発言をするのは無理はない。

こんな劣悪な環境でひどい目にあっていることで助けを求められるのは #毒親 以外にはいなく、親身になってくれるはずだろうと期待していた私が馬鹿だった。

通勤時間帯や帰宅後の楽しみといえばFacebookで友人達の近況が知ることであり、心の支えとなったものの、彼女の子供達の様子に対する反応の影響でちょっとしたプレゼントを送ったことがあり、出会った当時のイメージから豹変し、激怒された。

なぜ私が良かれとしたことでどうしてあんな態度をされなくちゃいけないの⁉︎

単純に彼女の子供達が可愛いからしただけでも彼女にとってもお返しする分に対して金額的は勿論、精神的負担がかかるということでお断りをしたのだろう。

共通の友人にLINEで相談しても、他所の家庭によって同様なことをしても迷惑がかかるからやめろと忠告され、普段自らしない良心的な行為が不自然だったということに気付かされた。

子供達の内容ばかり書いている彼女に対して友達が皆無で #不妊 で悩まされたことから彼らへの愛情表現どころか家庭や仕事がうまくていっていないことが原因で振り向かせようとしたかもしれない。

Facebookを辞めた現在、前述の精神的不調から27年前の初職で当時の上司や先輩の1人から不要と思われるものを受け取り、整理に困ってしまって処分したものの、執拗に心理的距離を縮めようとした彼らに対して息苦しさがあった記憶を失ってしまう程余裕がなかったんだと回顧している。

プレゼントという言葉はプラスに聞こえるものの、心理的に相手に歩み寄りたいという行為は

「束縛」

という意味に近く、最悪間接的な #ストーカー 行為をしているものであり、言葉にできないSOSを身体で表現してしまったのと同然でである。


只今失業中で高齢家族に合わせた生活を強いられており、取材する時間と費用がない状態で2時間という短時間で執筆しなければならない厳しい状況です。 主たるジャンルはいじめ、ハラスメント等の労働・社会問題を過去の回想を基にして執筆しております。