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「夜の案内者」乗車券の秘密

 アサは荷物を車両に置き、列車内をくまなく歩き回ることにした。最初にいた車両の隣は食堂車で、トイレもその車両にあった。食べ物を補充したりテーブルを片づけたりする人の姿は見かけないのに、食堂車にはいつも温かい食べ物や飲み物が揃っていた。新聞や雑誌類がこの食堂車の隅の棚に置かれていて、以前ネズミが読んでいた新聞もここから取ったものだろう。棚の上には数本のペンと鉛筆が入った筒が置かれている。
食堂車とは反対方向につづく車両は、最初にいた車両と同じ造りだった。向かい合った二人掛けの赤い座席が、中央の細い通路を挟んで左右に並んでいる。アサは車両の数を数えながら、列車の一番後ろに向かって車両内を歩き続けたが、百車両目の窓から後ろを見ても、まだ最後尾は見えなかった。アサは諦め、いったん食堂車まで戻ることにした。
 食堂車は四人掛けのテーブル席が通路を挟んで左右に二つずつ、ゆったりとしたスペースを取って並んでいる。すべてのテーブルには白いクロスがかけられ、小さな花の入ったグラスが置かれている。
アサは奥のテーブルに並べられた鍋から、野菜とバターの香りのするやわらかいお米、それにトマトとオリーブの乗ったグリーンサラダを取って窓際のテーブルに置く。食事の種類もいつの間にか違うものに変わっていて、食堂車に来るのはいつも楽しい。銀のポットからコーヒーを注ぎ、ミルクを少し入れてから窓際の席に着いた。
外を見ると絵の具のような青い海。波の動きがほとんどなく、水面に動きが見られない。まるで巨大な池のようで、島らしきものも見当たらない。雲一つない空は海に落ちるにつれて色が徐々に色が淡くなっている。
アサが食事を終え、コーヒーを飲んでいると、車両で新聞を読んでいたネズミが食堂車に入ってきた。ネズミは新聞をたたんでテーブルに置き、テーブルを挟んでアサと対角線状にある席に腰かけた。
 犬の町で、ネズミは二人の衛兵の監視つきで王宮に送られるところだった。しかし、ネズミは車に乗せられた後、偽の乗車券を窓から投げ捨てる。衛兵の一人はその乗車券を追って車外に飛び出し、もう一人を車を急旋回させて窓から突き落として逃げてきたようだ。
ネズミはアサを見ながら話していたが、アサはネズミと視線を合わせずに、両手でコーヒーカップを抱え、カップの中を覗きながら話に相槌を打っていた。少しの沈黙。
「アサさんは、お医者さんなんですよね?」
 ネズミが口を開く。
「違うよ、今は。辞めたから」
 アサは正直に答える。これ以上隠し通しても仕方がない。アサにはすでに、ネズミの正体も分かっていた。ただ、ネズミが知りたがっている「殺した理由」について、ネズミが納得できるほどの確固たる理由がなかった。しかし、ネズミはそれ以上、何も聞き返してはこなかった。
 アサはもう一度コーヒーを取りに行く。コーヒーにミルクと砂糖を入れて、銀のスプーンでかき回し、スプーンを近くのソーサーに置くと、カップだけを持って席に戻った。
「この、黒い乗車券のことについて聞きたいんだけど、いいかな」
「はい」
「あなたのは赤だよね。私のは黒。これってどういう意味があるの?」
「赤の乗車券は『探求者』と呼ばれる者が持っているものです。探求者は、この世界に誰かを一人連れてくることができます」
「それはつまり・・・」
「あなたをこの世界に呼んだのは私です」
 黒の乗車券は『案内者』の証。『探求者』であるネズミがこの世界にアサを呼び、アサは『案内者』となった。知りたいことがあって、この世界にアサを呼んだのであれば、その答えをネズミに返すことが『案内者』の役割なのだろうか。
 列車が急に大きく揺れ、速度を落とし始めた。到着が近いようだ。
「すみません、次の町に着いたようなので、このことはまたいずれ。車両に戻って支度をしましょう」
 ネズミは立ち上がり、黒い帽子をかぶり直して食堂車を出て行った。

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小説投稿サイト「エブリスタ」で連載中の「夜の案内者」の転載投稿です。
物語のつづきはエブリスタで先に見られます。

▼夜の案内者(エブリスタ)
https://estar.jp/novels/25491597/viewer?page=1

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