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「一度も人を愛したことのない、ある女の子」の話

 デンマークとスウェーデンと、北欧の血がいくつかミックスしていると言っていた彼女は、色白でほっそりとしたとてもきれいな女の子だった。彼女に会ったのは上海の展覧会で、アジアが好きで日本に行ってみたいという彼女に、日本のことをいろいろ聞かれたのがきっかけで仲良くなった。
 彼女にはひっきりなしに男性から連絡が入っていて、彼女の美しさは世界的に分かるほどのものなんだろうなと私はひそかに考えていた。

 しかし、彼女が長く上海に残っているのは意外な理由だった。

「とても好きな人がいて、告白したんだけど振られちゃったの。君は人を愛したことがないんじゃないかって言われて。それからね、私は愛について考えるようになったんだけど、まだ上海を離れられずにいるの」
 彼女を振ったのは中国人の男性だという。淡い茶色の長い髪を持つ彼女は、黒い髪に憧れがあって、私の黒髪のこともとてもうらやましがっていた。
「あなたを振るなんてすごい人がいるもんですね。今頃きっと、相手の方は後悔してるんじゃないですかねー」
 彼女は美しいだけでなく、性格もとてもいい。私のほうがちょっと早く着いただけで待たせてすまなかったと謝るし、店員さんへの対応も丁寧だ。本当に彼女が振られたんだとするなら、もともとパートナーがいた人だったとかじゃないだろうか。私はちょうど店員が持ってきたコーヒーを受け取りながら考える。
「君は人を好きになったことがないんじゃないかって言われちゃったの。びっくりしちゃった」
「えっ。告白したのにそんなこと言われたの?」
「うん。告白っていうかね、あなたと一緒にいるとすごく楽しいって伝えた感じで、好きとか付き合ってとかいったわけじゃないんだ」
 出会ってすぐに仲良くなり、彼らは月に数回、デートするようになった。
「最初の頃は彼のほうから連絡をくれて。私はすごくうれしかったんだけど、なんか、なんて返事したらいいか分からなくて、すぐに返事は返さなかったの。会いたかったんだけど、服もあんまり持ってなかったし、いつも同じ服着てるって思われたらやだなとか考えちゃって」
 彼女の発想はとても女の子らしい。でも、彼女の気持ちは彼には伝わってなかったようだ。なぜなら、彼女が送ったメッセージは、覚えたての中国語で「まだ会えない」という短い返信ばかりだったから。
「その一言だけだったら、相手はあんまり好かれてないって思っちゃうかもね。どうして英語で送らなかったの? 彼も英語話せたんでしょう?」
「中国語で送ったら、ちょっとでも気持ちが伝わるかなって思ったの。勉強してることも分かってもらいたかったし」
「そっかあ」
 私はうなずきながらも、そこまでは英語で伝えておかないと、相手には伝わらないんじゃないかと考えていた。彼に届いた情報は、短くそっけない中国語のメッセージだけだったってことだから。
「そのうちね、彼からのメッセージが少なくなってきちゃって、会う回数も減って。私と会うの、楽しくなくなっちゃったのかなって思って。最後に会えた時に聞いたの。私はあなたといてとても楽しいけど、あなたはそうじゃないの? って。もし誰か気になる人がいるなら、邪魔しちゃ悪いって思ったし」

 夜の川べりで、彼女は彼にそう伝えた。彼女なりに精一杯の気持ちだったのだろう。だけど彼は、彼女にこう返す。
「会った時から君のことが気になってたよ。だけど、君はそうじゃないみたいだったから。君はなかなか連絡をくれなかったし、どこかに行こうって話をしてても実際に行けるまでに一か月以上かかることもザラだった。半年くらいずっと頑張って待とうって思ってたけど、きっぱり諦めるよ。君にその気がないなら早く言って欲しかったな。のらりくらりされるのは性に合わないんだ」
「あなたといるのは楽しかったよ。ほんとに。でも、私は外国人だから、いつか上海から出ないといけないし、迷惑かけることになったら悪いなとか、いろんなことを考えちゃったの」
「言い方がきつかったらごめん。でもね、いつも言い訳してるように聞こえるんだ。関係がうまくいかなかった時に、自分が傷つかないように。君は失恋したことがないだろう? いつも周りには男が寄ってきてただろうし、君はその中から気に入った相手を選べばよかっただけだから。でもね、傷つきたくないっていうのは、自分への愛情であって、誰かへの愛情じゃないよ。
 君は、本当の意味でまだ誰かを自分から好きになったことはないんじゃないかな」

 彼の言葉は本質を突いているのかもしれないと私は思った。彼女が彼の話をする時はいつも、忙しい彼の邪魔をしちゃいけないから気軽に連絡できないとか、もう少し中国語を勉強してからじゃないと迷惑をかけちゃうとか、彼のことを考えていそうで、自分の気持ちをあやふやにするようなことばかり言っていたから。
 彼女はもしかしたら、自分の中に生まれた恋の芽が傷つき折れてしまうのを恐れたのかもしれない。彼女の恋はいつも、周りの人が育ててくれたものだったから。
「それで? どうするの? もう会えなくてもいい? 新しい人を探す?」
 私の質問に対し、彼女は空になったコーヒーカップを両手で握りしめながら無言になる。もういいって言えないのがきっと、彼女の正直な気持ちなんだろう。その気持ちを彼に向かって口に出せたらきっと、もっと届くのに。
「最後に会った時、彼はもう会わないって言ってたの?」
「ううん。もしやっぱり会いたいって思ったら、今度は君から連絡して欲しいって言われた」
「連絡した?」
「してない」
「連絡したい?」
 無言のままうつむく彼女のスマホを、私は人差し指で軽く叩いて言った。
「私に無理やり言われたって言っていいから、今すぐ連絡しなよ」
 彼女は眉を寄せたまま、自分のスマホをじっと見続ける。その間に私は二杯目のコーヒーを飲み終え、トイレに行き、三杯目のコーヒーを頼もうかと悩む。しかし、その前に彼女に声をかける。
「帰る?」
 私の質問に彼女は軽く首を振り、それからようやく自分のスマホを手に取った。

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