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第一章 - 八つの腎臓の町1

 ネズミ後について砂丘を下りながら振り返ると、車掌が階段を上がって列車の中に戻っていくところだった。それにしても、ずいぶんと長い列車だ。先頭も最後尾の車両も見えないまま、車両が地平線の向こうに消えていく。もしかしたら、この列車は輪っかみたいになっていて、同じところを回っているだけなのかもしれないとアサは考えた。それなら、列車に乗り続けていれば、最初の駅に戻れるはずだ。
「今日はあの町に泊まりますよ」
 砂丘を下った先に白い壁に囲まれた町が見える。列車は砂丘の一番高いところを走っている。線路の向こう側は海なのに、なぜ海の水がこちら側に来ないのだろうとアサは不思議に思った。柔らかい砂に足を沈めながら歩くと、靴の中がすぐに砂でいっぱいになる。風で舞う砂ぼこりを避けるため、アサは頭に巻いた赤い布を取り、口を覆うように巻き直した。右耳につけられた金のリング状のピアスがぶつかり合って金属音を立てる。

 徐々に勾配がゆるやかになり、足下に石が増えてくる。アサは砂が減ったところで立ち止まり、赤い靴ひもを少し緩めて靴を脱ぎ、砂を落とす。近くの壁に靴を叩くと、紺色の靴の上に散らばっていた砂が宙に飛ぶ。それを見ていたネズミも同じように黒い革靴を脱ぎ、靴の中の砂を払った。
白壁で囲われた石の町だ。アーチ状の入り口を通り抜けると、二階から五階建てくらいの石の建物がいくつも並んでいる。道が入り組んでいて、建物の間は狭くなったり広くなったりしている。小さな路地があちこちに伸びていて、慣れていないと簡単に迷ってしまいそうだ。アサはなるべく目印になりそうな物を覚えながら、ネズミの後をついていく。ネズミは足を止めることなく、迷路のような路地を進む。アサは口に巻いていた布を取って息を整え、顔を振って長い茶色の巻き毛についた砂を払う。立ち止るとすぐにネズミの姿を見失ってしまいそうだ。干した魚を売る店を右に曲がった時、アサは大声でネズミを呼び止める。
「待って!」
 ネズミは足を止め、アサのほうを振り返って、黒い帽子をかぶり直す。
「ここ、さっき通ったんじゃない?」
「ああ、そうなんですか」
「迷ってるの?」
「どうやらそのようですね。今、分かりました」
「もー、それなら早く言ってよ。荷物だって重たいし。ちょっと休むけどいい?」
 そこは中央に大きな木のある小さな広場だった。地面には大きめの平たい石が並べられていて、広場の数か所に鳥の形に磨かれた石が置かれている。アサはその一つに座り、大きなバックパックを地面におろした。両足に向かってふくらんだ形をした黒い服をはたき、足首に引っかかっていた砂を落として、ネズミの顔を上目遣いに見るが、白い毛に覆われた顔からは表情が読めない。ネズミはアサの前に立ったまま動かず、ネズミの大きな身体でアサの上には影ができた。
 アサはバックパックを開けて小さなりんごと水のボトルを取り出し、リンゴを膝の上に置く。水を一気に半分飲み干してからリンゴをかじった。
「食べる?」
「大丈夫です。私は食事は致しませんので」
「水も?」
 ボトルを差し出すが、ネズミは首を振る。「お気になさらず、ごゆっくりどうぞ」
 アサは、ある種のネズミが生涯に一度も水を飲まないことを思い出していた。二本足で歩いて喋っているが、彼らの生態は自分の知っているネズミに近いのかもしれない。
 アサはリンゴをかじりながら周囲を見渡す。路地の先から服を着た二人の猫が話しながら歩いてくる。猫たちはアサの姿に気づくが、気にも留めずにそのまま通り過ぎていった。自分は珍しい存在ではないのだろうか。
「暑くない?脱げば?」
 水のボトルを自分の口元に近づけたまま声をかけるが、ネズミはやはり首を振る。アサは水を飲み干すと、空になったボトルをバックパックにしまい、リンゴの芯を近くのゴミ箱に投げ入れた。別の路地から薄い水色の服を着たグレーのシマ模様の猫が出てきた。店から出てきた家族連れらしい猫もいる。どうやらここは猫の町のようだ。
シマ模様の猫はアサたちのすぐ近くを通り過ぎていく。毛が束になってあぶらっぽく、頬の骨が出っぱって、目の周りが少しくぼんでいる。左手首に白い包帯が巻かれているのが気になった。毛がふわふわしているが、かなり痩せていそうだ。その猫は狭い路地の一つを曲がって姿を消した。
「気になりますか?さっきの猫さん」
「別に」
「そう言う割には、ずいぶん時間をかけて観察されてませんでしたか」
「猫が二本足で歩いてるのは、私の国じゃ珍しいの。それだけ」
 そうですか、とつぶやいてからネズミは立ち上がる。
「どこ行くの?」
「宿を探しに」
「そう、じゃあ私ここで待ってるから。荷物重たいし」
 その時、声がした。「誰か!病人だ、運ぶのを手伝ってくれ、誰か!」
さっき、シマ模様の猫が曲がった路地からだ。
「行ってみましょう」
 ネズミは革靴を鳴らしながら小走りに路地へ向かう。アサはバックパックを背負い直すが、すぐに後は追わずに周囲を見渡す。自分たちのほか、猫以外の生き物はこの町にはいないかもしれない。窓から顔を出しているのも、紙袋に入った干し魚を抱えて歩いているのも猫ばかりだ。
気乗りはしなかったが、アサはネズミの後を追って路地へ向かう。路地を入った少し先に、先ほどのシマ猫が倒れている。声を上げて助けを呼んだらしい茶色い猫が、シマ猫の横で声をかけている。
「かかりつけの病院があるようなんだ。そこまで運ぶのを手伝ってもらえないか」
「分かりました。私が一人で抱えますよ。アサさんは彼女を抱えるのを手伝ってもらえますか。猫さんは場所を案内していただけると」
 ネズミが小さな手でシマ猫を抱え上げるのを、アサは茶色猫と一緒に手伝う。皮膚に張りがない。
(それに・・・)

 彼女には腎臓が八個ある。アサはそう思ったが、口には出さなかった。

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一章のモデルになっている町はタンザニアのザンジバル島。
▼世界遺産の石の町、タンザニア・ザンジバル島のストーンタウンと奴隷市場
https://mijin-co.me/novel_tanzania_zanzibar/

小説投稿サイト「エブリスタ」で連載中の「夜の案内者」の転載投稿です。
物語のつづきはエブリスタで先に見られます。

▼夜の案内者(エブリスタ)
https://estar.jp/novels/25491597/viewer?page=1

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