日本の「性差別」のルーツ 前川直哉氏の「男の絆」論に学ぶ

▼『文藝春秋オピニオン 2019年の論点100』に、なぜ日本に男女差別が強いのか、前川直哉氏がわかりやすいまとめ記事を書いていた(118-119頁)。前川氏の『男の絆――明治の学生からボーイズ・ラブまで』(2011年、筑摩書房)の簡潔な要約になっている。キーワードは「男の絆」である。

明治時代、エリートだった男子学生たちの一部で、学生男色と呼ばれる関係性が流行した。当時の新聞・雑誌記事などによると、学生男色は「互いの成長」が期待できる対等で親密な関係とイメージされ現在でいう同性愛的な要素、つまり肉体的な接触を伴うこともあった。だが20世紀に入り女学校・女学生の数が急増すると、学生男色は解体され、男性同士の強い関係性は男色ではなく「友」「友情」などの言葉で表現されるようになる。私的領域に属する「恋」や「愛」は女学生がすべきものであり、公の社会に生きる男子学生同士が取り結ぶのは「友情」。そして公的領域で出会う男性の「友情」や「絆」は、男女間の恋愛や女性同士の関係性よりも強い、とされたのである。

 背景には「男は外で仕事、女は内で家事・育児」という新しい性別役割分業観の上に成立する、明治期に誕生した家族像(近代家族)の存在があった。こうした性別役割分業観や家族像は「日本の伝統」と誤解されることもあるが、決してその歴史は長くない。江戸時代に人口の大半を占めた農家では男女を問わず働いていたし、家事・育児は妻・母の役割に限定されず、祖父母や兄・姉など手があいている人が担っていた。武士の家で男児の教育を主に担ったのは登城しない母親ではなく、父親である。

 日本の文化人が、性別役割分業を基盤とする近代家族を理想像として唱え始めたのは明治期のこと。実体としての近代家族は大正期の都市部で「サラリーマンの夫と専業主婦の妻」という組み合わせで登場し、戦後の高度経済成長期になってようやく広く普及したのである。

▼「ニッポンの伝統」と思われているものの多くが、明治時代につくられたものだ。「家族」も例外ではない。じつは浅い伝統しかない良い例の一つは「葬儀」だが、それはまた別の機会に。

▼「近代」を相対化することによって、なにが相対化できないものかを知ることが、人生と社会を豊かにすると思う。前川氏の「男の絆」論は、知っている人にとってはいちいち納得できる歴史なのだが、知らない人にとっては、こうした〈女性の社会進出が妨げられている背景には、「男の絆」が持つ排除の論理が存在している〉という現実は驚天動地だと思う。おそらく受け入れられない人もいるだろう。

〈「男の絆」が排除するのは、女性だけではない。「男の絆」が強いほど、同性愛者など性的マイノリティはその絆を乱す存在として排除され、差別される。

 学生男色が解体された後、大正期に流行した性欲学によって「同性愛」という概念が日本にもたらされた。かつて男性同士の親密な関係において含まれることが少なくなかった性的な欲望や行為は、一部の「変態性欲者」が行うものとして注意深く取り除かれていった。科学の衣をまとった同性愛への偏見と排除は、現在の日本にも根強く残っている。

性差別にせよ、優生思想にせよ、「科学の衣」をまとった差別は極めて厄介だ。科学は人生の一片しか照らさない。人生に必要だが、それで十分ではない。だから科学という名の宗教もまた、相対化しなければならない。

(2018年12月22日)

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