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ショー・マスト【ノット】ゴー・オン:日本の「リアリティー・ショー」はタレントを守らない件

▼筆者は「テラスハウス」を一度しか見たことがない。その時の印象は、ーー「本気の恋」を、視聴者が弄(もてあそ)ぶ娯楽ーーというものだった。

■「本気の恋」を弄(もてあそ)ぶ娯楽

もうちょっとくわしく書くとーー出演者たちがカメラの前で色恋沙汰(いろこいざた)を繰り広げ、「本気の恋」をして、さまざまな精神的苦痛や緊張を与えられ、視聴者は、そうした出演者たちの感情の起伏を巧(たく)みな解説つきで楽しみ、感情を消費する暇(ひま)つぶしーーという感じだ。

その後、「テラスハウス」を見たことはないし、中学生や高校生に大人気であることも知らなかった。ネットフリックスで世界展開していることも、木村花という人が出演していることも知らなかった。下記のニュースを知った時はとても驚いた。NHKニュースから。適宜太字。

木村花さん SNS上の非難が1日に100件近く 自殺の可能性も〉(2020年5月26日 5時27分)

▼木村花氏は22歳で、女子プロレスの世界では有望な人だったそうだ。なお、記事に出てくる「ひぼう中傷」は「誹謗中傷」のこと。もともとは「誹謗中傷」の四字熟語だが、おそらく誹謗という漢字が難しいという理由で、ひらがなで書かれている。

シェアハウスでの生活を記録する民放の番組「テラスハウス」に出演し、3日前、都内で死亡したプロレスラーの女性について、番組への出演や言動を非難するSNS上の書き込みが多い時で1日に100件近くあったとみられることが関係者への取材でわかりました。遺書のようなメモも見つかり、警視庁はひぼう中傷を苦に自殺を図った可能性もあるとみて調べています。

シェアハウスで男女6人が共同生活する様子を記録するフジテレビの番組「テラスハウス」に出演していた女子プロレスラー、木村花さん(22)は3日前、都内の自宅で倒れているのが見つかり、搬送先の病院で死亡しました。

所属団体などによりますと、SNS上では番組への出演や言動を非難する投稿がされていたということですが、木村さんに対するこうした書き込みは多い時で1日に100件近くあったとみられることが関係者への取材でわかりました。

捜査関係者によりますと、木村さんの自宅からは母親や仲間への感謝の思いがつづられた遺書のようなメモが見つかったということです。

警視庁はSNS上でのひぼう中傷を苦に自殺を図った可能性もあるとみて詳しいいきさつを調べています。

木村花さんがプロレスの練習に通っていた道場を所有する72歳の女性は、花さんについて「大きな声で『こんにちは』とあいさつしてくれるし、礼儀正しく、娘のように思っていました。頑張ってやっとここまで来て、大きな舞台にも出られるようになり、これからの子でした。とてもショックで悲しく、何とも言えない気持ちです」と無念の思いを語りました。

そのうえで「いわれもないひぼう中傷で気持ちが沈んでしまったのではないかと思います。顔が見えないからといって相手の気持ちを考えずに書き込んだ人たちは、次々に書き込みを削除したといいますが、憎いし、悔しいです。リングの上では悪役を一生懸命に演じていた花ちゃんは、強く見えるかもしれないけど、ふつうの22歳の女の子です。悩みを打ち明けられる人がそばにいなかったのか、ひとりで命を絶つなんて本当にかわいそうです」と話していました。 〉

▼読んでいて、なんとも気持ちが沈む記事だ。22歳。気の毒に。自分に厳しく、他人にやさしい人だったのだろう。

筆者はあいみょん氏の名曲「生きていたんだよな」を思い出した。

〈生きて生きて生きて生きて生きて
生きて生きて生きていたんだよな
最後のサヨナラは
他の誰でもなく自分に
叫んだんだろう〉

■緊急事態宣言下ゆえに起きた可能性

▼これは、世相を騒然とさせている「検察庁法改正」問題と同じ位相の問題だと思う。つまり、コロナ・パンデミックの緊急事態宣言下でなければ、この悲劇は起こらなかった可能性がある。

今、誰もが前代未聞の現実のなかで生活している。不安や不透明感に包まれて、ストレスがたまっている。だから、「何か」をきっかけに「不満」や「怒り」が噴き上がり、「何か」に向かって、いい「はけ口」ができた、と殺到する。この「何か」に、「検察庁法改正」や「木村花」が当てはまってしまったのではないだろうか。

ということだとすれば、緊急事態宣言下という特殊な現実をもとに、恒常的(こうじょうてき)な法制定をするのは危険だ。

▼案の定、国会議員の間では、さっそく、悪質な書き込みをする人間を取り締まろうとする「スピード感」のある動きが出ているが、この動きは、言うまでもなく、「政府に批判的な発信をしている人間を特定する」という動きと表裏一体である。

尤(もっと)も、〈芸能人に対するSNSでの誹謗中傷について詳しい佐藤大和弁護士は「集団での誹謗中傷に対しては、迅速かつ適切に対応できる法律がないのが問題だ」と指摘。「1人が大人数に対して対応できる被害救済制度の法整備と、SNSを運営する各社が主体的にコメントを停止するなどの措置をとれるようにすべきだ」と話している。〉(2020年5月26日付産経新聞)というような問題意識は重要だ。

今の法制度では被害者を守れない。ぜひとも法律をつくってほしい。

しかし、今の「スピード感」は危ない。「感情」を利用した法整備は、とても危ない。これを「千載一遇(せんざいいちぐう)のチャンス」ととらえ、喜んでいる役人や政治家がいるからだ。

▼それはそれとして、筆者には、芸能界で苦労している友人がいる。木村花氏の死をめぐって、ここ数日のマスメディアの報道に触れて思ったことをメモしておく。

■すべての「番組」は「作り物」

▼木村花氏の不幸は、プロレスという伝統のある世界から、ソーシャルメディアという、まだ人類の歴史にとって海の物とも山の物ともわからないメディアの勃興期(ぼっこうき)に、「リアリティ番組」や「リアリティー・ショー」といわれる、極めて暴力的な番組に、心身を守るための知識を十分教えられることもなく、出演してしまったことかもしれない。

▼「テラスハウス」などの番組は、「リアリティー番組」とか、「リアリティー・ショー」とか言われるが、要するに「番組」であり、「ショー」である。決して「リアル」ではない。「作り物」である。

言うまでもなく、「ショー」である以上、そこには必ず「編集」があり、「演出」がある。「編集」や「演出」のない「ショー」など存在しない。

もしかしたら、「映っている映像は事実だろう」などと思う人がいるかもしれないが、映像は、前後のつなぎ方、切り取り、切り貼りで、いくらでも印象操作できる。

映像という事実は、しばしば真実ではなくなる。

▼「テラスハウス」を見る側は、もしかしたら「これはショーである」という現実を忘れていたのではないだろうか。それだけ視聴者に「共感」させ、「本気」にさせる作り手の力量は、大したものだ。

「リアリティー・ショー」は、演技と個人的生活との境界線が曖昧(あいまい)であり、それが「売り」であり、視聴者のうち、かなり多くの人たちが、個人的生活をありのまま放映している、と勘違いしている可能性がある。

▼だが、そもそも、出演者自身が「撮影されている」ことを知っている時点で、その言動は「リアル」ではない。これはとても単純な話で、「もし自分が生活を撮影されるとしたらどうだろう」と少し想像するだけで、わかると思う。

リアリティー・ショーには、音楽、カメラのカットや、アングル、時間配分などなど、「演出」や「技術」が存在し、「脚本」が存在する。そして作り手の無数の「主観」が入っている。

おそらく、「悪役」をつくったほうが「ショー」は面白くなるだろう。

▼これは、テレビドラマと比べて考えるとわかりやすいかもしれない。

たとえば、役者の染谷将太氏が、NHKの大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」で織田信長の役を演じて、信長の弟である信勝を殺したとする。その場合、染谷氏が「ソーシャルメディアで猛烈な誹謗中傷を浴びる」ということは起こらない。むしろ、その演技が高く評価される。

また、同じ染谷将太氏が、「浦安鉄筋家族」という愉快なテレビドラマで、花丸木くんという、語尾に必ず「らむー」という一言をつけてしゃべり、着ている服がすぐ脱げてしまって乳首が見えたり、パンツ一丁で佇(たたず)んだりする役を演じたとしても、「情けない」とか「恥をしれ」とか「公序良俗に反する」とか、いろいろ誹謗中傷される、ということは起こらない。

むしろ、織田信長役との落差も含めて、高く評価される。それは、視聴者の側が、「あれは演技だ」「あれは演出だ」と弁(わきま)えてドラマを消費しているからだ。

リアリティー・ショーも、リアリティー番組も、「ショー」であり「番組」であるかぎり、これと同じ構造である。

■事務所は「商品価値」だけを守る

▼リアリティー・ショーで金を稼ぐ人々はーーたとえばテレビ局やタレント(才能のある人)の所属事務所はーーそのショーで扱う「商品」の価値を守る。つまり、タレントの「商品価値」を守る。

肝心なのは、守るべきは、出演タレントの「人格」や所属タレントの「尊厳」ではなく、「商品」としての価値だ、ということだ。だから事務所は商品価値の高いタレントのプライバシーを、裁判も含めて、ありとあらゆる手を使って徹底的に守ろうとする。タレントの「イメージ」の良し悪しが、事務所という法人にとって死活問題だからだ。

▼タレントの「商品価値」と「人格」と。この両者の因果関係を間違えてはならない。目的は「商品価値を守る」ことであって、「人格や尊厳を守る」ことではない。

尤(もっと)も、商品価値を死守しようとすること(原因)によって、結果的に人格を守ること(結果)になっている場合はある。しかし、この因果が逆になることは絶対にない。なぜなら、金にならないことは1ミリもやらないのがショービジネスであり、それが資本主義の原理というものだからだ。

▼しかし、「商品」が死んでしまえば、「価値」はなくなる。

テレビ局や所属事務所は、木村花氏の「商品価値」を守るために、何をしてきたのだろうか。

「リアリティー・ショー」はSNSでいわゆるバズったり「炎上」したりすることも含めての商売である。つまり、わざと「炎上」させるのである。

タレントを晒(さら)し者にして、「炎上」前提のショーで儲(もう)ける作り手たちは、「商品」を守るために、具体的にどんな対策をとってきたのだろうか。冒頭近くに書いたように、「悪質な書き込みを取り締まる法律をつくる」だけでいいのか。到底、そうは思えない。

■イギリスの例 スーザン・ボイル氏

▼ところで、このメモを読んでいる人のなかで、「スーザン・ボイル」という名前を知っている人はどれくらいいるだろうか。「ブリテンズ・ゴット・タレント」という番組で、ミュージカル「レ・ミゼラブル」の名曲「夢やぶれて」を歌って、絶賛された人、といえば、「ああ、あの人か」と思い出す人もいるだろう。

▼このスーザン・ボイル氏が番組の決勝戦の後、精神的にまいってしまい、精神病院に搬送されたことがある。こうした、演技と生活との境界線がはっきりしている番組ですら、出演者には想像を絶するストレスがかかる。いわんや「本気の恋」をめぐる若い心をや。

イギリスの場合は、幸い、日本のように「自分が有名になりたくて、好きで出演しているのだから、自己責任ね」などという薄っぺらい「自己責任論」が主流にならず、サイコロジスト(心理学者かな?)が番組に常駐するようになったそうだ。2009年のことだ。

今から11年も前のことだ。

▼上記のことが書いてあったのは、イギリスの「inews」というサイト。アメリア・テイト氏による「エンターテインメントVS倫理 心理学者はリアリティーTV出演者のメンタルヘルスをどのように守るか」というタイトルの記事があった。

〈Entertainment vs ethics: how psychologists protect reality TV contestants' mental health/I'm a Celebrity, Love Island, Big Brother: distress on reality television is not unusual. Where do TV's psychologists draw the line?/By Amelia Tait/Monday, 3rd December 2018, 12:20 pm Updated Friday, 6th September 2019, 9:57 pm〉

▼「苦痛はリアリティーTVにつきもので、心理学者はいったいどこでエンタメと倫理との間の線引きをするのか?」という意味の副題。

I'm a Celebrity, Love Island, Big Brotherというのは、いずれもリアリティーTVの人気番組のタイトル。

■「精神的苦痛はルーティン」

▼この記事の冒頭は

テレビをつけて、誰かが苦しんでいるのを目にするのは、もはや珍しいことではない。

という物騒(ぶっそう)な一文から始まる。

It’s no longer unusual to turn on the TV and witness somebody in distress.

▼記事の続き。

〈Mental distress and despair are now routine parts of reality TV, but this doesn’t mean the genre is lawless. Since Britain’s Got Talent’s Susan Boyle publicly broke down in 2009, most TV production companies have a psychologists on set. 

DeepLを使って訳すと、

〈精神的苦痛や絶望は、いまやリアリティーTVのルーティンになっている。しかしこれは、このジャンルが無法地帯であることを意味するものではない。

「ブリテンズ・ゴット・タレント」のスーザン・ボイルが2009年に「壊れて」から、ほとんどのテレビ制作会社は心理学者(サイコロジスト)を置いている。〉

といった概要だ。

▼2009年以降、イギリスでは、多くのリアリティーTVで心理士や精神科医が出演者をフォローする体制をとっているようだ。彼らは、キャストが決まってから、毎日出演者のメンタルヘルスについてミーティングし、番組が終わってから数週間、フォローする。

実際、番組終了後に自殺するケースが複数あった。このケア体制が適切に機能しているのかどうか、わからない。

言えることは、リアリティー・ショーは、出演者にとって、消費者の想像を絶する地獄だ、ということだ。

毎日メンタルヘルスケアが必要な仕事って、なかなか思いつかない。

■「これまでの自殺者は38人」

▼「サン」紙によると、1986年以来、これまでリアリティー・ショー関連で38人が自殺しているそうだ。(もっとも、この数の中には「スター誕生!」に出演していた岡田有希子氏も含まれているようだ)

▼イギリスには「ラブ・アイランド」というエグいリアリティー・ショーがあって、これに出演していたソフィー・グラドン氏は、2016年に出演が終わった後、うつ病になって苦しみ、2018年に自殺した。32歳。

▼彼女の死体を発見したのは、恋人のアーロン・アームストロング氏だった。彼は彼女の死体を発見した3週間後に自殺した。

▼同じく「ラブ・アイランド」に出演していたマイク・タラティシス氏も、2019年に自殺した。26歳。

▼さらに、「ラブ・アイランド」を人気番組に引き上げた立役者だった司会のキャロライン・フラック氏も、2020年の2月に自殺した。40歳。

▼このキャロライン・フラック氏の自殺はとりわけ大きな衝撃だったようで、「インデペンデント」紙にゾーイ・エッティンガー氏の

「ザ・ショー・マスト・ノット・ゴー・オン」ーーショーを続けなければならない、ではなく、ショーを続けてはならないーー

というタイトルの記事があった。

〈The show must not go on – after Caroline Flack’s death, Britain needs a break from Love Island/If 60 per cent of British reality TV-related suicides are linked to one programme, something must be done/Zoe Ettinger〉

▼リアリティー・ショーをめぐる悲惨な話はまだまだあるが、事柄の輪郭(りんかく)を知るにはこれくらいで十分だろう。興味のある人は、ネットで少し調べるだけで、たくさん見つかる。

■「心のケア」を義務化せよ

▼日本のリアリティー・ショーに心理士や精神科医が常駐しているのかどうかは知らない。もし常駐させていないのだとしたら、イギリスから10年以上遅れているわけだ。もしかしたら、自分たちは遅れている、という認識すらない可能性がある。

今すぐメンタルヘルスの専門家を配置すべきだ。そして何かあったらすぐ精神科医にかかれるようにすべきだ。出演者は木村花氏の他にもいて、恐らく彼らはとても動揺しているだろうから。

リアリティー・ショーで儲けている法人に対して、出演者の「心のケア」を義務づけねばならない。「誹謗中傷」という名のウイルスから「商品」を守るために。

具体的には、たとえばその契約書に「当番組は、出演者のメンタルヘルスを、オーディションの開始日から番組の放映終了の半年後まで、ケアする義務を持つ」といったことが、もっと具体的に書かれていなければ、タレントに絶対にサインさせない、ということだ。

そういえば、ネットフリックスとフジテレビの契約はどうなっているのだろう?

▼2020年5月26日の時点で、この点に朝日新聞がわずかに触れていた。いわく、

「ケア体制不足」/……恋愛リアリティー番組のプロデューサーを務めた津田環(たまき)さんは「制作サイドが出演者の感情の起伏を利用して『誘導』し、出演者がそれに応えようとする側面はある。リスクの矢面に立つのは常に出演者だが、多くの現場でケア体制が整っていない」と指摘する。

▼この指摘は重要だが、上記のような海外ですでに起きている地獄絵図(じごくえず)を知ってみれば、当然の指摘だ。なにしろ、リアリティー・ショーに出演した人は、その番組の人気が高ければ高いほど、「演出」の都合上、「国民的な憎しみの対象」になりかねないのだ。

■裸でジャングルに放り出されたら

▼日本のショービジネスは、「商品」の扱いがじつに乱雑で、冷酷だ。そういう意味では、木村花氏の死は、冒頭で触れたコロナ・パンデミックの文脈だけでなく、少し前に世を騒がせた「吉本興業」の芸人に対するパワハラや、女性アイドルグループ「NGT48」の暴行事件などと同じ文脈で考えたほうがいい。

▼今、日本語圏のリアリティー・ショーに出演するということは、「無法地帯」のジャングルに、いきなり裸で放り出されるようなものだ。もしくは、「関ヶ原の戦い」に丸腰で迷い込むようなものだ。要するに、格好の餌食(えじき)である。

そうしたことは、「身内」であるテレビではあまり報道しないし、テレビ局とのクロスオーナーシップに縛られている全国紙もあまり報道しない。

▼言葉の暴力を抑え込むための法律をつくることはもちろん必要だ。しかし、十分ではない。

出演者の「精神的な健康の確保」は必須だが、出演者が自分の心と体を守るために、たとえば「エゴサーチ」の意味や価値について、事前に講習を行う必要もあるだろう。

■「真実は娯楽のために使われた」

▼「FRONTROW(フロントロウ)」というサイトに、キャロライン・フラック氏が自ら命を絶つ前日(2020年2月14日)、母親に送ったという文章が載っていた。

彼女の場合は、恋人に暴力を振るったという疑いをかけられ、逮捕され、裁判になっていた。

マスメディアから猛烈なバッシングを浴びたことは、たやすく想像できる。

しかし、その絶望の深さは想像できない。

冒頭から末尾まで、絶望が塗り込められた、悲痛な文章だ。適宜太字。

〈多くの人たちにとって、暴行罪で逮捕されるということは、精神的な気づきのようなものを得るための極端な方法のひとつなのかもしれません。しかし、私にとっては、もう普通のことのような感覚です。

 私はこれまでの人生において、ずっと、自分の身に降りかかるストレスの数々にスヌーズボタンを押し続けてきました(※問題解決をずっと先延ばしにしてきたという意味)。

10年以上にわたり、自分の人生に対して浴びせられる侮辱や有害な意見は、自分がしている仕事の代償なのだと受け入れ、文句ひとつ言わずにやってきました。

 まるでカーペットの下に掃いて埃を隠すかのように、そうやって、問題をずっとうやむやにし続けていることの欠点は…実際には、問題はずっと消えずにそこにあり、いつか誰かがそのカーペットを持ち上げたときに、また再び侮辱や恥ずかしさを感じることになるということです。

 2019年の12月12日、私はボーイフレンドに対して暴行をはたらいた罪で逮捕されました。24時間以内に私の世界と未来は根こそぎ奪われ、私がこれまでじっくりと時間をかけて築いてきた周囲の壁は崩れ落ちました。私はこれまでとはまったく違う種類のステージに立たされ、みんながその一部始終を眺めていました。

 あの夜起こったことに関して、私はずっと責任を負ってきました。その当夜でさえも。でも、真実は…あれは、事故だったのです。

 私はとても長い間、情緒不安定な状態に悩まされています。でも、私はDV加害者ではありません。私たちは口論になり、そして、事故が起きたのです。あれは事故でした。誰かが新聞に“売った”血(の写真)は、彼ではなく私の血です。あれはとても悲しく、とてもパーソナルなものでした。

 私が今日、事件について語ろうと思ったのは、私の家族はもうこれ以上、耐えることができないからです。私は仕事を失い、家を失い、発言力も失いました。真実は私の手から奪い取られ、娯楽のために使われました。

 毎日身を隠し、何も言わず、誰とも話をするなと言われながら暮らすことなんてできません。私のせいで迷惑をかけてしまった家族や辛い思いをさせてしまった友人たちには、本当に申し訳なく思っています。

 「自分のキャリアを取り戻したい」なんて思っていません。私が思っているのは、自分と自分の家族の人生を取り戻したいということだけです。それ以上は何も言えません。〉

▼最後に、小学生でもわかるたとえ話を書いておく。「いじめ」という名の犯罪の話だ。

いじめる人間は、いじめる理由をたくさん挙げる。自分がいじめている対象の「欠点」を、あれもこれもとあげつらい、いじめられる「理由」を、あれもこれもと重箱の隅をつつくようにあげつらう。「だって、あいつが何々って言うんだもん」「だって、あいつがどうこうなんだもん」と。

仮に、いじめられる側に、「欠点」や、いじめられる「理由」があったとしよう。

だからといって、それが「いじめていい理由」になるのか? 

断じて、ならない。

全部、身勝手な屁理屈(へりくつ)にすぎない。

つまり、「いじめ」は「いじめる側が100%悪い」のだ。いじめられる側に、0.1%の非もない。

この原則に例外はない。

(2020年5月27日)

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