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まだボランティアに行けないし、行ってはいけないという話(その1) 「北國新聞」のルポを読む 2024年1月5日付

▼電子版が普及して、実に便利になった。各地のブロック紙・県紙が、携帯電話で読める。

▼北國新聞によると、のと里山海道は石川県の代わりに国(国交省)が復旧するそうだ。2024年1月5日付。適宜改行、太字は引用者。

〈県によると、のと里山海道と能越道では、県管理区間で大規模崩壊19カ所、段差やひび割れ122カ所の計141カ所が被害を受けた。〉

▼今週末の天気予報は雪だ。

▼同紙1面の見出しは、能登半島地震が、これまで日本社会が経験したことのない大震災であることを物語っている。

死者84人 生き埋め50件/72時間超え、懸命の捜索/被害全容つかめず 安否不明179人

1日夕方に地震が起きて、5日付朝刊の時点で、〈被害全容つかめず〉なのである。

▼22面・23面は連載ルポ。〈輪島 割れた国道249号歩く/千枚田ズタズタ 無残

輪島総局から車で出発したものの、早々に乗り捨て、往復30キロを歩いて取材したそうだ。(編集委員・坂内良明、写真部・石川雄大)

「白米(しろよね)千枚田」の大きな写真。その横に、自宅前が陥没し、マンホールが隆起した道路でサッカーをして遊ぶ子どもたちの写真もある。

〈西へ歩く。名舟町では、立って道沿いに並ぶ人たちがいた。聞けば、「携帯の電波がここだけ入る」とのこと。孤立集落の住民にとって携帯は、離れて暮らす家族や友人とつながる唯一の「命綱」なのだ。〉

奥能登は、ほとんど山岳地帯であり、電波が悪い。

▼ある集会所では〈ちょうどお昼どきだ。「持って行きまっし」とおばあちゃんがおにぎりを勧めてきた。固辞するが、再三の勧めに根負けして、一つだけもらった。〉

〈「ざいご(田舎)やから、米や野菜はある。でも支援がないから水なし、燃料なしや。持ち寄った灯油も底をついてきた」。区長の大西正浩さん(63)がつぶやく。〉

▼42面・43面は巨大な〈「早くお母さんを」/何もかも足りない〉という見出しが胸を衝(つ)く。

山本佳久・珠洲(すず)支局長の記事の見出しは〈子どもが丸3日食べとらん〉。

〈「救援物資が届かない。新聞で伝えてくれっ。子どもが腹をすかせとるんや」。地震と津波で甚大な被害を受けた珠洲市宝立町鵜飼・春日野。4日朝、現地に入ると、つぶれた家屋と傾いた電柱が通りを覆い、足の踏み場もない被災地で出会った男性が涙をこぼして訴えてきた。〉

〈同日朝、割れた窓ガラスや瓦が散乱する通りを歩いていると、40〜50代くらいの男性に突然、声を掛けられた。「金沢からここまで道はつながっとるかね

 珠洲道路は一般車両の通行が規制され、自衛隊や警察、救援物資を運ぶ車両を優先させていると聞く。そう伝えると、男性は気持ちが高ぶったのか「救援物資なんて全然こっちに来ていない」「子どもが丸3日、何も食べとらん、ちゃんと伝えてくれっ」とまくし立てるように語った。必死の訴えに、こちらの頬にも涙が伝った。〉

〈男性に名前を聞くと「勘弁してくれ」と拒まれた。匿名でも伝えなくてはならない。そう思った、被災者の悲痛な叫びだった。〉

▼〈珠洲ー穴水間の道路で大渋滞が発生している。〉という記事もあった。(元珠洲支局長、東京支社報道部長・宮本章史)

3日午後3時に珠洲を出発し、穴水に着いたのは翌4日午前1時。車での移動に10時間を要した。路面が陥没したり、隆起したりの影響であちこちが片側交互通行となっており、パンクやバッテリーの故障で路肩に乗り捨てられた車も目立つ。混雑は当面続きそうだ。〉

▼43面には〈重機運び込めず〉という小見出しもあった。珠洲・仁江町。〈現場に繋がる道路は何カ所も 土砂崩れで寸断された。地震発生から4日目、ようやく自衛隊員がやって来たが、重機を運び込むことはできない。家屋を押しつぶす山のような土砂が手作業での救出を阻む。

▼筆者は、有事の際には、たとえ誰が総理大臣であれ、総理大臣を支えることが価値的だと考える。

外野からの評価は不要ではない。しかし不急である。

(2024年1月5日)

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