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APR.13,2022

今日は素質と才能について
※この記事はInstagramに投稿したものを転載しています。Instagramのアカウントはプロフィールをご覧ください。

マルセル・デュシャンのインタビュー「デュシャンは語る」を読みながら、ここ最近なんとなく考えていたことを再構築してみようと思います。

アーティストはじめデザイナーも経営者も数学者も物理学者も、かなり多くの才能や素質の根源にあるのは「編集能力」なんだろうなと思います。

どれだけたくさんのコトやヒトに関心を持ち、飛びつき、ハマってみたことがあるか。そしてそれを抽象化して構造で理解し、自分のカードにできているかみたいなことです。

この手の話をすると、「編集能力」を"スキル"のことだと捉えられがちです。もちろん"スキル"としての編集能力も必要だし、デザイナーとかプロデューサー的な人はこれに秀でてる人だと思います。いわゆる"引き出しが多い"状態。

でも今回話したいのはそうじゃなくて、"キャリア"とか"アクション"としての「編集能力」ということです。

つまり、師を超えたいなら師を批判するべきだということ。

師匠みたいな人にだけ没頭してると師匠は越えられないし、師匠を超える人って他にもたくさん師匠がいたり、自分だけのカードを持っていながら師匠を批判的に見てる。師匠を嫌えとか盾をつけっていうことではありません。

レオナルド・ダ・ヴィンチも師の教えに従順ではなかったどころか、批判的に解釈しそれでも正しい所は吸収しつつも(キャリアとして)土木学、医学、航空力学みたいなオリジナルのカードを持っていた。このカードを編集し、(師のコピーや二番煎じではない)自分のスタイルを確立して、師を圧倒的に超え、イノベーションを起こしたんだと思います。

フェルマーの最終定理を解いたアンドリュー・ワイルズも純数学みたいな理論だけじゃなくて、物理の先端理論に精通していた。

アートの新しい領域を開拓する人も同じ感覚だと思います。たぶん。
アートの文脈にバイオテクノロジーを取り入れるとか、ふつうにアートを勉強していて思い付くわけがない。

何が言いたいかというと、「盲信しすぎちゃダメだよ」という当たり前のことです。どれだけ何かにハマっても、自分のコアの人格はハマっている自分の人格と距離を取るべき。

でもこの"当たり前"の解像度って大事だし意識できてる人も少ないと思っています。

でも「編集能力」では片付けられないソクラテスとかデカルトみたいなすごい人もいて、それがジャンルのせいなのか知識不足のせいなのかわからないですが、それはそれでアートだなと思ってます。

長々と書きましたが、別に「デュシャンは語る」にこんなことが書いてあったわけでもないのに、これを読みながらなぜこんなことを考えたのかはわかりません。が、偶然が生むモノって面白いなと思います。この本は自分で手に取って買ったわけじゃなくたまたま借りた本だったから。積極的受動みたいなスタンスで偶然を愛でるのもいいなと思いました。

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