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健康のための悪口

悪口なるものは、"善人"に厭われ過ぎていると思う。
彼らは、悪口を悪いものだと唱えることで、人の精神を疲弊させていることに、ほとんど気付いていない。
彼らは真に"善人"であるのか?

かく、"善人"に悪口を言う僕は、実は、あんまり悪口を言うのが得意ではない。
それは、1に、悪口を聞くあいての心象をどうしても推し量ってしまう習性があって、他に、なんかどこかで自分の言動が誰かに監視されているのではないかという被害妄想がある。
相手が"善人"で悪口を言う人を悪人だとみなす人なら、僕自身も悪人とみなされるし、別に"善人"でなくとも、何か相手の不快をかきおこしてしまうかもしれない。
また、自分の発言を誰かが聞いていて、間接的に、悪口言った相手本人に伝わってしまう。
そんなことが怖くて、悪口を言うのが苦手である。

こんなことをどうしても考えてしまうから、自分持ち誰かにどこかで悪口を言われているんじゃないか、なんて根も葉もない被害妄想も生まれる。

自分語りはこのくらいにしておいて、、

生きていれば、嫌なことは否応なく起こる。
あらゆる事象には、必ずその原因があって、人がいる。
人は嫌なことからは逃れられないし、嫌なことには、必ず、「〜〜のせい」がついてまわる。

嫌なことがあったときに、その原因を、その責任者を誰に定めるか、この方法にはたぶん3通りがある。
すなわち、それを、「自分のせい」にするか、「他人のせい」にするか、「仕方がなかった」とするか、このいずれか、また、この折衷である。

「仕方がなかった」とすれば、誰も自分も傷つけないから、1番良いのかもしれない。
だが、反省を避けるのは、学習を避けることでもある。
人間の脳みそは、学習したがる装置だから、反省するのが好きだ。
「仕方がなかった」と簡単に開き直れるほど、人間は単純じゃないのである。

「他人のせい」にすれば、自分は傷つかなくて済む。
だが、他者を悪者にすれば、その人に不信感を募らせていくことになる。
周りの人間との信頼関係が薄れていけば、社会は徐々にうまく回らなくなっていく。
自分が属する社会が回らなくなっていけば、それだけ生きにくい環境が自分のまわりに醸成されていく。

「自分のせい」にすれば、人を傷つけなくて済む。
だが、怒りや不満のベクトルが自分に向かうと、自分のことが嫌いになる。
だから、「自分のせい」にするのは、それだけで結構な精神的負荷がかかる。
たぶん、僕みたいな被害妄想激しめの卑屈な人間ができるし、下手すりゃ鬱になる。
それに「自分のせい」には、その考えを発散する方法がないから、どんどんストレスを自分に溜め込んでいく。
こんなふうに、主体だけを鑑みれば、「自分のせい」が、1番精神衛生上よくない。

結局、「なんのせい」にするかは、三者三様、それぞれ一長一短である。
人間は賢いから、これらをうまいこと折衷させて、なんだかんだ、あまりストレスを溜めないよう上手に生きているのだろう。

とはいえ、人間は賢くあれ、また、完璧でもないから、責任をいつもうまく決定するわけではない。
みな誰もが、ときに折衷に失敗し、ストレスを抱えてしまう。

さて、、

悪口を言うのは、嫌なことを「他人のせい」にして、自分の気持ちを発散する行為である。
言い換えれば、他人を傷つけて、自分の精神的負荷を発散する行為である。
だから、発言者の視点からすれば、自らをストレスから守る行為である。
悪口を言えば、「自分のせい」にして溜め込むストレスから、解放される。

今、「悪口を言うのは悪いことだ!」みたいな風潮が強いように感じる。
悪口は、たしかに、人を侮蔑する行為だが、見方を変えれば、自分を守る行為でもある。
反対に、誰も悪口を言わない世界があったら、ストレッサーは減るけれども、人はみんな自分のなかにストレスを溜め込んで、精神を病む人がたくさんいる世界だと思う。

悪口の少ない社会は、表面上は良い社会に見えるけれども、内面にまで目を向けたら、それは、本当に良い社会だと言えるのだろうか?

悪口を悪とする社会は、「自分のせい」にする人を増やしている気がする。
「悪口はよくない人を傷つけるかもしれないから、言わないように気をつけよう」と気遣って、責任の所在を決定できないから、「自分のせい」にする人を増やしている気がする。
思考は習慣を生むし、習慣は思考をつくる。
だから、「悪口はよくない」という思考は、「悪口を控える」習慣を生み、「悪口を控える」習慣は、「自分のせい」にしやすい思考をつくる。

実際、僕にも悪口をまったく言わない友達がいるが、彼女は、ものすごく優しい子なんだけど、若干メンタルが不安定で、ちょっとした折に触れて、なにかが決壊するように崩れて去ってしまいそうな、そういう脆さが見えることがある。

だから、悪口を封じ込めようとする社会は、精神の健康によくないと思う。
こころを病む人を増やしてしまうと思う。
もちろん、悪口がとどろきまくる社会は、不信感が充満するのだろうけど、ときに、悪口を言って、溜め込んだストレスを解放して、自分を守ることも大切なのではないか?

悪口は健康のために、ときに必要なものだ。

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