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題名読書感想文:16 本でふり、本で落とす「二冊オチ」

 本の題名であれこれ書く「題名読書感想文」。それを読書感想文と呼んでいいかはさておき、ちょこちょこやっている次第です。

 今回のテーマは「二冊オチ」です。お笑いには「三段オチ」というものが存在します。みっつ目にオチ、すなわち笑いどころを持ってくる構成でございまして、検索したら狩野英孝さんのギャグ「ラーメン、つけ麺、僕イケメン」が例として出ていました。

 本の題名には単独では普通なのに、他の題名を一緒に並べるとなんかちょっと意味が変わってくるように見えるものがございます。図らずとも二冊目がオチみたいになってしまう現象でございまして、その現象を「三段落ち」にあやかって「二冊オチ」と名付けました。

 あとはひたすら具体例を紹介いたします。例えば、「地球が燃えている」という本がございます。

 もちろん、本当に地球が太陽のように燃え盛っていたら私もあなたもとっくに消し炭でございますから、この題名はあくまでも比喩表現です。気候変動がテーマのようですので、「このままでは本当に地球が燃えてしまいますよ」というメッセージが込められているのかもしれません。

 このように「燃える」は実際に火がメラメラしているだけではなく、比喩表現として用いられる場合も非常によくあります。しかし、言葉には相性のようなものがありまして、比喩表現としての「燃える」もまた万能ではありません。

 「スタジオが燃えている」の「燃える」もまた比喩表現としての「燃える」のはずなんですが、地球より具体的なせいか「119番」の文字がチラつきます。物理的な「燃える」に見えてしまうわけですね。

 こんな感じでどんどん参ります。

 「資本論」と言えば読んだことはなくても名前を知っている方は多いでしょう。マルクスが書いた経済学書でございます。

 その後、フランスの哲学者であるアルチュセールがフランス共産党を内部から批判するため、「資本論を読む」というタイトルの本を出版します。

 本家資本論には及びませんが、この「資本論を読む」という題名もまた広く知られています。題名という側面ではこの「資本論」という既存の書籍名を組み込んだところが発明でございまして、このタイトルが魅力的なためか何人もの方が「資本論を読む」という題名で書籍を出しています。もちろん、発明の肝は「を読む」という部分でございまして、他の書籍名を入れて「これを読んだよ」と題名で報告する本が現在に至るまで次々と出版されています。

 上記の場合は著名な哲学者ウィトゲンシュタインの主著「論理的哲学論考」を読んだよと、日本の哲学者が題名で報告し、内容で解説しています。本家が資本論という専門書だからか、「〇〇を読む」の〇〇部分には専門書が入る傾向が強いです。

 しかし、そんな「読む」シリーズにこんな題名が現れます。「ドゥオーキン『資源の平等』を真剣に読む」です。

 ドウォーキンはアメリカの法哲学者です。

 法哲学という学問は、法律を用いることによって起きる現象や法に対する人の考え方などを哲学的に分析していく学問とされています。

 ドウォーキンは「平等とは何か」という書籍を出しているように、平等に関する考察でも知られています。その中で「資源の平等」なる理論について触れられており、「そこを読んだよ」という題名なんだと思われます。

 しかし、「真剣に読む」なんです。「読むシリーズ」にいわゆる副詞が入っている。「俺は真剣に読んだぞ」と題名で報告しているわけです。

 もちろん、「読むシリーズ」の著者だってアルチュセールから現代の人まで、みんな真剣に読んだと思います。たまに「『資本論』も読む」のように、原作をいじるような題名もございますが、大半は真剣なはずです。

 そこへ誰かが「真剣に」と付けてしまうと、相対的に他の「読むシリーズ」が真剣じゃないかのように読めてしまう可能性が生まれてしまうのだから不思議です。不思議ですというか、私が勝手に思ってるだけなんですが。

 この「真剣かどうか問題」がちょっと違った形で出ている本もございます。

 以前、題名にうんこが入ってる書籍をいくつか紹介したことがあります。

 うんこを題名に入れる人はみんなどこかはしゃいでいて、それが題名に出てしまっているという偏見を私は相変わらず持っています。だから、「うんちくいっぱい 動物のうんち図鑑」のように、題名にダジャレだって入れてしまうのだと勝手に思っています。

 一方で、過去にはこんな題名の本が出版されています。「日本屎尿問題源流考」です。

 屎尿しにょうとはうんことおしっこを合わせた言葉でございまして、これらをひとまとめにしたらこんなに堅い見た目の単語になるのかとの驚きが隠せません。屎尿だけでも堅いのに「源流考」です。こうなるともう「日本」も「問題」も題名を堅くさせているようにしか見えません。

 とにかく「うんことかはしゃいですいませんでした」という畏敬の念を禁じ得ない題名です。

 続いては、業界の熱さを感じさせる本です。

 「〇〇を読む」みたいに、〇〇の部分に単語をを入れるだけでそれなりの題名ができあがる雛形、いわゆるテンプレートみたいなものはいろいろ存在しています。大体は皆さん、そのまま使ったりちょっと変えて使ったりしています。

 「世界を変えた〇〇」もまた同様で、様々な本が出ております。例えば、「飼いならす――世界を変えた10種の動植物」です。

 「世界史を変えた植物 」という本もございます。

 そんな「世界を変えたシリーズ」の中にこんな本もございます。「世界を変えた10のトマト」です。

 随分とピンポイントな「世界を変えたシリーズ」です。トマト素人の私には「そもそもトマトが世界を変えたのか」という小癪な感想を抱いてしまいます。

 ここで気になるのが、「世界史を変えた植物」と「世界を変えた10種の動植物」で取り上げられている植物です。調べたところ、以下の通りとなりました。

世界を変えた10種の動植物(植物のみ)
小麦、トウモロコシ、ジャガイモ、稲、リンゴ

世界史を変えた植物
小麦、稲、コショウ、トウガラシ、ジャガイモ、トマト、綿、茶、コーヒー、サトウキビ、大豆、タマネギ、チューリップ、トウモロコシ、桜

 片方にはちゃんとトマトが入っていましたけれども、もう片方ではトマトがスルーされています。また、トマトが入っている本でも、1章を割く程度の扱いとなっている。「いやいや、トマトはそんなもんじゃないよ」「彼らは本当のトマトを知らないんだ」「知ってるならもっと派手に扱うはずだ」というトマト著者の声が聞こえるかのようです。だから、トマトオンリーの「世界を変えたシリーズ」が誕生したのかもしれません。

 最後にこんな2冊を紹介します。

 まずは「もしも月が2つあったなら」です。

 もしもの世界をお題に、学術的な視点からガチで考える本もまた数多く存在します。時折とんでもない結果が出るという、もしもシリーズの魅力が学術的な面からあぶりだされる場合も往々にしてございます。上記の本もまたその手の本だと思われます。確かに、月がふたつあったらどうなるのか、気になると言えば気になります。

 しかし、「地球に月が2つあったころ」という本もあるんです。

 ついつい「2つあったんじゃん」とツッコんでしまいました。この本の「月が2つ」は科学的な分析をして明らかになったものなのか、それともまだ仮説にすぎないのか、はたまた比喩表現として使っているのか。詳しいことは本を読んで確かめるしかなさそうです。

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