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休ませて「もらう」ことへの違和感

先日、妻がこう言いました。
「今日はゆっくり休ませてもらえた。ありがとう」

「大丈夫だよ」とその時は答えたのですが、どうにも「もらえた」って言葉に違和感があって、その日はもやもやしながら就寝しました。

改めて考えてみると、やっぱりおかしい気がします。
そもそも休むことは「誰にでも与えられた権利」です。

それが誰かに与えられるものや、申し訳ないものだってなっているのは、大袈裟かもしれませんが、生きにくいなぁと思います。


私が会社員の時、有給を使って休むことがありました。
翌朝の朝礼で、「昨日はゆっくりと休ませもらい、ありがとうございました。今日から頑張ります」ってみんな言うので、私も言っていたのですが、すごく違和感や嫌悪感がありました。

一人抜けることで迷惑をかけることもあります。
その穴を誰かが埋めてくれているので、もちろん感謝する気持ちはあった方がいいとは思いますが、有給はみんなに与えられた権利ですので、会社側は社員が使えるような環境を作るのが義務だと思います。

それを申し訳ないもの、できれば使わない方がいいものにしてしまうのはなんとも厳しい世の中だなぁと思います。


それで、他人のことは横に置いといて、私たちの場合で考えると「個人経営のゲストハウス」と「子育て」なので、会社とはまた違います。
お店は予約が入ったら休めません。
その代わり、自分の都合で休みにすることができます。
潜在顧客を断ることもありますし、売り上げがなくなってもったいないと思うことはありますが、でも誰も悪くありません。
むしろ休むことも仕事の一つです。


それで、子育てはどうかなと考えてみると、うちは完全母乳で妻は定期的に母乳をあげないといけないので、妻が丸一日休むのは難しいです。
私はいてもいなくても大丈夫なので、休もうと思えば休めます。

これ、妻すごく大変ですよね。
今は男性が育児に「参加」してくれる家庭が多いようですが、どうしても主体は女性側にあります。だから、私もできることはやるようにしていますが、はっきり言ってお手伝い程度です。

それでも、疲れた時に休めるってのはどうなんでしょう。

どうにも妻は「休ませてもらってる」感覚があるみたいなので、もっと気軽に休める環境と関係性を築いていくのが、私の任務のようです。

この仕事と家事と育児の分担についてはもうちょっと深く考えて見た方がいいような気がします。

それではまた明日!


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