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アイルランド神話の装身具

ケルト人が極めて装飾好きであり、高い関心を払っていたことは、大陸側でも島嶼側でも同様で、彼らの美術はその非常に高いレベルのために有名です。今回は、そのなかでもアイルランド神話の中の装身具に注目してみました。ケルト人の美術については、『図説 ケルトの歴史―文化・美術・神話をよむ』(松村一男・鶴岡真弓)や『ケルトの美術と文明』(ロイド&ジェニファー・ラング著、鶴岡真弓訳)をご参照なさるとよいでしょう。特に後者は非常に豊富な図版があり、非常におすすめです。


1.指輪

現在翻訳中のアイルランドの神話「マグ・トゥレドの戦い」において、指輪が印象的な使われ方をしています。

神族トゥアサ・デー・ダナンの女神エーリゥが寂しさに悲しんでいるとき、海から悪魔フォモーレ族の男、デルバイスの息子エラサが現れました。エラサはエーリゥと供寝し、息子を授けますが、ことが済むと彼女のもとを離れてしまいます。別れ際に彼は、自分のしていた金の指輪を彼女に与え、それがぴったりはまる人以外には、誰にも売ったり贈ったりしないよう言い含めました。そして、生まれてくる息子に付けるべき名前を指示して去って行くのです。

生まれた息子は母方の親族であるトゥアサ・デー・ダナンのもとで育てられました。彼は驚異的な速さで成長し、トゥアサ・デー・ダナンの王となります。それがトゥアサ・デー・ダナンを苦しめ、フォモーレ族に服従させたブレス王です。

その後、ブレスはその吝嗇故に追放され、母である女神エーリゥとともに、父方の親族であるフォモーレ族を訪い、そこで父エラサに見出されます。その目印となったのが、エラサがエーリゥに与えた指輪でした。エラサが与えた指輪がぴったりとはまるのは、その息子ブレスだけだったのです。(「マグ・トゥレドの戦い」、¶15~44、リンク先で拙訳を閲読可能)

「女に息子を授け、一夜にして去り、その際に預けた指輪によって、成長した息子を判別する」という、このモチーフは、私の知る限りでも、アイルランドの神話にもう一つ、不完全な形ながら存在します。それは「アイフェの一人息子の死」(あるいは「コンラの死」とも)におけるもので、父親は英雄クー・フリンになります。彼が女戦士スカーサハのもとで武術の修行をしていた時、彼はスカーサハのライバルである女戦士アイフェを倒し、彼女を連れ帰って交わります。その際に授かったのが息子コンラであり、エラサと同じく金の指輪(別のバージョンでは金の腕輪)をアイフェに与えて去りました。ただし、父親であるクー・フリンは名前については言及していませんし、息子であるとわかるのも指輪のためではありません。しかし、先に示した話と明白な類似があることは確かだと思われます。


2.ブローチ

アイルランドにおいて、衣服を留めるブローチは非常にポピュラーな装身具です。次の二つの場面を見てみましょう。一つは上述の「マグ・トゥレドの戦い」における、エラサがエーリゥのもとを訪れる場面です。後者は「ブリクリウの饗宴」でクー・フリンがアルスター国の他の二人の英雄(コナル・ケルナッハとロイガレ・ブアダハ)とともにコナハト国へ行った際、女王メイヴの娘フィンナヴァルがその様子を描写したものです。

そして彼女が見たのは、この上なく美しい男だった。肩まで流れ落ちる黄金の髪。二本の金糸が入った外套。金糸の刺繍がされた胴着。胸の上で外套を留めている、貴石の嵌った、輝く金のブローチ。二本の輝く銀の槍の穂先と、それらに刺さった、鋲を打たれ光沢を放つ青銅の柄。首の周りの五つの金の頭環。黄金の柄を持つ、銀の象嵌が施された、中央部が黄金の刀身を持つ剣。(マグ・トゥレドの戦い、¶16、拙訳
仕立ての良いぴったりの真紅の上着を着ています。
黄金のブローチが
上着の襟のところの
白い胸の上に留められていて

勢いよくぶつかっています。(ブリクリウの饗宴、¶51、拙訳

どちらも金のブローチをしていますね。例に漏れずアイルランドでも、金は最高の金属でした。同じ「ブリクリウの饗宴」で、女王メイヴは三人の英雄の差を、金属に喩えてこう言っています。

「青銅と琥珀金の間にわたる違いがロイガレ・ブアダハとコナル・ケルナッハの間にある差であり、そしてまた」とさらに続けて曰く、「琥珀金と赤い金との違いがコナル・ケルナッハとクー・フリンの間の差だからだ」(¶58、拙訳

青銅は銅と錫の合金で、琥珀金(エレクトラムとも)とは金と銀の合金、赤い金と呼ばれているのは金の中でも貴い金です。この後、メイヴはロイガレに装飾の施された真鍮(銅と亜鉛の合金)のカップを与えました。コナルには琥珀金のカップ、そしてクー・フリンには赤い金のカップに加え、竜石という大きな宝石を与えました。彼らに与えた宝物の序列が、そのまま英雄たちの序列を表しているということなのです。

話を戻しますが、このブローチというのはどのような形なのかといいますと、アイルランドの美術で特に名高いのが「準環状ブローチ」というものです。これに関しては説明するより見せた方が早いと思いますので、写真をお見せします。アイルランドの国宝である、7~8世紀に作られた「タラのブローチ」(アイルランド国立博物館蔵)です。

Ardagh Hoard - Irish Heritage Urns より、2019/8/4。サイトではもう少し大きな画像が見れます。

有名な画像だが出所不明。

どちらもTara Brooch(Wikipedia英語版)より。

非常に精緻な装飾が施された主に金製のブローチです。この針のように先のとがったピンで衣服を留めるのでしょう。偏執的なまでに詰め込まれた模様はアイルランドの美術の特徴です。この特徴は、同じくアイルランドの国宝である聖書装飾写本「ケルズの書」の装飾などにも共通してみられます。神話の中にみられるブローチが、必ずしもこのような準環状型であるとは限りませんが、英雄たちがこのように美しい装身具で身を飾っていれば、まことに神々しい姿であったことでしょう。


3.トルク

ケルト人の装身具として特徴的なのが、ねじり首輪である「トルク」です。キアラン・カーソン『トーイン クアルンゲの牛獲り』では、クー・フリンの「歪み」を「トルクの発作」と解釈しています。しかし実のところトルクは、島嶼ケルトの神話では「めったに出てこない」(ミランダ・グリーン『ケルト神話・伝説事典』、p. 178)ようです。実際、いろいろな場面を見てみても、首輪をしているという描写は管見の限り見つかりません。トルクはもっぱら大陸の遺物と図像に見られます。

ヴァルトアルゲスハイム様式の黄金製トルク、Balkan Celtsより。

また大陸ケルトのみならず、かのブリテン島の女王ボウディッカ(ブーディカ)もまた、常にトルクを身に着けていたとの報告がローマ側からなされています。ボウディッカの領地スネッティシャムからは見事な金製のトルクが出土しています(以下の画像)。

スネッティシャムのトルク、Snettisham Hoardより出土、紀元前70年ごろ、大英博物館蔵、Torc(Wikipedia英語版)より。

トルクは大陸ケルトの神々の図像にもみられます。有名な銀製容器「ゴネストロップの大釜」(紀元前200年~紀元後300年ごろ、デンマークで出土)では、ケルヌンノスと呼ばれる角の生えた神や、角の生えていない神がトルクをつけているのが観察されます。

ゴネストロップの大釜のケルヌンノス(鹿角の神)の図像。首と右手にトルク。Gundestrup cauldron(Wikipedia英語版)より

ゴネストロップの大釜の神の図。首にトルク。引用元は同上。

トルクは多く神々の首を飾っていることから、単なる飾りではなく、神聖な力あるいは魔術的な力を持っていると解釈されるようです。神々の図像以外には、生贄にされた人や、高貴な人物が身に着けていることも、この裏付けとなるようです。同様の理由で、トルクは社会的身分を表すものでもあったようです(Patricia Monaghan, "The Encyclopedia of Celtic Mythology and Folklore", p. 451およびベルンハルト・マイヤー『ケルト事典』p. 163)。


少々短いですが、今回の内容は以上になります。翻訳をする過程で気になったので調べてみました。トルクについて、調べるまではアイルランドでもあるものと思い込んでいたので勉強になりました。最初に引用した二つの描写から、アイルランドにおいても装身具や装飾への関心が高いことが推察できますね。また、トルクが単なる装身具ではないことから、アイルランドにおけるブローチや指輪にも、霊的な力があると考えられていた可能性が期待できますね。それではまた。


引用文献

・マグ・トゥレドの戦い:
[ed.] [tr.] Gray, Elizabeth A., Cath Maige Tuired: The second battle of Mag Tuired, Irish Texts Society 52, Kildare: Irish Texts Society, 1982. http://www.ucc.ie/celt/published/T300010
拙訳:https://note.mu/p_pakira/m/mf413463da04c

・アイフェの一人息子の死
[ed.] [tr.] Meyer, Kuno [ed. and tr.], “The death of Conla”, Ériu 1 (1904): 113–121.
[ed.] [tr.] O'Keeffe, J. G. [ed. and tr.], “Cuchulinn and Conlaech”, Ériu 1 (1904): 123–127.
https://archive.org/details/riujournalschoo02acadgoog

・ブリクリウの饗宴
Proinsias Mac Cana and Edgar Slotkin (ed. & tr.), Fled Bricrenn, Irish Text Society, 2005.
https://irishtextssociety.org/texts/fledbricrenn.html
拙訳:https://note.mu/p_pakira/m/m17f81a61e09b


参照文献

・ロイド&ジェニファー・ラング著、鶴岡真弓訳、『ケルトの芸術と文明』、創元社、2008年[1992]

・松村一男、鶴岡真弓著、『図説 ケルトの歴史―文化・美術・神話をよむ』、河出書房新社、1999年

・ベルンハルト・マイヤー著、鶴岡真弓監修、平島直一郎訳、『ケルト事典』、創元社、2001年[1996]

・ミランダ・グリーン著、鶴岡真弓監訳、『ケルト神話・伝説事典』、東京書籍、2006年[1992]

・Patricia Monaghan, "The Encyclopedia of Celtic Mythology and Folklore", Checkmark Books, 2004.

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