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そんなことを考えている、島の端っこ

すでにある一定の評価を得ているものに手をつけてヒットさせるよりも、誰も手をつけていない、ブルーオーシャンを自分で見つけることは、おもしろい。

新しい価値を生むこと。それを見つける人は、誰とも違う価値観があるから、たとえ後から誰かに真似されたって、へっちゃらなんだ。でも、流行りにのっかっていく人たちは「飽きちゃった」と、次の新しいものへとサーフィンのように波を乗り換えて、食らいつく。

タピオカもカヌレも、ナタデココ、フランダンス、ヨガ、ゆるキャラ、ギャル、ウーパールーパー、たまごっち、ジュリアナ東京。

どれも、1番最初に生み出したり見つけた人の思いは、流行らせようというのもあるかもしれないけど、感動があったり、ストーリーがあったり、その人じゃないとここまで大きくならなかった何か、その人にしかない想いがあったはずで。だから、流行りもんになると、ちょっと本質的じゃないので、嫌なのである。


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タピオカが本当に好きならアフリカのキャッサバも好きになるだろうし、ヨガならアーユルヴェーダにたどり着いて太白胡麻油をキュアリングして体に塗りたくるだろうし、ウーパールーパーも、たまごっちも、自分の中の本当のこととつながったら、いまだに飼っているかもしれない。

そんなふうに思っていて、そう動きはじめてから、私は途中で辞めたことを挫折とは全く思っていない。( 自分の中でやりきったことは、逆にもう全く手をつけていない。)  また、必ずどこかで続けるものなので、おやすみだと思っている。それっていうのは、単に行動として習っていればやっていることじゃないと思うからだ。単に、それを身につけていれば、いいってもんでもないし、かっこうよく、それっぽく続けていればOKということでも全然ないからだ。


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いつも自分の中にあって、いつでも考える時の一端を担っていて、誰かと話す時の土台となっているような。そういうものに触れ合っていると、なおさらに、アピールとしての美しさは時に悲しく、思えてくる。

そんなことを考えている、島の端っこです。( 詳しくは前の記事を )








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