なぜ私は「理」を考えるのか⑤

感情の中の「理」を取り出す方法

 前回感情の分解の方法、そして取り出されるものがまるで因数分解の項のように掛け合わさっていることを説明した。その中で感情に省略されている部分を補わなければ分解はできないことも述べた。
 そして”事象に対応する感情は一つだけだ。必ず一対一対応になる。”との記述はやや語弊が生じてしまうので訂正する。
 正しくは”分解した感情の項に対応する感情は一つだけ”という表現になる。

感情は「理」である。

 「理」の定義を確認しよう。”それ”が”そこ”にある理由であり、正しさの最小単位である。私達が普遍的に感じることができるのは、目で見たものでも触れたものでも聞いたものでもない。感じた「感情」である。そのため、”感情”は”心(でも胸でも頭でもどこでもいいが)”に存在する。これが「理」だ。
 そして分解した感情の項、つまり最小単位まで感情を分解することで、ようやくその項に「理」は存在する。最小まで分解したと思っていても、その中に「理」が二つあれば、それは最小単位ではない。そのため、私達が「理」を求めるために感情を分解するのならば、一対一対応で”なければならない”のだ。

事象に対する感情の分解例

【事象】
自分の前にケーキが置かれた → ”自分の”+”前に”+”ケーキが置かれた”
《感情》
(ケーキは美味しいから、食べたい。それが自分のもので)嬉しい
【事象】
嫌な人の前にケーキが置かれた → ”嫌な人の”+”前に”+”ケーキが置かれた”
《感情》
(ケーキは美味しいから、食べたい。それが自分のものでなくて)ムカつく

 さて、前回から使っている例を引っ張り出そう。【事象】と《感情》をそれぞれ分解する。《感情》の()内は省略されている感情である。私達が考えなければならない、分解しなければならない感情は、()部分も含めたものである。
 さて、ここで

【事象】
自分の前にケーキが置かれた → ”自分の”+”前に”+”ケーキが置かれた”
《感情》
ケーキは美味しい+から+食べたい+自分のもの+で+嬉しい
【事象】
嫌な人の前にケーキが置かれた → ”嫌な人の”+”前に”+”ケーキが置かれた”
《感情》
ケーキは美味しい+から+食べたい+自分のもの+でないので+ムカつく

 大まかに感情を分解した。一目瞭然だが、上の事象では嬉しいのは、「自分のものだから」ということになる。下の事象でムカつくのは「自分のものではないので」ということになる。そしてそれ以外は「ケーキは美味しいから食べたい」という感情と対応することになる。”ケーキが食べたいという欲求からくる感情”が”心”にあることになる。これは一見して「理」である。故にこれは「正しい」ことになるのである。

では「ケーキは美味しいから食べたい」は最小単位なのか

 ここまでの内容を読めば、今回の冒頭で述べた、感情の項の最小単位を求めなければならない、という点から考えると、「ケーキは美味しいから食べたいっていうのは最小単位ではないのではないか?」と思う人もいると思う。

 いや、他でもない私自身がそう思っているのだから。

 次回はその点について述べたいと思う。本当はもう少し書きたいと思うのだが、1000字程度と割り切っているためご容赦頂きたい。


今回はここまで。適宜理論の穴などがあれば指摘いただければ幸いである。

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