なぜ私は小説が書きたかったのか「魔法使いになりたかっただけ」編 その2
科学の発展の恩恵「便利さ」
我々は科学の発展によって様々な恩恵を受けている。わかりやすいもので言えばインターネットが最たる例で、20年前では考えられないほど情報へのアクセスがしやすくなっている。今やネットで完結できないことなどほとんどないくらいだ。それは果たして望ましいことなのだろうか。
無駄から生まれるなにかと、便利さから生まれるなにか
主人公はかつての友人、玲子が行方不明になったと知る。効率を愛していた彼女とは長らく連絡を取っていなかったが、ある日自宅に玲子から荷物が届いていた。その中には彼女の日記と”あるもの”が入っていて……というストーリーだ。この作品には基本的には主人公しか登場しない。玲子については語られるのは日記だけの内容である。
玲子は便利さを求めていた。田舎にいる間を無駄と考え、早々と東京にでた彼女は都会の便利さに惹かれながらもだんだんとそれが退屈になってきた。
その退屈さを、彼女は結局不便であると判断してしまう。そんな彼女に魔法がもたらされるのだ。
魔法とは何か
散々語り尽くされた議論で、発展しすぎた科学はもはや魔法である、というものがある。これは至極真っ当で、現代におけるスマホなんて50年前に持っていったら魔法である。我々は発展した科学で便利になりながらも、だんだんそれになれていってしまい不満を持つようになる。そしてもっと良いものを、と追い求める。
その終点はどこにあるのか。そして終点にたどり着いたとき、私たちはどうなってしまうのか。
無駄の一切ない生活とはどのようなものなのか。考えてみても良いのかもしれない。
結果として主人公の考えが正しいのかどうか
主人公は最後にこう思っている。なぜ彼女はわざわざこう思っていたのか。なぜ彼女はこれを玲子に言わなかったのか。玲子となぜ友達だったのか。
それこそが、全て無駄なこと、だったのだろうか。
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