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⭐️学び:「権威に弱い」というバイアスについて

ぼくは心理学の「学術的」な専門家ではないが、心理学を実践してもう長い。机上の空論ではなく、自分自身にも心理学的な実験を試みている。実践家といってもバチはあたらない。

また、哲学の「学術的」な専門家ではないが、哲学を実践にどう活かすか、真理に従うとはどういうことなのかについての実践家でもある。
実践家は専門家とは呼ばれない。

通常、「専門家の話」という「権威」があれば信用度がだいぶちがうものだ。専門家の話なら間違いないと思い込んでいる人は多い。
また、専門家の話だと前置きしておけば、間違ったとしても「だって専門家が…」と言えばいい。保険として使えるのだ。

専門家ではないが、それ以上に詳しいマニアックな一般人も時折いる。しかし、残念ながらそういった人には「権威」がない。

本や音楽などをマニアックに好きな人の話は、尋ねればそこらへんの専門家よりも役に立つものだ。それを見抜けるかは自分の経験値と目的と向上心によるだろう。

ぼくが実践してわかったのは、権威がないと、いくら正しいことを「これは〇〇だ」と主張してもそっぽをむかれる。

人間は、専門家と同じ話をしても話の内容を考察するのではなく権威があるかどうかを判断材料にするのだ。

専門家という権威があっても使えない話はいくらでもある。
反対に権威などなくても「この人すごいな」という人もいる。
ぼくはそういったことを知っているから「権威」があるからといって信用したりしない。

「権威に弱い」という人間の心理的なバイアスは、かえって自分の意見を主張する際の足かせになるものだ。

権威に弱い人ほど自分の意見が持てず、ウケウリばかりが得意になり、権威のない者に対する差別意識が強く表れるものだ。

これを避けるには、偏見に注意して権威抜きで他人の意見を理解しようとする日頃の強い努力がいる。何が正しくて何が正しくないかを考える力がいるのだ。

「noteはその努力にもってこいの場である」

この意見に対して「何だコイツ、専門家でもないくせに!」というなら権威への弱さを乗り越えることは難しいだろう。
この程度の意見なら権威もクソもない。一般的な話である。それがわからないとしたら問題ありだ。

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