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⭐️学び: 「わかってほしい」と言う前に…

「自分をわかって欲しい」という人がいる。
一体何を望んでいるのだろうと思うことがある。自分の何をわかって欲しいのだろう。

何の情報も与えてくれないのに、何をわかれというのだろう。

こんな言い方もある。「寄り添ってくれているだけでいい」「言葉なんていらない」、それらが望むのはどんな世界なのだろう。

そんな言い方に違和感を覚えるという話は聞かない。この世界観をわかって欲しいと言われて理解できる人がいるのだろうか。

ぼくは日々noteへの投稿を繰り返しているが、残念ながら簡単に理解されることはない。これについては多くの人が思っていることではないだろうか。
わかってもらえないのだ。

自分の経験してきたことや立場、年齢、性別、課題、対処法が違うから仕方がない。

余談だが、抑鬱は出口の見えない心理状態が続くことによって生じやすいと言われる。
このことから何がいえるだろうか。
この答えは与えられるのではなく、求めるものだ。このことは理解して欲しいと思っている。

ぼくが答えを与えることは出来ないが、どう考えるかのきっかけは与えることはできるだろう。

出口の見えない心理状態を、出口の見える心理状態に変えるには、答えを与えることではないのだ。このことをわかってほしい。

情報を与えてくれないと「わかってほしい」と言われても、わかってほしいことがわからないのだ。五里霧中だ。

情報を与えても滅多にわかってもらえないのに、情報がなければ全くわからないのだ。

ぜひ一度「わかってほしい」と言う前に「わかってあげたい」という立場に立ってみてはどうだろうか。

興味ない?その思いは、おそらく周りのみんなが思っていることだろう。
最初から有り得ない願望だったということだ。

だからこそ有ることが難しいことに出会うと、「有り難い」と感謝することを覚えるのではないだろうか。

ぼくは「有難い」という言葉の意味がやっとわかってきた。「わかってほしい」とは反対の気持ちを持つことだったのだ。

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