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⭐️エッセイ: 他人であっても良い人を探せというのは真実である

人間ギライのような発言をする人が多い。身内なら全てを信じ切ることが出来るが、他人は信用出来ないということなのだろう。

自分を変えたいと言う人でさえそのことが理解出来ない人もいる。

ぼくは常々「他人であっても良い人を探せ」と言っているし、事実、そのように心がけてもいる。

人間社会を生きていく上で他人と付き合うことは避けることはできない。その他人に疑心暗鬼になったり、距離を置こうと要らぬ労力を使う。
ま、こんなことを書きながら今手が止まった。無理もない話をしようとしている自分に気づく。

ぼくはいろんなことをやろうとしてヘマをする。やらなくてもいいことなのかもしれないが、やらないと気が済まないのかもしれない。

そんなぼくでも良い人かどうかを見抜く力はあると思っている。
ぼくが困っていると、いつも、他人なのに助けてくれる人もいる。頼めば心よく引き受けてくれもする。人徳などないにも関わらずだ。

ぼくに人徳があるのではなく、ぼくを助けてくれる人に人徳があるのだ。ぼくはそんな人たちに何を返せばいいのかと悩みもする。

最低限、ぼくの出来ることは、そういった良い人たちに損をさせないことだと考えている。得なことはできないかもしれないけれど、損だけはさせてはならないと考えているのだ。

一般的にみれば、ぼくの行動は、「コイツ、いい歳こいて何やってんだ」と思われるはずだ。もっとも、年齢を重ねる毎に誰からも興味を持たれることはないからその不安は杞憂に終わるだろう。そんな話はどうでもいい。

「他人であっても良い人を探せ」というのは真実である。
変な人ばかり見過ぎて「良い人」を探すのを忘れてはいないだろうか。

「あなたは良い人ですか」と訊かれて「はい」と答えられる人はどれくらいいるだろう。

ぼくは良い人を目指さなくてはならない。いつも助けてもらってばかりいるからだ。

良い人からの影響は自分を変える。そう思えない人は良い人なのだろうか。

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