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雑務ばっかりやっていたら、CZO(チーフ雑務オフィサー)になってた話

何者かになりたかったけど、自分は何者でもない。
これが得意。あの人にはこれを任せれば大丈夫。
そんな旗印のようなものが欲しかった。

昔から学校の勉強は、全教科で80点をとって、平均点が80点みたいな、これが得意、これが苦手、そうしたことも言えない没個性の塊だった。

社会人になると、周りと同じように文系の王道ルートにのかって営業職になった。そこそこの成績で可もなく不可もなく。めちゃくちゃできないわけでもないけど、好きでもないし、得意でも苦手でもないキャリアを歩んできた。

そんな僕はKOKUAという防災ベンチャーを大学時代の先輩と立ち上げることになって、今は取締役CZO(チーフ雑務オフィサー)として働いている。

Chief Zatsumu Officer=最高雑務責任者として、創業期における、「この仕事誰もやったことないけど、誰かがやらないといけない」という職務全般を担当。広報、会計、総務、物流、デザイン、マーケ、営業、企画など、幅広い領域で運用を担う。

株式会社KOKUA HPより

雑務、雑用、粗雑、雑念、雑草…など””にはネガティブな意味が多いように思う。雑務と聞くとホッチキス止めやお茶くみが想起される。取るに足らない誰でもできる仕事。

でも、その雑務をあえてポジティブに捉えると””には、いろんな側面がある。

・いろいろなものが入りまじっていること。
・区別できないもの。まとまりがない。
・主要でないもの。

この、ひとまとまりにできず、いろんなものが入り混じって体系化されていない状態は、まさに創業初期の会社や少人数の会社に求められる視点ともいえる。
区切りがないから、横断的に特定領域に縛られずに考えられる。
そして、誰もが主要と思っていないからこそ、誰も気づいていない意外な価値を見出せる。(…かもしれない。)

そんな専門性も何もなく、何者でもない人間が、雑用ばっかりしてたらいつの間にか取締役CZOになっていたという話と、専門性や強みに囚われない生き方もありかもしれないって話をまとめてみました。


何者でもない自分は、取っ替えのきく代用品。

KOKUAは東日本大震災の被災地ボランティアをきっかけに、社会人になってからも10年間ぐらい被災地支援を続けてきたメンバーで運営する防災ベンチャー。

僕はこの会社の創業メンバーとして入社した。
入社当初は、営業や新規事業スキルに優れた社長と、エンジニアやPdMスキルに優れた副社長のもとで、何をやればいいのか全く分からなかった。

自分よりも営業ができる社長がいて、営業しかやっていないのに営業スキルで劣る自分には、いったい何の価値があるのだろうと。

僕に任されたのは、目の前の成果に直結する重要度の高い仕事ではなく、会社を運営するために必要なこなさなければいけない仕事、いわゆる雑務だった。
会社を立ち上げるとなると、想像以上に守りの作業が多い。契約、受発注、請求、会計、仕入、発送、梱包など、上げ出せばきりがない。

何者でもない僕には、誰でもできる仕事が渡された。
でも、それでもいいと思っていた。
組織で何も貢献できない状態になるより、どんなに小さくても貢献できていることがあるほうが幸せだ。とこのときは思っていた。


何でもやったのに、何にもできやしない。

ベンチャーは生きるか、死ぬか。明日にも資金がなくなるかもしれない。
何とかのらりくらり、紙一重で生き延びていく。
そんな状態で、雑務だけでいいはずもなく、生き延びるための成果を求められた。売上をあげるための新規プロジェクトの営業。キャリアとしては営業しかやっていないので、当たり前の話なんだけど、半年間ぐらいやって全く成果は出なかった。

「営業しかやっていないのに、営業もろくにできやしない…」

文系の自分には営業しか道がないと思って選んできたけど、その分野で成果を出せないとき、自分より明らかにできる人がいて、自分の価値が発揮できないときには、どうしたらいいんだろうか。

世の中では、専門性が声高に求められる。
誰にも負けない唯一の強みを持てと言われる。
将来ややりたいことはなんだと言われる。

ああ…生きづらい。そんなことがわかったら誰も苦労はしない。

強みになる才能なんて持っていないし、これが自分の道だと確信も持てない。
だから、多くの人が歩んでいる正解みたいな道を歩こうとしていた。
でもやっぱり無理だった。

入社してからいろんな仕事をなんでもやった。
でも、何でもやってたのに、何にもできなかった。

これが強みと自覚できるような能力も、誰かに信頼してもらえるような専門性も何も積み重なっていなかった。

誰も自分を何者かにしてくれない。道を選んでもくれない。

会社が潰れそうになったとき、
諦めと開き直りがおきた。

何かやってきたと思いたかった自分を必死に否定しないように目を背けていた。
大企業にいた自分、営業で賞を取った自分、肩書きがあった自分。ちょっとは貢献していると思っていた自分。

全部、自分の力ではない。誰かや周りのおかげでしかない。
そこに自分としての血肉や創意工夫はなかった。
自分は何もやってこなかったと。誰かに何か能力や機会を与えられるのをただ待っていただけだと、自然と受け入れられた。

どうせ何もやれていないんだから、何か最後にあがいて終わろうと開き直った。

専門がないことを専門にする。

そこからは、
自分なりに仕事をこなすのではなく本を読んで実践するようにした。
自分なりに目的や手段を考え尽くすようにした。
朝早く起きて土日は休まず働くようにした。
毎週何ができて、何ができないか、どうすればいいかを振り返るようにした。

そんな生活を半年、一年と続けていると、少しずつできることが増えてきた。

社内の誰もやったことがないことが少しはできるようになっていった。
誰も価値を感じていなかったことの価値が見直されるようになっていった。

ただの会計業務が、管理会計や経営計画の視点になった。
ただの物流業務が、コスト視点やキャッシュフローの視点になった。
ただの営業業務が、経営戦略や営業戦略、マーケティングの視点になった。
ただの問い合わせ対応が、アライアンス提携や新規事業の視点になった。

そして、いつしか取締役になっていた。

まだまだ、専門的にやっている人の足元にも及ばない。
でも、僕はそういう生き方はできない。

誰もやったことがないけど誰かがやらないといけない、まとまりのない、未知の””な状態の仕事を引き受けて、形にしていく。

区別できないし、主要だと思われていない””な状態の物事に、こういう価値があるかもしれないと新しい見方を提案していく。

それが、CZO(チーフ雑務オフィサー)としての僕の仕事。


うまく言葉にできないし、短期的な目に見える成果は生み出しづらいかもしれない。俗っぽい感じだとキャリアとしては不器用な生き方かもしれない。

でも、最初から、この道に進む。自分はこれが好き。これが得意。そんな風に思えないから、まずは“雑多”に。完璧を求めずありのまま。目の前のことに取り組んでみる。
横断的にいろんな仕事をやっているからこそ、いろんなことに気づける面がある。いろんな別の視点がつながってくる。

スティーブ・ジョブズが、カリグラフィーを学んでいたように。
レオナルド・ダ・ヴィンチやデカルトや、ニュートン、マルクス、ありとあらゆる偉人が横断的に学んでいたように、そんな専門的な道に縛られない生き方もありかもしれない。

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