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自分にとって心地よい場所に身を置こう

大人になると、
どんな環境に身を置くか
どんな人とつながるか
どんな価値観の中で生きていくか
自分で選ぶことができます。

ならば自分にとって心地よい場所、わくわくする場所、気分が上がる場所を選びませんか?

幼い頃、学生の頃は自分の意志で身を置く場所を選択することが難しかったかもしれません。
特に公立学校の場合は、住む場所によって通う学校が決められています。
そこへ通う子供達も自分でこの学校がいいからと選択して通っている訳ではありません。

ですから、
その場所で居場所がないように感じたり、居心地が悪かったとしても何の不思議もないのです。
ただ自分には合わない環境だったというだけ。

一歩外へ出ると、そこには様々な価値観の世界が存在しているのに、
自分が今いる世界がすべてだと思い込んでしまう。

それはなぜでしょうか?
きっと、幼い頃はこの「一歩外へ出る」ということが難しいからではないでしょうか?

本当は自分が今いる世界の他に、様々な世界や生き方があるということ。
それを見せてくれる大人がどれだけいるでしょう。

私の周りにはほとんどいませんでした。
近くにいる大人たちはみな、似たような価値観を持ち、似たような生活をしている。
そのような環境の中で育った私も彼らと同じような価値観を持つようになったのはごく自然なことだと思います。

学校生活では、何となく周りと合わせて浮かないように目立たないように過ごしてはいるものの、何だかもやもやする感覚は常にありました。

ですがそのもやもやの原因は何なのか、自分でも分からず、私がおかしいのかな、ただの気のせいかな、と見て見ぬふり、感じないふりをしていたように思います。
そのもやもやの原因が、身を置いている環境にあるとは考えもしませんでした。

大人になった今、ようやくそのことに気がつき始めたようです。
世界には色んな人がいて、色んな価値観がある。
色んな生き方がある。
今いる場所がすべてではない。
人の数だけ生き方がある。
その生き方は自分にしか分からない。

私の意識は常に外に向いていました。
周りの人達がどう動いているのか、どう感じているのか、どう生きているのか、どう反応するのか。
それらを細かく観察し、察知し、それに合わせて自分がどう動くかを決めていました。

「他人軸」という言葉が最もしっくりくる言葉かもしれません。
大人になった私が、
どう生きたいのか分からない、どう感じているのか分からない状態にあるのは、これまで頼りにしてきた価値観から離れ、これまで周りにいた人達がそれぞれの選択をし、それぞれの人生を歩んでいる姿を目にするようになったことが大きいのではないかと思います。

私はこれまで彼らの価値観に乗っかって、何となく生きてきた。
その価値観がなくなった今、自分の道に迷うのは当然かもしれません。

その事実に気がついた今、
今さら遅いと自分の人生を諦めることはしたくありません。

人にはそれぞれ歩くペースがある。
私はそれが人よりゆっくりなのかもしれない。
周囲と比べて世界を理解していく速度がゆっくりなのかもしれません。
周りの大半が自分の軸に気がつくであろう時期には気がつかなかった。

でも今、気がついた。
そうであれば、これから少しずつ私との信頼関係を築いていけばいい。
そう感じています。

いつからでも遅くない。
気がついたときがタイミング。

これからは
どんな環境に身を置くか
どんな人とつながるか
どんな価値観のなかで生きていくか
自分の意志で選択して行きましょう✨


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