きらきら人生

 プラスチックの棚の上に、段ボールが一つ。かつては、実家から届いた食べ物がびっしりと詰まっている箱だった。届いてから1週間もしないうちに全てを食べつくし、今となっては物入れみたいなゴミ箱だ。そんな箱がこの部屋にはあと4つ、散らかっている。適当に本を入れている箱。取り込んだ洗濯物を入れている箱。クローゼットに収まりきらない服の入った箱。それら全部を詰め込んだ箱。まるで自分みたいで、醜かった。

 私は服が大好きだ。正確には、お気に入りの服を着ている自分が大好きだ。服そのものへの敬意や愛情なんてこれっぽっちもなく、私に着られていない服はただのゴミだった。人の目を気にしすぎた人間の末路。そして多分、それは服に限ったことではない。TOEICの参考書や新聞も床に散らかっていて、私は平気で踏みつけてしまえる。飲み終わったジュースや缶ビールも倒れている。本日の“用無し”は、全てゴミでしかなかった。そんなゴミだらけの空間で、私はいつも眠りについている。だからきっと、私もゴミ。

 この部屋に一生誰も入ってこない確証があるのならば、私は何も心配する必要なんてない。だけれど、友達を呼ぶかもしれないし、親が様子を見にやってくるかもしれないし。自分が不慮の事故か何かで突然この世を去ることになったら、この汚部屋を家族に知られることになるし。だから私は、この汚い部屋が嫌で仕方がない。片付けなくてはいけないと焦る。でも自分もゴミだから、片付け方が分からない。というより、仲間がいなくなるのが怖いんだろう。自分の醜さを、少しでも見過ごしたくて。

 斜め右のブラッドピットと目が合う。ペラペラの紙の上にいる彼の方がずっと、重厚で高貴だ。当たり前に、敵いやしない。

 自分を人間として扱えない。認められない。そんな悪夢に、いつからか私はのめり込んでしまっていた。

 ブラッドピットのポスターの左下が、壁から離れる。そしてそのままくるっと上を向いた。彼はやはり紙の中にいる。ブラッドピットの余裕、のような感じだ。西日がカーテンの隙間を通って、私を照らしてくれるけれど。おでこのニキビや頬を伝う雫が目立って、よりゴミとしての特徴を捉えられてしまうだけだった。

 こういう人間だ、と割り切っていいのかも分からない。ゴミのままでいることのメリットもデメリットも見当たらない。ただ私から吐き出される唯一のものは、言葉だけ。汚くて不格好で未熟な言葉だけが、たった一瞬の希望みたいな面(つら)をしているような気がする。気がするだけで、信用ならない。それでも言葉しか作れないのならば。下手くそなままで、綴ってみるしかないのだろう。そうしていないと、生きる術も理由も、何もかもが消えてしまいそうで。

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