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パニック障害になってからのこと3

ー コロナ禍での短大生活 ー

前回の投稿で、以前開設していたブログに載せていたものは最後になります。

↓前回の記事


ここからはこちらで載せるものが最新版(過去に載せたことのないもの)です。

noteに投稿するようになり、以前のブログよりもはるかに読んでいただけているようでかなり嬉しいです。

あと「スキ」という機能、とても可愛くて気に入っています。
私の書いたものに反応いただけることがこんなに嬉しいなんて、、
ありがとうございます。

それでは、本題に入りましょう!



前回は、パニック障害と診断された私が薬物療法を初め、短大に入学するところまでをお話ししました。

短大のスタートは、コロナがはじまったばかりということもあり何をするにも手探り。
沢山の制限のかかった状態でした。
健康診断、オリエンテーション、クラスのお互いの自己紹介に至るまで、自由に発言したりできません。

寮での生活も、入寮式や歓迎会などは最小限の規模で行われ、合同食事会なども規制がかかっていました。
(私はみんなとご飯が食べられないので、事情を話し自室で食べさせてもらいました。)
このときも発作と戦いながら、次から次へと襲ってくる不安をかき消し 渡辺直美さんのYouTubeに助けられながら、短大生活の始まりの数日間を過ごしたことを覚えています。


オリエンテーション後、しばらくは登校日もないということで一旦実家へ帰り、実家からオンラインで授業を受けました。
ただ、学校側も初めてのオンライン形式での授業。
緊急事態宣言も出てしまい、オンラインでの体制が整っていませんでした。

それによって起こった問題が一つ。

全ての人が不要普及の外出を制限されるわけですから、教員間でも連携が取るのが難しかったようで、それぞれの教科から大量の課題が毎日送られてきてしまいました。

え〜!短大ってこんなにやること多いの!?
対面授業だったらもう少しマシな課題量だったのかな?
いやいや、短大だからやっぱり勉強量が2年間に集中してるのかな!?

そんなことを考えながら、初めての短大での勉強は何が正解なのか分からず必死で課題をこなしていきました。
先生たちの顔も声も人柄も知らないまま。
そしてもちろん、発作と戦いながら。
(後に教員間での連携不足により課題の量が多すぎたと連絡があり、少し期限を伸ばしてもらえたり量もひとつずつこなしていけるくらいにもなっていきました。)

はじめこそオンデマンド型(送られてくる課題を自身でこなして提出するなど)が多かったけれど、だんだんzoomを使った双方向型のオンライン授業が増えました。
実家にいたため安心できる環境で授業を受けられることは良かったのですが、発作は授業が始まると起きそうになることも多くありました。

「授業中のこの1時間、この場から動けない」と思うと急にドクドクと鼓動が早くなり不安に襲われます。
病院で「パニック障害」の診断書は出してもらえていたので、「支援が必要な学生」の制度を利用させてもらい、先生方には短大事務室を通じて「配慮願」というものを提出していました。
(配慮願は医師の診断書のもと、大学専属のカウンセラーの方が話を聞きながら制作してくださいました。対面授業では、座席の位置を後方やドアに近いところに変えてもらえるなど様々な場面で適応されます。)

そのおかげで、もし授業の途中しんどくなって席を立ったとしても単位などに響く心配はありませんでしたが、それでもできればしんどくなるのは避けたいものです。


保育の勉強は本当に楽しく、新しい発見や興味の湧く内容ばかりですごく楽しかったです。
でも、実際の対面授業で受けていたら絶対楽しかっただろうなという内容も多く残念に思うこともありました。

授業中は、お薬の副作用で眠くなることもしばしば。
初めはきっちり飲んでいたお薬ですが、実はしばらくして勝手にやめてしまいました。
(頓服は常に持ち歩くようにしていましたが)
こういった精神系のお薬は特に勝手にやめたりなんてしたらダメなのですが、毎回あまりに早い診察時間と、クリニックの先生の感じがお薬だけ処方してお薬を減らしていく気がない感じがして、それがどうにも嫌でやめてしまいました。

幸い勝手にやめても何ともなかったので良かったのですが、うつ病で同じようなお薬を飲んでいたお友達には叱られてしまいました。

先生から見てまだやめ時じゃないときは、やめちゃダメ!
やめるとしても先生に相談してから!
自分でも分からないとは思うけど、こういうお薬は飲んでいるから安定している場合だってあるんだからね!
と。

確かにそうだなと思いました。
風邪とは違って心の病気は、お薬の力で安定しているのか、元気になって安定しているのか、自分では分かりませんよね。
いくら診察時間が短いのが嫌だからって、プロの意見も聞かずに自己判断でお薬をやめるなんて良くなかったと、後になって反省しました。


そうしているうち初めての実習の期間となり、短大では先生方が頑張って下さり何とか回数を減らして、対面で参観実習をとり行うことができました。

2年に上がると、実習!実習!実習!です。
対面授業ができていない分、やはりいきなり実践となると厳しい部分もありましたが、子どもたちが本当に可愛く、毎日のしんどい記録も指導案作りも、寝不足な日々も何とか乗り越えることができ、とても実りのある実習になりました。

授業はまだまだコロナの制限はきつかったものの、学年とクラスと教室を細かく分けて、ソーシャルディスタンスも徹底された中、対面で行うことも少し増えました。


発作に関しては、最初こそ予期不安と発作を繰り返すことで苦しい毎日でしたが、人のからだというのはすごいもので、自分の不安定さにも少しずつ慣れていきました。

そして何より、短大に通っていたことが良かったのだと思います。
もうやることが多すぎて何が何だか!
自分の体調なんかに構っていられず、気づけば不安になる時間も減っていました。
課題をやるのには相当集中してましたからね〜。

暇な時間を作らないのも、不安をなくすひとつの方法なんだ、何もしないで沢山食べて沢山寝てることだけが休むことではないのだ と知った瞬間です。


そしてあっという間に卒業の時期に。
まるまるコロナ禍に当たってしまった短大生活は、ほとんど授業と実習以外のイベントは無く少し寂しい気持ちのまま卒業を迎えましたが、この苦しかった期間に一緒に学んだ仲間たちと、寮で一緒だった子たちと仲良くなれたことは私にとって本当に素晴らしい経験でした。

私とは年齢も3つ離れているのに全然壁も作らず仲良くしてくれて、私のパニック障害のことも理解し協力してくれた友達たち、本当にありがとう。
今でも仲良くしてくれることに感謝です。

そんなわけで無事短大卒業!
保育士資格と幼稚園教諭二種の資格を取得しました〜!
(本当は児童館のも取りたかったのですが…
体調などの関係で残念ながら断念しました。)



今回はここまで。

次回はパートタイムで働き始めてから発作が起き、フリーターになる現在までのことを書いていきたいと思います。
つまりパニック障害になってからのお話は次が最後になります。

こんな何の生産性もない私のお話を読んで下さる方には感謝しかありません。
本当にありがとうございます。

それではまた次回、気になった方は覗いてみてくださいね☺︎

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