タイトルから、どんな内容か想像がつくだろうか?
今日のテーマは、「アート≒親子関係の再理解」である、というものだ。
≒の間を分解すると

アートというのは、自分のオリジン(原体験)を探すプロセスであり、自己対話なのである。
自己対話を進める中で、時を遡り、幼少期へ近づけば近づくほど、親との関係性が出てくる。
外の世界をまだ知らない年に、家庭の中で行われた会話は全宇宙となる。その時代にしていた思考回路や価値観が、現在の自分の強い価値観を支えている場合があるように感じる。

例えば、頑張り屋のAさんという人が、職場にいたとする。Aさんは、辛い時も笑顔で頑張っているため、周りはAさんがどのくらい大変なのか、コミュニケーションを密にしているにも関わらず、なかなか把握できずにいた。しかし、Aさんのご両親は共働きで、小さい頃にあまり甘えられる環境になく、ご両親の笑顔が見たい一心で育ってきた中で、いつでも辛さを感じないフリをする癖がついてきた。

このようにAさんを読み進めていくと、Aさんが何故、笑顔で頑張れるのか、周りはAさんへどのように関わればいいのか、そしてサポートしあえばいいのかがわかるようになる。

そして実は、このご両親という軸でオリジンを深掘っていくプロセスには、更なる発展系がある。それは、アートシンキングの要素"立体感"を意識したものだ。もう一代遡り、Aさんのご両親が育った環境を理解することで、立体感が格段に増す。

Aさんの母親は、同年代の女性に比べて働き者だった。それは、Aさんの母親の出身はもともと地方だが、両親(祖父母)の都合で都会へ引っ越した。なかなか馴染めなかった彼女は、周りに認めてもらえるように、結果主義の人間だったと同時に、親近感を持ってもらうために笑顔を忘れない人であった。そんな母親の影響があって、Aさんの中では"いつでも笑顔で頑張る"ことが、美学となっていった。


学校教育のフェーズを終えると、自分たちの成長を何で測ればいいのか、わからなくなる。点数や学年に変わって、それを表現するものはあるようでない。20代中盤以降は、方向性も選択領域での専門性も、随分とバラつきが出てくるものではないだろうか。そんな中、20代後半以降の、精神的成熟度を確かめる方法がある。それは、両親を、親ではなく"1人の人間"として捉えることができているか、ということだ。

両親が、またその親から受けた影響を客観視していくことで、本当の意味での親離れが進む。こうして、根強く残っていた幼少期の影響のうち、ダミーオリジンを取り除いていく中で、純粋な本来のオリジンのみが、自分の中に残っていくことになる。

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