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【第3回読書会】『サイスの弟子たち』ノヴァーリス著

気が付けば爽やかな風を頬に感じる10月
<読書の秋>にふさわしい季節がやってきました。
さて、第2回読書会から少し間が空きましたが

『サイスの弟子たち』ノヴァーリス著/岩波文庫

🔔そろそろ【第3回読書会】の開催です。

一冊をじっくりと深堀していくスタイル。コメント欄に感想や質問など書き込んで頂けば、次回本文に取り上げさせて頂くことも。メンバーであるなしに関わらず奮ってコメント欄にてご参加下さい。

初めてこの記事を読まれる方へ

この本の内容について知りたい方は私の読書感想文をどうぞ!!
ノヴァーリスの「サイスの弟子たち」哲学的なあまりに哲学的なー小説|MAGUDARA|note

それではメンバーの御紹介です

🍋リモーネさん、🌸sakuragaさん、私✞MAGUDARAの3人です。
(今後のやり取りは絵文字を使わせていただきます)


★今回は第③番目の質問★

「あなたにとって印象的だった(心に残った)部分を挙げて下さい」
(※岩波文庫の場合はページ数と行を記して頂くと分かりやすいです)


まずはsakuragaさんからお願いします。

🌸心に残った箇所ですが。
それは私が実感として唯一理解できた部分になります。
P106の4行目農耕や〜P107の最後までの部分です。
今でも漁師さんや農家さんの天気予測、所謂「観天望気」の方が、
気象庁の出す「天気予報」より当たるという話を耳にします

(狭い範囲の予想ではあるでしょうが)、正にこの部分はこの事を表しているのだ。と。私が最後に唯一初めて理解できた部分でありました。


✞sakuragaさん、とても素直にわかりやすい箇所を挙げて頂きましたね👍
この部分には納得される方も多いのではないでしょうか。せっかくなのでその部分を少しだけ具体的に私なりの解説も交え御紹介させて頂きますね。

漁師さんや農家さん他、自然と常に真剣勝負で向き合わねばならない人々は、技術を磨く中でおそらく必要な素直な心や飾らない態度なども自然に育んでいく。そうした真の自然理解を身に着けた人々が持つ技芸(ワザ)だからこそ、自然科学的な分析に基づいた天気予報よりも当たる確率が高いのかもしれない、ということではないかということです。
またこの後半部でも触れられていますが、いわゆる<自然の師>というのはこういう人たちのことを指すのだと思います。つまり自然との付き合い方を知っている人間、自然の使い手、頭ではなく実践の場で行う人々のことですね。
それに対し<自然信仰家(ナチュラリスト)>と言われる人々は、何も具体的なことは行おうとせずに、ただやれ自然との交感だとか一体感だとか叫んでいるだけの人ではないかと私は思いました。あなたの周りにもそういう人見当たらないですか?(傍線部分はあくまでも私の直訳的ストレートな解釈によるもので、ノヴァーリスの表現はもう少し遠回しなものです)

✞リモーネさんはいかがでしょうか。

🍋師とは誰なのか?

なんでも本質を見通せる子ども

そしてそれに追従することになった不器用なある弟子が拾ってきた石をストーンサークルに置いたのは何を象徴しているのか。

ヒヤシンスと花薔薇の挿話、

イシス神のヴェールをかかげる意味

ヴェールの中にあるものとは?

私は、自然科学と詩人の両方の素質をもった探求者(サイスの弟子たちのような探求の仕方をした末に訪れる機会として)こそ神秘のベールをめくることができるのではとおもいました。
師の教え方をみているとそう思います。

ゲーテの紀行文などを読むと鉱物、雲の動き、自然のさまざまなのを実験ではなく、観察から解き明かそうとしている態度に著者も敬意を感じているのではないかとも? (太字にしたのは✞)

師とはゲーテみたいな人?
もしくは、師はキリストの化身?
本質を見抜き皆に愛されている子どももキリストを彷彿とさせました。
というのも、子どもの従者となった不器用な弟子が喜ばしい讃歌を歌ったとき(←p46の3行め)師は東の空に目を向けられたという箇所から。

リモーネさん、ありがとうございました。
まるでリモーネさんがもう一人のリモーネさんと対話されているような感じでした(笑)読み進めるうちに次々とどうしても問いかけたくなってしまわずにはいられなくなる。でも『サイスの弟子たち』の読み方としてはそれが最も相応しいのかもしれません。

―まずは太字にさせて頂いた部分について―
リモーネさんにとってはゲーテがいちばん身近な存在なのでしょうね。
その影響を受けたノヴァーリスもそうですが、具体的な人物の名前は別にしてもsakuragaさんが語られたように、やはりここでも「実験ではなく観察から解き明かす」というように、自然科学的な分析(実験)より自然と真剣勝負で向き合うワザ(観察)のほうに軍配が上がるということを示唆しているように思えます。

ここで有志として毎回、貴重なコメント頂いているKanda Shionさんの前回のコメントを見てみたいと思います。

Kanda Shionさん

自然とは何か」についてのリモーネさんやsakuragaさんの考察、すばらしかったです。「自然を知りたいと思うなら、自分の道徳器官を鍛え、心の気高い核心にふさわしくふるまい、陶冶にはげまなければ」ならないというくだり(P66)もありますし……(中略)

このShionさんのコメントの部分にもsakuragaさんとリモーネさんのお2人に通じる、真の自然理解者こそが身に着けた技芸(ワザ)の重要性が語られていると思いました。

さて先程のリモーネさんのコメントの続きの部分に戻ります。
「師とはゲーテみたいな人?もしくは、師はキリストの化身?本質を見抜き皆に愛されている子どももキリストを彷彿とさせました」と語られた部分についてです。
Shionさんの同じくコメントの続きで「作中では考察が山ほど出てきて迷子になりそう(笑)なだけに、「師」が登場すると何だか安心しました。<○○しなさい>と言わずに、弟子の考えを尊重する姿勢が良いのでしょうね」
この部分とリンクしているようにも感じましたね。

またShionさんのそれに続く部分で「どうやって見たら<人間が星に、石が動物に>(P44)なるのか聞いてみたいものです。絶対教えてくれないでしょうけど(笑)」という部分に対してsakuragaさんがこう語られていたことについて。
🌸
「師は、子供の頃に星を眼で追っては並び具合を砂に写し取ったり、雲を飽かず観察したりと、その時に個々はただ見えるものが全てではなく、個々は全部と繋がっている事に気がついたのではないか、と今なら思えます」

それは良かった!!つまりこの1節が取り上げられたことで、sakuragaさん御自身の苦手な前半部分の考察や、次から次へと難解な例えの連続などに対する理解の助けになったわけですので、これもこういう読書会ならではのコミュニケーション在りきと思いました。


―第3回読書会を終えて。次回のこと―

今回は【③印象的だった(心に残った)部分を挙げて下さい】ということなので、例えば師は誰なのか?その他のリモーネさんの問いかけに対する考察は、次回「④読んだのに理解しにくかった所、疑問点など」で改めて取り上げたいと考えています。
ただそれまでにさらに考えを深めて頂くための資料としてコチラを一つ提示させて下さい。

「師に追従することになった不器用なある弟子が拾ってきた石をストーンサークルに置いたのは何を象徴しているのか」について。(具体的にはP46に書かれている「その不器用な弟子が幸福そうな表情で師にあまり見栄えのしない奇妙な小石を差し出すと、師はそれを手に取り長いこと口づけした後に、その小石をその空間に置いた」という部分になります)

これに関して、ノヴァーリスはフライベルグ鉱山大学で鉱物学や自然科学などを学び、植物や動物と同様に石というものも生物と捉えているようで、<石化した自然>というイメージを持っているということ。「崇高なるものには石化する作用がある」※P91の(37)の*注を参照のこと。
またゲーテの言葉にも「石は沈黙する教師である」というものもあります。ストーンサークルに置いた意味はどうなのか?これについてはボルヘスの『パラケルススの薔薇』という短編集の中にも同じような記述がありましたので関係するものなのかもしれません。

🍀

次回は、たぶん休暇から戻られた有力メンバーの「あの方」が
生コメントや注目の発言などでこの場を盛り上げてくれるはず?!

リモーネさん、sakuragaさん、Shionさん
皆様ありがとうございましたー。


ある男がなしとげた

―彼はサイスの女神のヴェールをかかげた―
だが、かれはなにを見たか。

彼は見たのだ―奇跡の奇跡ー○○○○を。

この○○○○に入る言葉はさてなんでしょう?

―次回その④の質問へと続く―



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