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よむラジオ耕耕 #26 「あいまいさを許容する」 〜知らないことも大切に〜

💁 こんなひとにオススメ:アートの「あいまいさ」や「場づくり」に興味があるひと


印象派の印象は?


加藤:アートや音楽、映画、本などいろいろなカルチャーがある中で、星野くんが一番得意なジャンルはなんですか?

星野:やっぱり「アート」ですかね。その中でも「現代アート」よりは、昔ながらの額に飾られているような作品が得意です。いわゆる「〇〇派」と呼ばれるものです。

加藤:大学では専門で勉強してたね。

星野:そうですね。

加藤:今の仕事で、大学で学んだアートの知識は役にたっている?

星野:実は意外とそんなこともなくて、いまの仕事は(絵画作品の)販売が主になっていますね。研究職ではく営業職なので。でも自分が、より豊かに気持ちよくアーティストから作品を預かるためには、必要な知識だとは思います。なので引き続き勉強はしています。加藤さんはどうですか?

加藤:ぼくの場合、それがあいまいなんだよね。大学に行って美術を学んだこともなければ、作家でもない。今から学ぼうと思えば学べるのかもしれないけれど、なかなか時間やお金を言い訳に学べていない。で、それを穴埋めするためにこのラジオをやっているという節もある。でもやっぱり時々「怖い」んだよね、アートの勉強をしていないでギャラリーを運営するって。お客さんですごく詳しいひとが来たりするから。だから、ラジオで偉そうに悩み相談に答えたりしているけれど、本当にアート業界で理論武装しているひとたちがパークギャラリーに来たらぼくは逃げ出してしまうよ(笑)。

星野:そういうものですか(笑)。

加藤:でも、アートでもなんでも「楽しむ」のは得意だから。どんな理論派が来ても「あいまいさ」で返せる。わかっている感じを出すそのコツみたいなのは養ってきたつもり(笑)。映画でも演劇でも音楽でも、もちろん食についても。でもそんなふうに言っておきながら、星野くんが言うように、自分をより豊かに気持ちよくするための学びは必要だなと思う。それと同時に「アート」ってあくまで “自分のための” エネルギーだと思っているから、感じ方や捉え方は自由だし、知識あるひとかなんだか知らないけれど、誰かからとやかく言われたくない。あいまいでもいい。好き。知りたい。知らない。けどいい。感じたままでいい。ぼくらはそういう強さとしなやかさと楽しみ方を養っていかないとって思っているよ。

星野:なるほど。

加藤:ちなみに、もし答えられなかったらそれはそれでいいんだけれど、たとえば、絵についてあまり詳しくないぼくみたいなひとに、よく耳にする「印象派」をかんたんに説明できたりってするもの?

星野:あくまでぼくの考えですが「印象派」は見た光をそのまま直感に従って描いているひとたちです。自分が見た「印象」をそのまま描いているのが印象はです。ちなみに印象派の前には、写実的な絵を描く画家がたくさんいました。めっちゃリアルに描くみたいな。でも、あの表現はすごく視覚的であって、印象派のひとたちに言わせれば「もっと動きとかあるじゃん!」という感じで、動きをつけて筆を使ったり、点描などを駆使したりすることで見たままの光をそのまま描いています。ちなみに日本人は「印象派」大好きなんですよね。でも印象派は、出た当時は批判されていました。「印象派」と呼ぶこと自体が、作家に対する軽蔑の言葉でしたからね。

加藤:スベってる芸人に対して「シュール派」って名付けるみたいな感じかね(笑)。

星野:そうですね。センスがいいひとが出てきて認められるというか。

加藤:印象派のことなんとなくあいまいにしていたから、聞けてよかったな。日々学びだなと感じます。また教えてください。

縁側から見るあいまいな境界線


加藤:今度は、最近読んだ本がおもしろかったので紹介させていただきます。時々飲みに行く友人が最近「縁側っていいよね」と言ってておもしろいなと。なんとなく改めて縁側がいいってことはわかるよね。人が集まってくる感じ。しかも、家でも庭でもない、外でも中でもない、つまりAでもBでもない空間。靴を脱いであがるひと、靴のまま座るだけのひと、話すひと、ぼうっとするひとなど、ルールがあいまいな感じ。で、「公園」も同じようなことが言えるなと最近考えていて。それはパブリック(公共)とプライベート(個人)のあいだにある感じ。AとBのあいだ。いつからかパークギャラリーも概念的に「縁側」的なあいまいな役割を持てないかと考えるようになっていたんだよね。そんな時に「縁側っていいよね」っていう感覚がやけに刺さって⋯。

加藤:そんな時に追い風のように手にしたのがこの本です。東日本大震災の後、社会の「地域性」が問われている2013年に発刊された本なんですけど、『OPEN A』という会社をされている建築家の馬場正尊さんという方の著書で、馬場さんはリノベーションとか建築の方面では有名な方なんですけれど。この本が10年経ったいまだからこそおもしろかったんですよね。というのも、コロナ禍でさらに「公共」ということが改めて見直されている中で、10年経ったいまでも実現できていないことってこの社会にはたくさんあるんだっていうのに気づけるんですよ。10年前の馬場さんが何を考えていたんだろうと思って読みはじめたんですよね。

星野:10年前の本なんですね。

加藤:そう。例えば本の冒頭にもあるんだけど「息子とサッカーボールを持って、近所の公園に行ったら球技はダメです」と。それでベンチに座ろうと思ったら、ホームレスが寝ている。砂場で遊ぼうかと思ったら、犬のふんが落ちないようにネットが張られている、とか。じゃあ、ぼくらはこの公園で何をしたらいいのかと、まったく答えが出ず、その場に立ち尽くした、という書き出しからはじまるんですよね。「公園でみんな何をしているの?」という問いと、建築家として「ぼくらは何をすればいいのか」という問いの中で、「公共とは?」「個とは?」を考える。そうすると、例えば「行政」が管理している、税金で運営されている場所がいわゆる「公共性」を感じる場所だと思うんだけど、一方で英語で「公共」を意味する「パブリック」はもっと開けているというか、ちょっと意味合いが違うんじゃないかという⋯。我々が求める「パブリック」は「公共」ではなく、「解放的」とか「共有できる」ということなんじゃないかと。そんなことを思いながら彼の考えが書かれているんですよ。

星野:めちゃくちゃおもしろそうですね。

加藤:それで、パークギャラリーとか、星野くんのやっている PUNIO もそうだけれど、そこに暮らしながらギャラリーを運営しているぼくらみたいなひとたちは「パブリック」の空間をどう考えていけばいいのかというのが気になったんですよね。それで読みはじめたんだけど、さらに興味深いのは、本の中で公共空間に「自然」はもちろん「アート」が必要な理由というのにも触れていて、つまり「パブリック」の中のどこに「アーティスト」が介入できる部分があるのか、というのを水戸芸術祭・芸術館で学芸員をされていた森さんが答えていたりして、10年も経っているけれど、アフターコロナのぼくらにビシビシくる内容になってました。

星野:本当ですね。

加藤:改めて「公共空間」って政府のものではなくて「ぼくら」のものだと思うから、しっかりちゃんともう一度取り返さないといけないんじゃないか、と思いはじめていて⋯ぼくらの権利というか、公共においては主語を「 WE(私たち)」にするのが大事だと。耕耕との親和性が高く、おすすめしたいと思って持ってきた次第でした。

公共に求める「あいまい」さ


星野:この一節が気になりました。「公共空間でアーティストが介入可能な場所は社会的に綻びがあるところ」。

加藤:そう。アートが公共空間にビジネス的に介入するためにはという話なんだけれど結構刺激的な内容です。答えとしては「財政破綻」などの綻びが起きている現場でアートが有効とされると書かれてるね。たとえば少子化が深刻で潤沢に運営ができなくなった小学校ならアートが介入しやすい、とか。市政のために何かを起こしたいけれど、できないというようなところが SOS を出して、その SOS に耳を澄ませてキャッチすることが新しいニーズを生み出すことになる。逆にいうと、SOS を出す理由のない皇居や政治の場所などはアートが介入しえない。廃校や団地など、行政の仕事でありながら手が回らないところに SOS があって、アートが介入することができる。これ、アーティストが読んでもおもしろいと思います。

星野:この内容で2013年の本なんですね⋯すごいな。

加藤:新刊かと思って買ったよ(笑)。

星野:でもまだできてないことが多いんですよね?

加藤:一部できてないけれど、条例や法律の緩和が起きたことでできてる部分もあるみたい。ちなみに馬場さんの会社『OPEN A』は地方でどんどんそういう活動をしている。一概に「解決した」とは言えないけれど、ここにはできるだけよくする、実践するためのヒントが書かれているんだと思う。これを読めば、世の中がもっと良くなるのでは、と単純に思ってしまうね。

星野:なるほど。

加藤:たとえば「ドラえもんの空き地」。土管がひとつ置いてある。あれは、ドラえもんの世界では遊び場だけれど、現代ではダメだよね。誰が所有している誰の空間なのかが「あいまい」だったから遊べていた。あの「あいまいさ」を許さないで解消していった社会が、みんなの遊び場や想像力を淘汰してしまった。だからそれを思うと耕耕もパークギャラリーもそうなんだけれど、「あいまいさ」をもっと大事にしていきたいんだよね。

星野:読んでみよう。ちなみにこういう「場所を作るヒント」的な本はこれまでに読んできましたか?

加藤:あんまり読んできたことはないけれど、何かを読んで「これもうすでにパークギャラリーで実践してるじゃん!」と思うことは多々あるね。だから、うちの本棚には結構「分岐点」となっている本はあります。

星野:冒頭は「何のカルチャーに詳しいですか?」という話からはじまりましたけれど、話しているうちに別に詳しくなくてもいいのかなと思うようになりました。浅く広くでも、こうして自分の専門外のことに触れることが、より豊かな人生につながるような気がするなと思うようになりました。

加藤:そうだね。深く潜ることだけが豊かさじゃないよね。いっぱいいろいろな表情の海を知ってるのもいいよね。何メートル潜ったことがあるってだけが豊かさじゃない。潜ったことはないけれど、1000の海を知っていると言いたい。視点の数が多い方が、いいなって、ぼくは思っちゃう。もっと歳を取ったら潜りたくなるのかもしれないけれど。それはまだ先かな。

星野:視点の数の多さ、大事ですね。

加藤:ただそれだと「器用貧乏」とか「八方美人」とかネガティブに捉えられることも多いけれど、今はそれでいいんじゃないかなと思う。でも、危ないのは、潜りもせずに知った気になったり、見た気になったりってのは、気をつけなければいけないですね。

おしまい。

よむラジオ耕耕スタッフかのちゃんによる文字起こし後記

『ラジオ耕耕』を聴いていると、自分が知らない音楽を、作品を、本を、考え方を知って・持っている人がいることを改めて実感する。加藤さんのいう、深い海に潜って思想が凝り固まった私の体の一部が、じんわりと温まって、新たな扉に手を伸ばせる。その気軽さ、雑食さが、『耕耕』のいい部分だなあと今回の放送を通して、今まで何となく思っていたことがうまく「ことば」にすることができた気がする。

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