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揺れ続けながら進む〜さえりさんの本を読んだシリーズ④〜

 2019年10月16日。
この本を、東京から離れて山の方に、
休息に訪れているときに読んだ。


 26歳の目標を立てると同時に、
27歳の目標、30歳の目標を
考えていたのに、結局一向に、26歳を
どう生きていくかもわからないまま、
この本を手に取った。

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夏生さえり. (2019). 『揺れる心の真ん中で』. 東京:幻冬舎. 初版.



 さえりさんの本を読んだ、の
シリーズも第4弾となったが、
今回も、さえりさんの本、
通称“ゆれここ”を読みながら
考えていたことをつらつらと
書いていこう。


 彼女の本は、やはり
肩の力をぬいて、優しい声を意識して
声に出して読んでみたくなる。


 精巧に、丁寧に紡ぎ出された、
飾らない言葉

 
 本はいつだって、必要な時に、
必要なだけの言葉を私に届けてくれる。


 ー 二十七歳を見つめてみたい。
  不安定でゆらゆらして、けれどまっすぐ未来を見つめているこの歳を。ー
(p.21)

 

 私がその時、山の方にきていたのは
すっかりいろいろなものに疲れ切って
しまっていた時に、「おいで、」と
当時の恋人が言ってくれたからだった。

 そして私は、1週間弱、アルバイトのやすみをとって、彼の家に行き、
持ってきたさえりさんの本や、
彼の家に置いてあった本、漫画を
読み漁り、ひたすら映画を観続けた。


ーじつはここ最近、気持ちが疲れていた。
 物理的にはあまり忙しくないし、心もとっても満たされているはずなのに、なにかが心の底のほうでぼやぼやと渦巻いているような感じ。
 その正体がなにかはわからない。
 よくよく覗いてみようとしても、原因も理由も実体も摑めない。ー(pp.46-47)

 

 まさに、そんな感じだったのだ。
黒いモヤモヤみたいなものが、
覆いかぶさって、気持ちをどんよりさせる。人といる時は頑張れるのだけれど、
だんだんとそれすらもできなくて、
でも、友人や家族や、恋人にはうまく
それを言えなくて。


 みんなが心配してくれるから、
元気なところをなるべく多く見せて、
“なんだ、元気そうじゃん”
“なんか結構、色々出掛けてるね”なんて
言われるたび、
よかった…元気に見えてるんだ、と
ほっとしたような気持ちと同時に、
心は一層、固く門扉が閉ざされる。
そんな状態がもう1年半も続いていた。


無論、毎日楽しくないわけではない。

すごく楽しくてなにも考えずに済む日も
あれば、
どんなに楽しそうなはずの用事にも
心躍らないこともあるし、

お腹が空いてこれ何食目?
というほどとにかく何をしても
何を食べても落ち着かなくて
お腹も心も満たされない日もあれば、

布団から出たくもない。というより、
出られない。ご飯なんていらない。
何も食べていないのに喉元まで何かが
むくむくともどってきて気持ち悪くなるような、そんな日もある。


 そんな不安定な日々を過ごしていた。


ー  “しあわせ”という言葉をもとに、なにか映像を思い浮かべる。自分自身をそこに登場させて。あまり難しく考えず、一番はじめに浮かんだイメージを大切にする。すると、「今本当に、自分が望んでいるもの」がわかるような気がして。ー(pp.52-53)

 

 最近になって、
再び秋に、この本を読んだ時の
メモをみながら私も何度か
これをやってみた。
その度に、いつも脳裏に描くのは、
誰かと手を繋いでいるシーンだったり、
誰かに抱きしめられている温かさだった。

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 愛に飢えている、のかもしれない。


愛に飢えている、
なんて言い方をすれば
なんとなく現代社会学のそれっぽい
気もするけれど

簡潔に言ってしまえば、
私はただ、
「愛されたくて、愛されるために
どうすればいいのかばかり考えてきて、でも恋した相手とうまくいかなくなる
たびに、また愛し方間違えたと、
思い込んでいた」のだ。


 ー 恋はいつも浅いところからはじまるので、なんとなく足を突っ込んで進んでいくうちに戻れないところまで来てしまうのだろう。ー (p.26)




 人のことはわからない。
「あなたのことがわかる」
なんていうのは傲慢だ。

 一般的な人間関係においては、
20代後半くらいからこのように
思っていた。それなのに、
私は恋愛では、こう思えていなかった
のかもしれない。


 ー 全然わからない。あなたのことが、全然わからない。だから、声に出して確かめている。
 寂しい話をしたいわけではない。
 たぶん、わからない、と思うことは、愛だと思うから。ー (p.65)

 

言葉にして指摘はしないけれど、
人の苦労話や何かの話を
「私もね、」と上から自分の体験に
すり替えて話を被せてくる友人の、
その話がとても苦手だ。

 私だって無意識にやってしまっていることがあるかもしれないと思って、
人に注意したりすることはないけれど、

 同じ体験をしても、同じ年齢でも、
それぞれに感じ方も、その人の許容も
違うのだし、だから、

 あなたより私の方が大変だとか、
いうのはなかなか言えることではないし、ましてや、他人の話している時に、
すべて自分の話題にすり替えていく
(大概そういう人は無意識にそうしてしまうから余計にタチが悪いのだけれど)人は、どんなに仲良い友人でも、
人としては苦手だ。


「わかるよ、」と言われることで
救われる時もたくさんあるけれど、
「わかるよ」と言われれば、
「なんであなたにわかるのよ」と
思うことだってやはりある。


 だからこそ、「わかるよ」という
言葉を私は選んで使いたいのだけれど、
そう思えば思うほど、わかるよ、と簡単には言えないし、ましてや自分の話にすり替えてしまう人は、絶対に
「わかるよ、私もね!」なんて言ってほしくないと思ってしまう。


やっぱり、
人のことはわからない。


そして、わからないから、
わかろうとする。想像する。
言葉を尽くす。

 はじめから、わからないからと
閉ざすことも、
わかったような気になるのも、
違うんだ。



 そう思っていたのに、
特に恋愛になると、
きっと彼はこう思っている、
彼はきっと今こうだ、とか
相手に確かめもしないで、
自分で自分の首を絞めてどんどん、
なにも言えなくなっていた。


ー今でも相手を勝手に想像してしまうことがよくあるけれど、同時に「言ってみないとわからないから」「聞いてみないとわからないから」を即座に思い出すようにしている。ー(p.71)


 私に足りなかったのは、
むしろこの、わからない、
だから相手に尋ねるという、
わからないからこそ起こす、
アクション
だったのだと、
この本を読んで4ヶ月半経った今、
思わされる。



ー 勝手に想像して落ち込んだり、勝手に想像して決めつけたりすることが減った。決めつけるのは、「人のことがわかる」と思っていることのすることだ。ー
(p.65)


友人や家族に対してもだが、
こと恋人に私は、あまり自分のことを
話したことがない気がする。


 全く話さないわけでは無い。
むしろ、言葉数だけで言えば、
うるさいくらいに喋る。
けれど、自分の気持ちや今やっている
ことは聞かれない限りわざわざ、
目の前の特定の人に話すことはないし、
「私より相手の方が忙しい」という
前提があって日常的に、
今こんなことをしていてね、
これに苦労していてね、
今日はすごく疲れていてね
なんて話をそれほどしない。

 それでいて、相手に心の中で
察して欲しい、わかって欲しい、
みたいなものがあった。


 一方で、相手の仕事のことを詳しく
聴くこともなければ、相手に自分から
上手に話を振ることもできない。


だから、お互いに、
わからない、
という状態が続く。



わからない。

でもわかろうと最大限に努力をすること。

それでもわからないということを、きちんと理解していること。

それでいて、だからこそ、**「だんだんわかってきた」なんて思わず言葉で伝えることを惜しまないこと。 **


それが、必要だった…気づけなかった。


 ー どれだけ一緒にいても、どれだけ近くにいても、それでもなお知ろうとする。この人だったらきっとこう言うはずよとわかっていて、それでもわかろうとする。
 その熱心さ、その欲求を、長く長く持ち続けていくこと。
 わなしはそういうものを、愛と呼びたい。 ー (pp.72-73)


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難しいことなのだけれど、
そういう意識が仲睦まじくなるほど、
必要なのだろう。

彼はこう思っている、だとか
彼は今絶対忙しいだとか、
甘えてはいけないだとか、
きっとこんなことを言ったら彼女は
嫌になるだろうとか、

 どこかで勝手に決め付けていた。


 ー 人の数だけ考え方がある。姿形が似ているから、時に“同じように思考をするのではないか”と錯覚してしまうけれど、育ってきた背景が違えば考えることも違う。同じ景色を見ていても、全く違うことを考えているものなのだ。ー
(pp.69-70)


 そう、いつか
「私たちは分かり合えない」という記事でも私は同じようなことを考えて
いたけれど、わかっていたようで
結局、卑近なところでは、
自分の日常のなかでは、
まだ実行できるまでの理解には
至っていなかったのかもしれない。


どうも、さえりさんの本を
読んでいると恋愛の話になってしまう。

そうだ、恋愛の話といえば

 “ゆれここ”には
こんなことも書いてあった。


 ー昔は「ふたりでひとつ」のように感じられる相手と恋愛したいと思っていた。重いと思われてしまうかもしれないけれど、世の中にはぴったりとくっついて、まるでもともとひとりの人間だったのかと思うほどの相手がいるのではないかと、夢見たことがあった。時にはそういう錯覚に陥るような相手もいた。
 でも、今はちがう。
 別々の人間が、なぜか寄り添っている。そういう印象を、彼には抱く。
 さみしくはない。ふたりでひとつになれたらいいと願っていたときよりもずっと、存在を確かに感じ取れる気がする。それに、ふたりでひとつになろうとしていたときよりもずっと、安心できる。
 このちがいはまだ、うまく言葉にできないのだけれど。 ー(pp.112-113)

 

 わたしは、ふたりでひとつがいい、
と思ったことはないのだけれど、

恋愛では

 寄りかかっていたことも、
寄りかかられたこともあるし、
傷ついたことも、傷つけたこともある。


 今まで、一度だって上手に相手に
心を開き、相手を受容できたことはないけれど、いつも心の奥底の理想では
相手と一緒に居て、恥じぬ人でいられるよう努力したいと思っていた。

(私の成長スピードが遅すぎて
相手には退屈だったかもしれない
けれど。しかも、
少しも努力していないように
見せすぎた気もするけれど。)



 でも、根本的にいえば、
そもそも、理解してほしい、だとか
察して欲しいと思ってしまって、

それでも言葉で伝えられなかった点を、
ぶつけられなかったことを考えれば
心のどこかで、

「一緒にいるんだし、好きなんだもん。言わなくてもわかるよね、」
とどこかで思ったり
「きっと相手はこうだろう」
と私は決めつけていたのだと思う。

仕事を辞めたあの日から、

一度立ち止まりたい、
休みたいと思いながら、
それでもどんどん進んでいく
周りの友人たちを見て、
「いつまでそんな生活してるの?」
という言葉に焦って、

ずっと、私は“前に進むこと”を
あたまのどこかで考えていた。


noteを書いているのも、
進路を決めなくては、と毎日
心の隅で焦っているこの2年間も、
周りの皆がどんどん
進んでいっていることにも、
どんどん成長したり、
出世、転職、結婚、出産と
多くの人が変わっていく年齢の真ん中で

何もかわれていない自分、
目に見える圧倒的成長のない自分

にひどく劣等感を抱いている
からなのかもしれない。


 心が荒んで、涙が止まらなくて
でも1人でいる時に溢れ出る涙は
結局流れるだけで、
ようやっと人前で涙を流せたのは
多分、心を解き放った数人。


でもその時付き合っていた恋人は、
私が泣いてしまえば
困った顔をしていた。
いつからか、泣いてはいけないと思い、そう思うほど
苦しくなって涙が出た。
そして、1人で泣いては、
ああまた、こんなことで
泣いてしまうなんてと、落ち込んだ。


 ー泣かずにいても、もう誰も褒めてくれない。
 何食わぬ顔して、傷つかなかったふりをしていても、「偉いね」とは言ってくれない。
 だったら、泣いて仕舞えばいい。そして誰にも褒められることもなく、ひとりで泣きやめばいい。そのほうが泣かないよりもずっと、精神的に強い人のような気がする。ー (pp.197-198)


さえりさんの書籍の言葉は、
心の中にあった黒く細く絡まった
何かを突き刺した。


ー 「なにも変わらないことの、なにがいけないの?」ー(p.198)


ー「さえりはさ、なにをしたいかを考えるよりも、どう在りたいかを考えるひとだと思うんだよ。どんな生活をして、どんな自分でいたいかを考えるひとなんだよ。だから『なにをしたい』とかなくていいよ。今までのように、どう在りたいかを考える。それでいいんじゃないかって、俺は思うけど」ー(p.205)

 

とつ。 とつ、とつ、とつ。

と、この言葉が染み込んでくる。


 私がグダグダと、周りと比較しても
仕方ないと思いながらも悔しさや
悲しみ、情けなさや恥ずかしさで
人に会うたび、
自尊感情が消えていたこの2年間。


 付き合っていた彼に、「がんばれ」
と言われるたび、どこにも進めていない、もっと頑張らなきゃいけないのかと思っていたこの数ヶ月。


 もとを辿っていけばこれらの要因は、
もしかして、捉え方の違いに、
あるんじゃないだろうか、

はたと気づいた。


これまでに、
さえりさんの3冊の本を
読みながら考え、それをnoteに
記してきた。 (下記URL参照)


1冊目


2冊目


3冊目


これらを読み進めていくなかで、


 心の余裕

 余白

 想像力

 五感

 日常を愛おしむ


といった言葉たちが共通して
頭の中に出てきた。

 そして、そのすべてが、
自分の心持ち次第、考え方次第で
備えていけるものだった。


ー「自分の生き方が、世界をつくる」ー
(p.30)


#ゆれここ にも同じような言葉が
記してあったが、
 世界というものは、結局、
自分の見ている場所からの、世界、
であって、その見える世界は、
見方が変われば変わるものなのだ、

 そんなことを、やすむ!と
決めてから2年ほどが経つ
ここ数ヶ月になって、少しだけ
心に余裕を持たせた結果、

“身体で”理解し始めた。

まさに、暗黙知だった。


 ー 心の声を聞くことは結構難しい。
 疲れていたりなにかに追われていたりすると、保守的な考えしか浮かんでこないから。
 心をやわらかく保つ。それには日々の努力が必要なのだ。
 小さなことでいい。今日はあのパンを食べたいとか、今日は外へ出ずにゆっくりしようとか意識的な選択をする。なんだか嫌だなと思ったら、「行かない」「やらない」を選択する。
 こういう小さな積み重ねで心をやわらかく保って、大きな選択への糧にしておこう。ー (p.227)



ー 心に、余白がない。
  なにかがぴっちりと頭にくっついていて、隙間風が吹かない。
  仕事に追われているとか、そういうこととはきっと関係がなく、私の頭の中には何かがぎゅうぎゅうに詰まっている。いつかやらなくちゃいけないこと、過去の嫌な記憶、未来の心配事。
  詰まっているのは、そういう“余計”なものたち。今を味わうのに不要なものたち。 ー(p.233)

 そう、こういうことだった。
さえりさんの本を読み進めていった
時に出てきた言葉たちが、
この本にはぎゅっと詰まっている。


 『今日は、自分を甘やかす』を
読んだ時、
 必要なのは、余白。生活の余白で得た経験は貯蓄される、と書いた。


 『今年の春は、とびきり素敵な春にするってさっき決めた』を読んだ時、
 考えるならポジティブに、
 心に余裕がないと想像力は失われる。
 想像力は使いようで自分を、相手を、
社会を幸せにする、
と書いた。


 『口説き文句は決めている』を
読んだ時は、
 日常を愛おしむことができるその
やわらかさは食事でも恋愛でも大切。
 たまに、やることをやる手を止めて、一度休む。ゆったりとした時間を
つくりだす、 
と書いた。


 結局は、これらはまとめれば、
先の5つの言葉に集約される。


忙しさの中で簡単に忘却されるのが

余裕、前向きな気持ち、感じる心、
笑顔、そういうもので、
そして今、自分の持っているものに
気づくこと

でも、そういったものが、本来、
幸せを感じるための
最重要要素なんじゃないだろうか…


 ー感受性は、簡単に鈍るらしい。ー
(p.230)

 
だから、 
心に余裕を保つ時間をつくったり、
そうしてできた余白でいろんなものを
語幹で感じ、想像する、

そういうことを、
意識的にする必要があるのだろう。

幼い頃から、周りの人より
できないことが多かった。

歳を経て周りの成長スピードが
加速するにつれ、
どんどん追いつけなくなった。

自尊感情はどんどんすり減って、
仕事を辞めてきた日、
そのほとんどが崩壊した。

そして、
それでも少しずつ前に進むにつれ、
人と比べずに自分のなかで、前より
できるようになったことを見つめるたび
取り戻していた自尊感情も、
結局、不安定で、流動的で、
そこにずっといてくれるものではなく、

ずっと心は揺れていた。

彷徨うように、不安定に、
震えていた。

 でも、少しずつ、私はわたしの
今生きているこの道を、
受け入れ始めている。


 ー うまくいくことばかりじゃない。
   美しい瞬間ばかりじゃない。
  それでも、わたしとわたしの人生が好き。
  歩いてきた道のりも、決していいものばかりじゃなかったけれど、それでも好き。昨日と全然変わってしまった自分に呆れながら、それさえもまるっと受け入れて、なにかを選び取り、なにかを捨てて、揺れながら進む。 ー(pp.251-252)

 

 私は、自分の人生の、
ちょっとの失敗も汚点だと思っていた。
できないところを見つけるたびに、
できなかった自分を振り返るたびに、
もちろんそこから得たものがあるとは
思いつつも、
私みたいな失敗、
みんなはきっとしない。

 こんなことで立ち上がれなくなるのは
こんなところで躓くのは、私だけだ、とどこかで思っていたし、
だから、人に失敗を知られることも、
見せることもずっと怖かった。
今も怖い。


 でも、結局、それが、
相手にきらわれないように、だとか
相手に気を遣おうだとか、
そういう意識になり、

 可愛いわがままひとつ言えない、
自分の状況を伝えることすらできない、
言いたいことを相手に直接ぶつける言葉もすぐに出てこない

 そうして自分の中で気づいた時には
大きくポッカリと、
 どうすればいいかわからない何かが
渦巻いて、
 黒いモヤモヤとした大きな影が自分を
覆って、気持ちも心も閉ざしてしまう、
そうなっていた。



 昔、私が小学生の時、
Aqua Timezというグループの歌が流行ったことがある。
 「決意の朝に」という歌の中に

 ー辛い時辛いと言えたらいいのになぁ
僕達は強がって笑う弱虫だー

という歌詞があった。

 久しぶりに昔聴いていた曲を
かけたら埋まらない心の何かを
ふんわり包んでくれるような気がした。

 心が苦しい時は、
 どうにもぐるぐるとした時は、
 わからないけれどモヤモヤする時は、
昔聴いていた曲や、昔読んでいた本が
自分を救い出してくれるのかもしれない。


Aqua Timezといえば、
さえりさん もこんなことを
書いていた。

 ー 告白した日のことをよく覚えている。お風呂で、当時流行っていたAqua Timezの曲を口ずさんで、告白を決意したのだ。
 歌詞がこう言うから。
 「気持ちを言葉にするのは怖いよ。でも、好きな人には好きって伝えるんだ」
(p.59)ー

 私たちは、真っ直ぐに進んでいる
わけではないのだろう。


大きく曲がった時、
それが自分の意志ではなかったり、
思ったようにできなかった結果だったり
大きく曲がった結果彷徨えば、

不安が訪れる。

 歳を経るにしたがって
思ったようにいかないことの方が多いし
自分の夢はどんどん小さくなって、
現実をつきつけられる。

 それでも、私は少しずつ、進みたい。

 やりたいことも、
形にこだわらず、まずは自分の
今の想いや、考えていることを、
これまで考えてきたことを、
勉強してきたことを言語化しよう、
noteをはじめた。

 今の未熟なままの自分が、
少しずつ、刻みれていく。


 仕事は今も特段何かを活かせている
わけでも、何かの能力が飛躍的に
伸びたわけでもないけれど、
 仕事で出逢った人たちとの、その、
出逢い、価値観との出逢いは、
私にとってなくてはならない道だった。


 恋愛だって、
可愛いわがままが言い出せなくても、
好きな人には好きって伝える、
そう決意できた。


 仕事も、生活も、経済的にも、
健康の観点でも、恋愛も、
どれも不安定という状況になって
それだから見えてきたことがある。


 ー 心が揺れて、価値観が揺れて、環境が揺れる。
 そういう瞬間をしっかり書き残せたことを嬉しく思います。
 未熟な文章と、未熟なわたしをみて、「わたしもわたしの世界をすこしは愛してみるか」と思ってもらえたら本望です。(p.253)ー

 揺れ続ける心の真ん中で、
私が今見えているのは、

 自分にとって心地よいペース、
 自分が幸せだと感じるものは何か、
 私は今頭の中で何を想うのか、


 そういうことだったし、
大学院を修了して、
色々な事情があったにしろ、
仕事を辞める選択をして、
少しずつ、半歩ずつこの2年間、
ペースダウンをしてきた結果、
やっと自分の生きたい時間を、
私のペースで進みはじめた。

 この2年間がなくてはならないものを
たくさん届けてくれた。

 27歳をどう生きるかも、
 30歳をどう生きるかも、
まだ具体的には何も見えないけれど、

 私は絶対に、幸せを感じられる。
 またきっと、急き立てられるように
生きる日々がきたとしても、
 この2年間の余白が私に、
心の余裕をくれる。

 そう思える。

 これからも、揺れながら進もう。


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