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3つの語り②(混沌の語り)

混沌の語りとは,いわゆるネガティブ発言です。

復帰の語りが未来志向なのに対し,混沌の語りは苦しみによって将来の希望や計画が破壊され,未来を描くことができない状態です。

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苦しみによって,“今”に閉じ込められている状態とも言えます。
まさしく苦しみに圧倒され,“今”を何とか生きるだけで精一杯なのです。

そのような状態での語りは周囲の者にとって聞くに堪えない内容であったり,周りの不快にさせてしまったりすることも珍しくありません。
また,社会的にみれば非効率で非生産的とも言えるかもしれません。だからこそ排除したくなる,言わせないようにしたくなるのです。

苦しい状態にある混沌の語りはフランク自身も推奨されるものではないとしています。しかし,乗り越える・克服すべきものでもないとしています。
そもそも人間は誰もがいつでも混沌の語りに陥る可能性を持っています。
世の中は理不尽で溢れています。何も悪いことをしていないのに,ある日いきなり病気になる,事故に巻き込まれる。そういった唐突な不慮の出来事が数多く存在します。

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故に混沌の語りに陥る可能性を無くすことはできず,その意味で混沌の語りを全て克服することは不可能なのです。

そしてもう一つ,混沌の語り手は今まさに苦しみの真っただ中にその身を置く存在です。
“今”に閉じ込められ,未来を描けない状態は孤立を生み,周囲と共に生きている実感を持つことも出来なくなります。
それは自らの生も存在もままならない状態なのです。そこで自らの混沌を語るとは,自らの存在を賭けた語りなのです。

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「痛い」と何度も語る者に,「そんなに痛いはずない」,「気にし過ぎだ」と返すことは,苦しみの否定であり,その人の存在の否定にも繋がります。前述した『復帰の語り』とは,時に混沌の語りを否定する側面を持ってもいるのです。
不条理・理不尽が溢れる世界では,誰もが混沌の語りに陥る可能性を持っており,誰もが傷つきやすく弱い存在です。
支援者にとっては苦しみに感受することが課題になるかと思います。

【参考文献】
・アーサー・W・フランク(著),鈴木智之(訳):傷ついて物語の語り手

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