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【イチ×ココ#18】緩和ケア格言「私は医療の専門家、貴方は貴方の専門家」~意思決定支援の話~

「意思決定」と聞くと、皆さんはどんなイメージを持つでしょうか。
右に行こうか左に行こうか、気になるアレを買っちゃおうか、今夜は何を食べようか…言ってしまえば人生は意思決定の連続ですが、大人であればたいていの場合、自分のことは自分で判断して意思決定を行っていると思います。

ですが、なんでも100%自分の意思だけで決めているかというと、案外そうでもなかったりします。
例えば朝出かけるときに傘を持っていくかどうかは、気象予報士という”専門家”による天気予報を参考にするでしょうし、パソコンを買い替えるときは電器屋の店員さん=”専門家”に「どれがオススメですか?」と尋ねるかと思います(少なくとも私は機械に詳しくないのでそうします…)。

医療も同じで、仮に病気になったとして、どのような治療を行うかなどの意思決定は”専門家”である医療者の支援なしでは難しいものだと思います。
特に、がんや心不全などの命に関わるような病気である場合は、なおさら専門家の助けが重要になります。
これを我々医療者は、俗に「意思決定支援」などと呼んだりするのですが、意思決定支援の常識は近年で大きく様変わりしています。

パターナリズムモデル

かつて、医療における意思決定の主導権は医療者にありました。医学の急速な進歩によって医療者と非医療者である患者・家族等との知識の差が大きくなったことから、「医療者が治療方針を決めるのが患者にとっても最善」という考えが主流になったのです。
そのため、治療方針は医療者が決め、患者や家族等はそれに従うという、いわゆる「パターナリズムモデル」と呼ばれる意思決定のスタイルが通常になりました。
しかし、さらに医学が進歩して一つの病気に対する治療の選択肢が多様になったこと、そしてインターネットなどで医療者でなくても病気や医療に関する様々な情報を手に入れられるようになったことなどから、パターナリズムモデルへの疑問や反発の声も大きくなりました。
特に問題とされたのは、必ずしも「医学的な最善=患者の最善」ではないという点です。例えば、高齢になって嚥下機能が衰えて食事が摂れなくなった患者に、胃瘻を造って栄養剤を投与すれば、生存期間は多少長くなるかもしれませんが、患者本人はそのような状態で長生きしたいとは思っていないかもしれません。

情報提供モデル

そのため「患者の自己決定を尊重しよう」という風潮が高まり、今度は「それなら医療者は情報提供だけして患者・家族に決めてもらおう」というような風潮になりました。(「情報提供モデル」とも呼ばれます。)
ただ、そうなると今度は、十分な知識のない患者・家族等が「AかBという選択肢がありますが、どうしますか?」と難しい選択を迫られるという事態が起こるようになってきました。さらには、結果として客観的にみて最善とは思われない治療方針が選択されてしまう可能性もあります。
つまり、必ずしも「患者が選んだ=患者にとっての最善」とは限らないし、選択する患者や家族に大きな心理的負担がかかるというのが情報提供モデルの問題点です。

共同意思決定(SDM)モデル

そこで昨今は、医療者と患者(家族等)がお互いに情報を出しあい、話し合って意思決定を行っていく「共同意思決定(Shared Decision Making; SDM)モデル」が推奨されることが多くなりました。
医療者が提供する情報は、考えられる診断、検査結果、治療の選択肢などの客観的な情報だけでなく、医療の専門家としての推奨、つまり主観的な情報も含みます。
一方で患者(あるいは患者の代理人としての家族等)も、意向、価値観、感情、気がかりなこと等、患者でしか知り得ない情報を医療者に対して提供します
これらの情報を統合・整理して、どのような方針を選ぶか話し合いながら意思決定していくのがSDMモデルです。
つまり、医療者は医療に詳しい”専門家”として、患者は自分自身のことに一番詳しい”専門家”として、意思決定に主体的に関わるということです。

こういった意思決定のスタイルが近年推奨されているのは、以下のようなメリットがあるからと考えられます。
・パターナリズムモデルと情報提供モデルそれぞれの欠点を低減できる
・意思決定に必要な情報の見落としを防げる
・話し合って決めることで、結果はどうある納得感が生じる

余談

ちなみにこれは余談ですが、意思決定支援モデルの変遷を語る上では、「責任の所在」という要素も無視できないと思います。
患者や家族等の言う「先生方にお任せします」は、邪推すれば「責任は先生方がとってくださいね」とも受け取れますし、
反対に、医療者の言う「患者さん(ご家族)の意向に沿った対応をします」は「私達は責任は負いかねます」と患者・家族等には聞こえるかもしれません。
しかし医療というものは不確実性が高く、「やってみなくてはわからない」という場合も多いので、結果に対して誰かが責任を負う、という考え方はあまりマッチしません。
なので、SDMモデルは医療者と患者・家族等とで責任すらもShareすることができるため、責任どうこうに左右されず「患者にとっての最善は何か」という本質的な話し合いができる、という意味でも有用だと思われます。

まとめ:大事な補足

ということで、現状ではSDMモデルが最も推奨されている意思決定支援モデルであるということをお話ししてきましたが、SDMモデルも万能ではないことには注意が必要だということを最後に申し添えておきます。

SDMモデルが活用できるのは、「患者自身が意向の表明や意思決定を行える」あるいは「患者の家族等が患者の意向を十分把握している&患者にとって最善と思われる代理意思決定を行える」という場合に限ります。
つまり、患者の意思決定能力が十分でなく、適切な代理意思決定者がいない場合は、SDMモデルは成り立ちません。
また、患者や家族等が話し合うことを拒否して「先生方にお任せします!」の一点張りである場合や、逆に医療者の助言を聞かない場合、そして話し合っている余裕がない(例:初診の患者が心肺停止の状態で搬送されてきた)場合なども、SDMモデルは使えません。

そういった場合には、医療者の一方的な判断にならないよう気を付けながらパターナリズム的な意思決定を行うことが患者にとっての最善となるかもしれませんし、情報提供を行うに留めた方が”余計なお世話”にならずに済むかもしれません。

ということで、SDMモデルを基本に、状況に応じてパターナリズムモデルや情報提供モデルを臨機応変に使い分ける、というのが意思決定支援のコツだと言えます。(まぁ、その使い分けが難しいわけなのですが…)

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