「つくね小隊、応答せよ、」(九)




天保といやあ、まあ今からだいたい100年くらい前だな。ばあさんが話してくれた話っていうのは、その天保に起こった話なのよ。

阿波にある、小松島ってところの話でさ。あ、島っていってるけど、島じゃなくて入り江みたいな場所で、毎朝海から日が昇って、朝日がきらきら輝いて、静かだけども活気があって、とってもいい場所なのよ。小松島ってとこは。

でよ、その小松島に、染め物屋の茂右衛門って人がいたのよ。結構人を雇ってさ、なかなかに忙しく、店は、繁盛してたみたい。

で、そんな茂右衛門がある日、道を歩いていたのよ。そしたら、子供たちが林のなかでわいわい騒いでんの。木の下で火焚いて、上に向かって石投げたり、棒でつついたりしてんのよ。で、茂右衛門は気になって子供たちのそばまで行ったのね。するとさ、子供たちは、木の上の洞穴のなかに入ってる狸を、いぶりだそうとしてるのよ。

これ、おまえたち、なにをしておるんだって茂右衛門が訊くとさ、子供たちが口々に、狸汁にしてくうんじゃい、と答えるわけさ。

ま、子供ってときどき残酷になるときがあるでしょ?腹が減ってどうしようもなくひもじくて狸汁を食おうとしてるわけじゃなくてさ、みんな面白半分で狸を殺そうとしてるのよ。まあ、暇潰しの遊びだよね。で、それを茂右衛門がとめるのよ。

これ、おまえたちも火であぶりだされ、石を投げられれば、どれだけ怖いかわかるだろう。遊びで生き物を殺すのはならん。ほら、銭をやるから、皆で菓子でも買ってきなさい。

って言ってさ、茂右衛門はお金を渡したんだよ。そしたら子供たちは狸のことすっかり忘れて、我先に、って感じで金を握りしめ、町まで走っていくわけさ。

おまえも、次はもっと分かりにくい場所に居を構えなさい、次は見つかるなよ。

茂右衛門は火を踏み消しながら、木の上の狸に言ってさ、何事もなかったかのように歩き去っていくわけよ。

それを、狸が煙にいぶされた涙目で、木の上から見送る、と、そういうわけなんだけどもね。




で、それからしばらくたったあるとき、染め物屋の物置の蔵の壁の下に、ぽっかりと穴が空いたのよ。働いてる若いもんがそれを知らせに来て、

茂右衛門さま、たぶん、もぐらか狸か狐かだと思うんですが、巣が傾いて倒れちまう前に、埋めちまいましょう、なんならあっしが、煮え湯を注ぎ込んで、殺してから埋めますから。

と言うのよね。

で、茂右衛門はそいつに言うのよ。

よく気づいてくれたな、ありがとな。が、しかし、なにか悪さをするでもなく、穴を掘って住んでおるだけだろ?蔵が傾いておるならまだしも、まだなにも害はでておらん。その動物も、うちの店が安全だと思って巣穴を掘ったのだ。逆にそういう動物を大事に思う気持ちが、お客様に接するときにも自然にたち現れるもんなんだぞ、だから、巣穴の前に飯でもおいて、可愛がってやりなさい。なにか害がでれば、その時に考えよう。

で、そいつが、茂右衛門の言うその通りにしてるとさ、その日から、なんでかわかんねぇんだけど、店が商売繁盛の大忙しってことでね、すんごいことになったわけよ。茂右衛門も従業員たちも、なにがなんだかわかんない。でも、売り上げはうなぎのぼりに上がるし、働いてる者たちにも多目に給金が支払われるから、みんな笑顔ほくほくで働いて、さらに頑張るみたいな好循環ね。

その染め物屋、小松島の「大和屋」っていうんだけど、そこに、万吉っていうちょいとぼーっとした若いのが働いてたのよ。ぼーっとしてていっつもゆっくり動いて、でもまあ悪さはしない、いい奴で。

で、ある日、茂右衛門が万吉の働くのを見てると、やけにてきぱきと要領よく、器量よく働いてたのよ。

はて、万吉、あんなに仕事ができるやつであったかなぁ、成長したもんだな、と思うわけだけども、なにやら雰囲気そのものがまったく違う、商売の仕方が違う、染め物の仕上がりも、しゃべり方も違うってんでね、働いてる奴らの間でも、「不思議だなぁ」という話になったのよ。

で、茂右衛門が、万吉を部屋に呼んで、話を聴いたらしいんだわ。

おまえ、最近頑張ってるな、でもなんか、人が変わったようだが、どうした、なにかあったのかってね。するとさ、万吉の様子がおかしい。なにやら今まで見たこともないような真面目な顔つき。そして万吉が話し出すわぁぁぁけぇぇぇぇよぉぉぉっ!あ!ドドンッ!!


仲村はふたりの前に立ち、歌舞伎のように、表情と妙な節回しをつけて喋り出した。


あ!これはこれはぁ茂右衛門さまぁ!さっすが、御目がぁ高あぁぁこうございますぅぅるぅぅわっちは、万吉では、あっ!ござりんせんっ!!!

ななな?なあんとぉ? あっ! 万吉ではない? あぁぁ! 万吉、なにを申しておるんだあぁぁ?

あっ!すると万吉ぃ!カカンっ!うやうやしく畳に手をつきぃ、神事のように深く幾度もこうべをたれるぅっ!

あ!わっちは、茂右衛門さまに!あぁっ!お助けいただいた者でございますぅ!ドドンっ!

清水が頭を掻きながら、仲村に苦情申し立てをする。

「ちょっとその変な節回しのせいでぜんぜん中身が入ってこねぇんだわ、普通にたのむわ」


雨の降る苔むした岩影。

遠くの方で砲撃か、爆撃の音がしている。

渡邉は膝を抱えて、おとなしく仲村の話を聞いていたが、微妙な顔つきをしている。どうやら渡邉にも歌舞伎風の話し方は理解しにくかったらしい。

仲村は寂しそうな顔で、おとなしく岩影に座り、少しトーンを落として話し始める。



わっちは、このお屋敷の蔵に住まわせてもらっている狸です。茂右衛門さまにご挨拶したく、今は万吉殿のお体をお借りしておる次第にございます、と狸。

ほう、万吉の体を…、こりゃたまげたなあ、いや、それにしてもあの巣穴はそなたのねぐらであったか、そうかそうか。で、挨拶とは、なんの挨拶なのかの?と茂右衛門。

みっつのお礼を申し上げたく、参上いたしました、と万吉、いや、狸のついた万吉。
ところで、この狸。様子は冷静沈着、品行方正。まるで礼儀正しい剣豪のような、そんな雰囲気。

みっつのお礼とは、なんだろうか?と、不思議そうに茂右衛門が訊いたら、狸は畳に手をついて、茂右衛門の疑問に答えていく…






茂右衛門の店の奥の間。

万吉についた狸と、茂右衛門が向かい合い座っています。

店は今日も繁盛しており、通りの足音や、牛車の車輪の軋む音、人々の話し声がこの部屋まで届いてきます。

開け放した障子から、夏の涼しい風が舞い込んで来ました。

「茂右衛門さま、3つの礼とは、こちらにございます。

ひとつ目は、蔵の穴に快く住まわせていただけたこと。

ふたつ目は、毎日のように私に握り飯などのお食事を用意してくださったこと。

そしてみっつ目は、子供たちに狸汁にされかかっていたところを助けていただいたことです。

わっちはあの日、小松島の港に落ちてた竹輪を食いました。しかしどうやら悪くなっておった竹輪のようで、腹が痛んで痛んで動けなぬなったのです。そこを子供たちに見つかり、あやうく殺されかけました。腹が痛くなければ、化かし返して退散させてやるところでしたが、どうにもあのときは力が落ちて、化けることができなかったのでございました。

あの日助けられてから、わっちは茂右衛門さまにお仕えしようと、そう心に誓ったのです。ですので、できるだけ茂右衛門さまのお近くに、と思って蔵の下に穴を掘りました。が、お店の方に見つかってしまいました。しかしそこでも茂右衛門さまはわっちをお助けいただきました。

そして毎日もって来てくださる食事。実はわっちは、今年で206歳になります。このあたりの数百の狸を束ねる元締めをさせてもらっておるのですが、森の中の藪狸たちは、食いもんはないのに子沢山と来たもんで、それで茂右衛門さまがくださるおまんまを、その子狸らに分け与えておりました。藪狸たちも、茂右衛門さまには大変感謝をしております。

それゆえ、ほんの少しでもの恩返しを、と思いまして、皆で商売繁盛の祈念を致しておりました」

狸の話を、真剣に聴いていた茂右衛門は、ぽんと膝を打ちました。

「なるほどっ!どおりで商いがとんとん拍子に進むわけだ!いや!狸どのっ!助けられた恩をそのように返してくれて、私はとても嬉しい。お主のあの巣穴の前に社をたてて、狸どのをお祀りさせてもらおう!まことにありがたいっ!」

狸は平身低頭して、茂右衛門のその言葉に痛み入っている様子です。

そして後日、茂右衛門は本当に、この狸の穴の前に社をたて、毎日お供えものをし、店の者全員で手を合わせるようになったそうです。

「いえ、茂右衛門さまのお役に立てる、そのことだけでも大変光栄なこと!こちらこそ、ありがたき幸せにございます」

「いやいや、本当にこちらこそだ。それで、狸どの、すまんが狸の道理には疎くてな、その、お主には名前などはないのか?是非知りたい」

すると、背筋を伸ばして狸が言いました。

「はいっ、わっちは、小松島、日開野の金長と申します」






「お、雨やんだな。晴れてきたぞ」

仲村が話の途中で、空を見上げて立ち上がる。

雲が切れ、青空が見えてきた。

深い森の上にある白い雲と青い空。南国の夏雲が爽やかに立ち昇っているのが見えた。

どこからか、低空飛行の飛行機のエンジン音が聞こえてくる。
もうこの島には、日本軍の対空戦闘用の武器などは稼働していない。連合国側は、まるで散歩でもするかのように低空飛行で飛んでゆく。

機影が見えた。

アメリカ海軍の哨戒爆撃飛行艇。ずんぐりした、くじらのような機体。

仲村が岩場に隠れ、機体を見上げた。








すると、

機内の米兵と

目が

あって

しまった。






どうやら、日本軍の残存兵を探していたようだ。

「やべえ…」

仲村が岩陰に座り込んで呟いた。

渡邉がそれに反応する。

「まさか、見られたのか?」

仲村が、青白い顔でゆっくりと頷いた。

すると、清水が仲村を慰めるように言う。

「いや、まあでも、大丈夫だろ、兵隊ひとりいたからって、敵さんがどうこうしてく」どだだだだどん!

遠くで、爆発音が断続的に聴こえた。3人にとって聞き覚えのあるあの音。艦砲射撃の音。どうやら、無線で位置情報を知らせたのだろう。それにしても早すぎる。あまりに早すぎるから、ここを狙ってるとは考えにくい、と清水と仲村は思った。

「…まさか…ここに撃ってくる訳はねえ…よな…?」仲村が青白い顔でふたりを見る。渡邉が叫ぶ。

「岩肌を狙ってくる!ここから出来るだけ離れろ!」

3人が岩陰から飛び出すと、

きゅーをうるらるるるるるら

という音が微かに聴こえてきた。3人の心臓がうさぎのように跳ねる。

「急げ貴様ら!」

渡邉が大声で叫ぶ。
足場がごろごろした岩なので、中々進めない。仲村は、転ばないように慎重に岩場を走る。清水は、膝に力が入らないのか、よろよろと走る。

「貴様ら死にてえのか!!!!」

渡邉が二人の胸ぐらを掴んで、引きずって走り、森の中にふたりを投げ込どばがばどばがらがばだばどがばたあがたばりばりどくど!!!!!!!




岩肌にいくつか砲弾が弾着した。岩が地滑りを起こしたように地面に砕け落ち、大地が揺れる。






岩が砕けた白い煙、石が焼けるなんとも言えない臭いが、漂っている。

もしサポートして頂けた暁には、 幸せな酒を買ってあなたの幸せを願って幸せに酒を飲みます。