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300円のパンケーキ(創作小説)


奥田鈴華。彼女は現在、絶望の渦中にいる。


自ら立ち上げた会社が、わずか2年で倒産、自己破産をした。それから3ヶ月のあいだ、寿命を使い捨てるだけの無気力な毎日を過ごす。


今の彼女は空っぽだ。死なないためだけに生きている。そんな生活に何も感じない。


まただ。また、望んでもいないのに、孤独な夜へと引きずり込まれる。

もう腐るほど溺れた。情けない涙を何度も流した。だけど何も変わらなかった。泣きながら超える夜に、一体何の価値があるのか。そう思いながら浅い眠りを繰り返す。

眠りが浅すぎて、毎日6時には目覚める。
朝もまた絶望だ。朝はただひたすらに寂しい。その寂しさは、孤独からくる夜の絶望とはまた違う。

社会は活動を始め、忙しなくせわしなくバスや電車、人や車が行き交う。皆必死に生きているのに、私は現実から目を背けるためにビールを飲む。


必死にアルコールを摂取しても憂鬱さはさして変わらない。あるいは、飲酒前をも上回る。酔えずに吐いたアルコールまみれの吐瀉物としゃぶつは、これまで見てきたどんなものよりも汚かった。


朝が来るのが怖い。夜が続くのも怖い。恐怖で支配されて停止した思考を不安が襲い、胸が押しつぶされそうになる。

事業が軌道に乗っていた頃は、例えかりそめであったとしても、本当に充実していた。あの幸せに嘘はない。

あの時は、朝が来るのが楽しみだった。「夢」が生きる理由そのもので、心の底から信じて疑わないひとつの未来があった。

今は、大切なものがなんだったのか、もう自分でも分からない。


夢は恐ろしい。
夢が無ければ退屈さや罪悪感から焦りが生まれるし、あるいはあったとしても、自分の力不足から不甲斐なさや苦しさを味わう。

今は夢どころじゃない。普通に生きることすらままならない。

気がついたら二度寝をしていて、19:00に目覚めた。


24時間以上何も食べていないので、腹の虫がうるさい。なんとなくキッチンを漁っていると、いつの日にか300円程で購入したホットケーキミックスがあった。


それに見るや否や我を忘れて、無我夢中でパンケーキを作り、蜂蜜もバターも加えず、貪った。


なんてことない、普通のパンケーキだ。今まで何度も味わってきたのに、あまりにも優しくて幸せで、涙が止まらない。


たった300円のパンケーキで、涙が出るほど幸せになる自分に驚いた。ことほどさように、自分は衰弱していたのか。だが、自分の中にある僅かな光を見た。もうとっくの昔に消えたと思っていた光は、弱々しいが、確かにそこにある。


ずっと倒産した原因を考えていた。確かに振り返れば、一つ、一つと選択し進んでいく中で、決定的に間違っていた瞬間があった。でも、今になって答え合わせをしても何も変わらないし、そんなことはどうでもいい。


ただ、300円のパンケーキが生きる希望を与えてくれた。それだけでいい。それだけで、今この瞬間を生きていけるのだから。



絶望して前が見えなくなったとき
立てなくなるほど立ち直れないとき
生きるだけで精一杯になったとき


ささいなことが自分を救ってくれる時もある。


300円のパンケーキには、そんな不思議な力がある。

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