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「死ぬまで生きなきゃいけない」倫理観への疑問

年に1回くらい精神のバランス崩すというか、プチ鬱状態で息がしづらくなったり、無気力だったり、朝動けなかったり、人と喋りたくなかったり、頭回らなくて口も回らなくてどもり気味になったり…という症状がある。

「いつものことだ」って誰にも言わずに、病院にも行ったことないし自己消化して過ぎ去るのを待つんだけど。

この前も「早く人生終わってくれ」って思いながら心が死んでたけど、最近復活してきました。

私は死ぬ気は無いけど、死ぬまで生きなきゃいけない人生って酷だと思ってる。

未来に期待するものが何も持てないのに、この先、稼ぎながら何十年も生きていかなきゃいけないなんてハードモードすぎる。

人が死ぬのは悲しいし、自ら命を絶つ人はいなくなってほしいけど、無責任に「生きろ」なんてとても言えない。

そんなこと言って、
養ってくれるわけ?
孤独を癒してくれるわけ?
生きる意味や価値を見出してくれるわけ?

「生きてるだけでいいことある」なんて勝手なこと言うなって思うよね。

生きてるだけでしんどい人に「耐えろ」って。

「死ぬこと以外かすり傷」がブームだけど、「死ぬこと」より「死ぬこと以外」のが辛いと思う。死んだらその先、無傷だから。


なんかさ、安楽死を自由に選択できる制度があってもいいと思うんだよね。

「◯年◯月◯日に人生終了します。」と手続き取ってさ、病院で終わらせるの。

そしたら今までお世話になった人に最期に挨拶回り巡業してさ。身内が送別会的なものも開催してくれるかもしれない。

元気なうちに財産全部使い果たすような豪遊して「はい、明日人生終わりにしまーす!」って。

死に対するネガティブな印象もなくなるかもしれない。

アラサーアラフォー未婚女性の苦悩や生きづらさも社会問題だと思っていて。
この先一人で生きていかなきゃいけない絶望感をまとって生きてる人も多いと思う。

これって長い長い未来を見据えなきゃいけないから辛く思うわけで、50歳位で死ねるなら未婚の人生を最高にハッピーに生きていけると思う。

未婚女性に限らず、キャリアに迷う人や、やりたいことがあるけど金銭的な問題や何やらで保守的に生きてる人も「失敗すれば死ねばいいや」って選択肢があったら凄いチャレンジができる気がする。

まぁ極論なんだけど。
私はそんなことを考えてる。

私は、未来を見据えて清く正しく生きなきゃ!と思う「真面目な側面」と、怖いもの知らずに好奇心とフットワークの軽さで生きる「自由な側面」が共存していて、その相反する内面に葛藤して生きづらさを感じることが多いんだけど、最近は後者の方の割合を強めている。

「いつ死んでもいい人生だから好きに生きよう」と思って。吹っ切れると少し楽になる。

お金も自由に使う。

死にたくなくても、死にたくても、いつどこで死ぬかわからないし。

こんなこと言いながら、めちゃくちゃ長く生きたりするのかもしれけど。

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