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生き方に定義ってある?『ストーリー・オブ・マイ・ライフ』

ハタチを迎える前にこの映画に出会えて良かった。

3月に最後に映画館に行ってからもう4か月が過ぎた。ついに今日、ずっと気になっていたこの映画を見に行った。ちなみにこの記事は映画館から帰宅し真っ先にパソコンに向かって書いている(もちろん手洗いうがいはしっかりしてから)。それくらい刺激を受ける映画だった。【以下ネタバレあり】

予告を見たときのイメージとはだいぶ異なる印象を受けた、もちろんいい意味で。―主人公のジョーが周りの批判を受けながらも当時の女性にとってのいわゆる「幸せ」なレールから外れ、自らの夢を追う―、そんな少しありきたりなストーリーだと思っていた。いや、まあこの解釈も間違っているわけではないんだけど。もっと四姉妹全員にフォーカスしていたし、それぞれの生き方を大事にしている、そんな感じを受けた。それぞれが自身の内面や生き方に葛藤する一方で、周囲のジェンダー的な圧力はそれほど強すぎなかったため、ストレスを大きく感じずに物語にのめり込めたのだろう。

わたしもジョーのような悩みで頭を抱えることがある。やりたいことがある、結婚より大事だとも思う。けどやっぱりひとりは寂しい。時に自分の心の中の矛盾に気づきモヤモヤし、葛藤し、ああもう!ってなる。そういう時に例えば映画とか、本とか、何かに答えを求めたくなる。けど別に私は今回この映画を通してその答えを見つけたわけじゃないし、結局これからも自分で悩んで自分なりの答えを手探りしていくしかない。自分で自分なりの答えを見つけなきゃいけないからこそ四姉妹もそれぞれ別の生き方をしていったわけだし、世界中の人が正答を与えられずに生きているんだなって思うと、ちょっと気が遠くなるけど二十歳になる前にこれに気づけて良かったなと。

話は変わって、最近たくさんの映画を見ていて思うのは、別に映画を純粋に楽しむだけでもいいんじゃないかな、っていうこと。今までは何で薄っぺらい感想しか持てないんだろうと悩んだこともあった。けど「ワクワクする」ってこれだけでも大切なわたしの感情だし、誰かのために映画を見ているわけでもない。映画に関する専門的な知識もないわたしが一番大事にすべきことは、映画評論家や他人の感想を見て自分の感想を間違っていると思ったりせず、ありのままの感性を大事にすること。当たり前のようで、他者の考えを簡単に知れる現代では難しいこと、だからこそ。

映画を純粋に楽しむだけでもいい、そうは言いながらも、今回の「ワクワク」に関しては、少し論理的に向き合ってその感情の原因を掘り下げてみた。この作品はアカデミー賞衣装デザイン賞を受賞しているけど、本当に衣装が素敵で常にその世界観に魅了された。素敵なキャストが四姉妹を演じているとというだけで華やかだが、彼女らの纏う衣装の存在はその華やかさを一層引き立てたし観客(わたし)の気持ちを高ぶらせた要因の一つだと思う。

ここでまた考える。結局華やかなものに憧れてしまう自分、これって「女の子らしい」要素に引っ張られて生じている感覚なのか?男女平等を考える中で、モノの見方の違いにも平等性が必要かどうか、そもそもそういった違いを作るような文化をなくすべきか悩むことがある(最近考えた例だと、戦隊モノとプリキュアはどうなの?とかディズニープリンセスは?とか)。そこを平らにしてしまったら失われるものもあるし、けどそういった文化が今の「男の子らしい」「女の子らしい」に加担しているのも事実だし。これって難しい問題だよね、もうやだここでは考えません。(自分でネタを振ったのに。)これも答えのない問いだ、長い時間をかけて私なりの答えを考えていきたい。


結局なにを伝えたいのかと言われると、「この映画はわたしを最高にワクワクさせてくれた」ということ。前述したように、わたしはわたしの感性を大事にしていくと決めたし、他人のためにこれを書いてるわけじゃないし、映画を見た後の高ぶった感情のままにまとまりのない文を綴っているだけだ。文字制限のないツイートのようなもの、お金をもらってるわけじゃないし!まあただ一つだけ言うとしたら、たくさんの、特にわたしと同じ年くらいの人にこの映画を見てもらいたい。ネタバレありという時点でちょっと矛盾している気もするのだが!


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