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選択と感謝

12/4はなぜだか水曜日だと思い込んでいて、手術までまだ一週間あると思っていたら、4日は週明け早々の月曜日で、もう残り一週間ないことに今更気がついて驚いた昨日だった。

今日は、手術の方法の希望を医師に伝えに行くのと、麻酔科の先生との事前面談で、病院に行ってきた。半ば気持ちは決まっていたようにも思うけど、もう一度一週間考えて、全摘を希望した。

医師は、部分摘出で十分だと思っている。
母も、言葉では言わないが、おそらく全摘ではなく部分摘出の方がいいと思っていると思われる。(兄が内科医だった母は、切ったり開いたりする量が大きいほど身体へのダメージは大きく、負担は少ないに越したことはないと考えている。勿論、内臓などについてはそうかなと自分も思う)
そういう重要な人たちの意向に反して自分の希望を伝えることは、少し勇気もいるし、ストレスでもあった。
でも、自分の身体のことであり、自分の生活のことであり、自分の未来のことである。今までそうあるよう意識してきたように、後悔のない選択をすることが何よりも大切だ。

これまで大きな怪我も手術もしたことがなく、大きく切ることに不安がないわけではない。でも、noteに書かれている、「頑張ってみたら腕がちゃんと上がった!」や「やっと退院!」といった数々の投稿が、勇気になり支えにもなってくれたように思う。
noteの皆さま、ありがとう。

◇ ◇ ◇

手術まではもうあと数日。
やっと終わった抗がん剤治療からもあっという間だった。
まだまだ手術は怖い気持ちはあるけれど、それと同時にいろんな人たちへの感謝でいっぱいになる。

これまでの治療をしてくださった病院の方々はもちろんのこと、そもそも自分が標準治療を受けられていること。過去の何十年もの方々の治療や治験の結果の積み重ねで今の治療がある。もちろんそれは藁にも縋る気持ちで、他の人のためという意識はなかったかもしれないけれど、その積み重ねの恩恵を自分は受けている。

高齢の母と、信頼できる従姉妹は、この数ヶ月、余計なことは何も言わず、ただ静かに見守ってくれた。

noteの中の、時に思わず笑いが出るような投稿たちにも元気づけられた。
たださりげなく、自分の選択や経験をコメントしてくださった方々にも。

そして、友人や仲間たち。
抗がん剤治療中、いつも遠隔でパワーを送り続けてるよ!と言ってくれた友人たち。体調に波があるのに鎌倉八幡宮まで祈願に行ってくれたりもした。
登った山の神社には必ず願ってきます!と言ってくれて、神奈川の守り神大山阿夫利神社のお守りを送ってくれた山仲間。時折り、さりげないメールや手紙を送ってくれた。
離れているある人は、坂がキツイのに、ジョギングであちこち走って、近所の全部の神社(七カ所も!)にお参りしてくれていたことも最近知った。
本当にいろんな仲間たちの気持ちに自分は守られているのだと思った。

まずは、自分が元気になることが恩返し。
でもいつか、もっと私も返せたらと思う。

◇ ◇ ◇

先日、友人から、ランチの後に、
「これまでの治療、お疲れ様。よく頑張った!
手術は、今度はお医者さん達が頑張る番だから、あとは安心して任せてくればいい!」
とメールが来た。

そう。手術当日は、自分はまな板の上の金魚のようなもの。
ただ、自分はアンテナ全開で、皆んなから送られるパワーを全身で受け止めていればいいのだ。

不安はあるけど、行ってくる。
いざ出陣。

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