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右胸全摘。手術は無事終了!

入院からの経過を少しまとめておくことにする。

12月3日 手術前日

14時に病院にチェックイン。高齢の母に付き添ってもらった。
入院の時は付き添いは特にいらないとも思ったけれど、病院までの行き方や病院内の構造を事前に知っておいて貰った方がいいだろうということもあり、連日の外出になって申し訳なかったが、付き添ってもらった。
説明を受けて、病室に案内される。
この日は夕食も出るし、夕方シャワーも浴びていいとのこと。水分は翌朝6時まで。

夕食前に、翌日の点滴のルートを事前に取っておくとのことで看護師さんがきてくださった。
が、入らない・・・。
入れ替わり立ち替わり、看護師さん6-7人がかりで30分・・・。
5箇所目でようやくルート確保ができてよかった。看護師さんも泣きそうだと言って、皆で笑った。
怖くてCVポートを入れずに最後まで腕の血管で頑張ってきた化学療法だったが、改めて、自分の血管は頑張ってくれていたんだなあと感じた出来事だった。

この日は21時までは食べていいというので、“最後の晩餐” ならぬ “おやつ” よろしく?、バターどら焼きを買い食いしてから就寝。
明日が気になるのか慣れない環境のせいか(いつも山小屋でもあまり眠れない)、睡眠は小間切れで、一時間毎に目が覚めてしまう夜だった。

最後の晩餐おやつ。
半分くらいにしておこうかと思ったけれど、結局まるっとペロリだったなあ。

12月4日 手術当日

朝一番9時過ぎからの手術の予定。朝6時に最後のお茶を一口飲んで、7時頃までに手術着に着替える。着慣れない感じに心細くなる。
朝早く、今日担当する外科チームだといって、数人のメンバーが突然挨拶にやってきて驚いた。手術は乳腺外科と麻酔科と看護師さんたちで行うのかと単純に思っていたので、改めて(生検用の摘出とは違う)ちゃんとした手術なんだと実感した。
7時半からRI検査なるものをして、戻ってくるとすぐに手術室に移動。
手術は9時15分からだそうだ。

手術室エリアに入ると、手術室が何部屋もあることに驚愕。10部屋くらいあったのではないだろうか。
入り口で、今度は麻酔科のドクターと看護師さんたちが自己紹介。改めて、何人もの方々が担当してくださるのだなと思った。
麻酔科のドクターは少しお茶目な感じの年配の先生で、のんびりした物言いがとても安心できた。手術室の天井のライトがくるくると目が廻るようだと言いかけたところで落ちていったようだ。

手術はきっかり二時間、11時15分に終了。
なにか楽しいことをやっていて、みんながいるそっちの方に自分も行こうとしていたところを急に無理やり引き戻された!と思ったら、抜管の不快感とともに手術台の上に戻ってきていた。
楽しいことをしに行こうとしてたのに、とチラと思った。楽しいことってなんだったんだろうなあ。
あんなに恐怖だった全身麻酔と気管挿管は、そんな風に終わった。
麻酔科の年配ドクターの顔が見えた後、主治医の顔が覗き込んできて、「手術が無事に終わったこと」「リンパ節への転移はなくリンパ郭清はしなかったこと」を説明された。この日初めて見る主治医の顔。ありがとうございました。

この日は終日ごはんなし。翌朝までは、点滴もカテーテルも入れた状態で、終日ベッド上安静で過ごさなければならない。
術後3時間経って、やっと酸素マスクを取ってもらい、水も飲ませて貰えた。
酸素マスクをつけていることが苦しかったので、マスクが取れた時はホッとした。
予想以上に痛みは全くなかったが、なにせカテーテルの不快感が大きい。早く取りたい。
手術の後は、疲れや痛み止めの点滴のせいもあるのか、夕方まで少しうつらうつらした状態で過ごした。母も、無事に手術が終わって安心したようで帰っていった。

点滴が入り続けていることを確認するための機械が付けられているのだけれど、夜間、その機械を3回も鳴り響かせてしまった。
「ピロロ! ピロロ! ピロロ! ピロロ! ・・・」
看護師さんが来て対処するまで、警告音は止まらない。
腕を折りたたんでしまっていたり点滴が空になったからと、理由は仕方ないのだが、同部屋の方々の安眠妨害を申し訳なく思う夜だった。

12月5日 術後1日目

早朝、点滴をとって貰えた!
この日からごはんが食べられる。
食べることが回復への第一歩だ!と朝ごはんも完食。
主治医の朝の回診で、傷は問題なさそうだと、バストバンドも外して貰えた。バストバンドがなくなると、急に剥き出しにされたようで少し不安になったが、それもしばらくすると気にならなくなった。
10時過ぎに看護師さんが来てくださり、病棟を一緒に少しだけ歩き、問題なさそうだとカテーテルも抜いて貰えた!
カテーテルが抜けてから約24時間、翌朝9時半くらいまで、排尿後にエコーで確認する必要があるが、管のないことのなんという解放感。
管が取れていくにつれ、身体の自由を取り戻し、快適になってきていることを実感する。後は右脇のドレーンのみだ。

11時過ぎに、リハビリの先生が来てくださる。
勝手にリハビリ室のようなところで集合で行うことを想像していたけれど、先生が病室に来て、施術と説明をしてくださるスタイルだった。
ドレーンへの排液の量も少ないらしく、腕も問題なく割とよく上がる方とのこと。でもあまり最初から腕を上げすぎたり、頑張りすぎなくてよいと注意もされた。
手術が朝一番だったからか、手術前日・当日の夜が一時間毎に目が覚めてしまうような長い夜だったせいか、時間の感覚が狂っているようで、手術からもう2-3日くらい経っているような感覚になるけれど、まだ術後1日目なんだなと不思議な気持ちだった。

午後の面会時間に、来なくてもいいよと言っていたのに、母が来てくれた。
昨日の、ベッド上安静でうつらうつらした状態とは打って異なり、すっかり元気になっている様子を見て安心したようだ。
面会制限の時間で早々に帰っていったが、安心して貰えてよかった。

病院の消灯は21時と早い。
管も取れ、身体の自由も増えてきて、少し安心してきたせいか、この日は深夜から朝5時まで割とよく眠れた夜だった。

12月6日 術後2日目

身体に残る管も右脇のドレーンのみとなり、朝に最後のエコーの確認をした後は、すっかり気楽な気持ちになれた朝だった。

傷のところを見てみると、不思議なくらいに “真っ平” になっている。
全摘したのだからそうなっていて当たり前なのだけど、目の当たりにすると、本当に、不思議なくらい真っ平なのだ。
でも、後悔は全くないし、“真っ平” が嫌な感じに見えるわけでもない。
ただ、あったものがなくなった、という少し不思議なものを目にしている感じ、とでも言おうか。

さておき、“真っ平” になった右胸は、不思議なほど痛みもなく、内出血もない。
脇の付け根が少し腫れぼったくなってしまって、そこには痛みが若干があるが、脂肪や皮膚の偏りなどもあり、そこら辺は仕方ない模様。でも傷自体はずいぶんと綺麗な印象だ。
きれいに手術して貰えたのだなと感じた。

この日は夕方、二度目のリハビリ。
先生による施術と、自分でやるリハビリの方法を指導していただいた。
排液の量も少なく、退院も早いかもしれないと言われて嬉しい。
明後日、またもう一つ、追加のリハビリの方法を教えてくださるそうで、帰ってからは、その2種類のリハビリとマッサージ(マッサージは退院後一月後くらいから)をやるようにとのこと。
「しばらくの間の相棒になるから」と、リハビリ用の棒を渡された。棒には、少しでも愛着を持って使って欲しいからと、好きな絵柄のシールを貼ってもらった。
今日教わったリハビリは1日3回10セット。リハビリとマッサージは、だいたい三ヶ月くらいやる必要があるらしい。
もともとズボラで無精な自分だが、ちゃんと続けられるだろうか。
三ヶ月。今からだと、三月の桜の季節の頃までだ。
「桜の花を見る頃まで」と考えれば、きっと頑張れるかもと思うことにした。

夜、初のリハビリセットをやって、この日も21時に消灯。

リハビリ先生からいただいたリハビリ棒。
ぴょんぴょん早く治りますように?と無意識に思ったのか、選んだのはウサギさん柄。
この棒のピンクと同じ桜が咲く頃までがリハビリ期間の目安。

12月7日 術後3日目

朝、8:40主治医の回診。
ドレーンの量も少ないし、その方がよければ早めに退院してもいいと言って貰えて、8日(金)に管を抜いて、9日(土)に退院できることになった!
家に帰れることが嬉しい!!

昨日あたりからは、もうかなり身体は自由だし体調も悪くないので、日中は気ままに過ごしつつも、少し時間を持て余し始める。
病棟以外をあまり闊歩できる雰囲気がないので(入院中なので当たり前といえば当たり前。行っても一階のコンビニまで)、一日の過ごし方は、病棟内をうろつく・
本を読む・リハビリをする・メールをする・ネットを見る・うとうとする、といった感じである。
映画やドラマをもっと観るかなと思っていたけれど、案外映画もドラマも観ずに、本を読む方を好んで過ごしている。たぶんイヤホンがあまり好きじゃないんだろうと思う。

さて、いよいよ明日は最後の管を抜いて、晴れて全身自由の身になるのだ!

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