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ハウスミュージックのエロティシズム

ハウスミュージックを言い表すと、エロい、という言葉よりもふさわしいのはなまめかしくて、みだら、官能的という言葉だろうか。ずっしりと重いドラムとベースが地面にねばっこくからみつく。ダブやヒップホップよりも、さらに重いドラムとベースがとにかく低く、低く沈み込み、低音域をがっちりと固める2つの音の響きが特徴的で、サイケデリックの香りをまとい、古いソウルやファンク、ブルースのテイストが練り込まれた女性シンガーのヴォイス・サンプルやシンセサイザー、ギターなどの楽器の音がねっとりとなまめかしく絡みついていく作りの曲が中心のハウスミュージック。これが私がはまった音楽の神髄である。それは、ただ単にハウスミュージックを言う枠にとどまらず、その源流のガラージやフィリーソウルにも共通して言えることである。そして、この官能的な音楽にいち早く飛びついたのが官能性に敏感なNYのゲイ・ピープルたちであった。そして音楽シーンに革命をもたらすのである。
私が初めてハウスミュージックを体験(聴くというより体験と言った方がふさわしい)したのは、1976年に雑誌「ロックマガジン」を刊行し、KBSラジオ「ファズ・ボックス・イン」やラジオ関西「マジカルミスティツアー」で通好みの音楽を紹介していた阿木譲が大阪のアメリカ村でやっていたレコード店「Schallplatten Neu」でだった。1989年のことである。その時、かかっていたのは、Technotronic の「Pump Up The Jam」というハウスミュージックとしては若干オーバーグラウンドでヒットした曲であったが、それを聴いて、その音楽性云々よりも、その音楽が秘めた妖艶でいかがわしさ満点の官能性に惹きつけられた。

同じ頃、高校・浪人時代に愛読していた「FOOL'S MATE」で、当時聴いていたインダストリアル・ミュージックの雄、スロッビング・グリッスルのメンバーだったジェネシス・P・オリッジ、ピーター・クリストファーソン、オルタナティブTVのアレックス・ファーガソンらによって1981年に結成されたサイキックTVが、ハウスミュージックからの影響を受け、その後、世界的に知られるようになったアシッドハウスのアーティストのうちでも、もっとも過激な存在として活動を続けたことが紹介されていた。特に、ジェネシス・P・オリッジは、黒魔術、性魔術にもとづく自己変革を目指した新興宗教団体テンプル・オブ・サイキック・ユース(Thee Temple ov Psychick Youth)の結成メンバーとなり、中でも性魔術に関して言えば、魔術、儀式、またはその他の宗教的および精神的な探求に使用されるあらゆるタイプの性行為である。性魔術の一つの方法は、性的興奮または性的絶頂のエネルギーを利用して、所望の結果を視覚化することである。性魔術の前提は、性的なエネルギーが、自分の通常の知覚された現実を超越するために活用できる強大な力であるという概念であることから、拡大解釈をすればハウスミュージックにつながるところがある。ちなみに、ジェネシス・P・オリッジは、イギリス国外退去処分をうけ、ニューヨークに移住したのち、性転換をしている。
「FOOL'S MATE」も、大学に入学したころになると、通巻100号を機に洋楽専門誌と邦楽専門誌に分割された。洋楽専門誌は「MIX」となり、ハウスミュージックやクラブカルチャーを大々的に推しており、後に「remix」に改名しクラブカルチャー誌となった。
東京の多摩美術大学に入ってから、あるきっかけで六本木の英会話スクールに通うことになったのだが、そこで講師をしていたハイパーデリック・ビデオのデヴィッド・リチャードソンとインダストリアル・ミュージックをきっかけに仲良くなり、彼がVJをしていたクラブパーティーに誘われたことを機にナイトクラビングにはまることになる。
大学時代は、伊藤俊治や秋山邦彦といったそうそうたる先生の授業は刺激的だったが、学内の人間関係やサークル活動はつまらなく感じており、自分一人でせっせと渋谷や六本木、西麻布のクラブに通って踊りまくっていた。私はクラブでお酒で酔っぱらったり、ナンパしたことは一度もない。今から思えば、高校・大学時代を通じて、私の興味は女の子よりも音楽だった気がする。例えば、六本木の「RAZZLE DAZZLE」というディスコは、毎週土曜日の深夜2時からアフターアワーズクラブになって、ノンドリンクだったが1000円で入ることができて、金のない学生にとってはありがたい存在で、私はそこで飲まずに8時過ぎの閉店までぶっ続けで踊り狂っていた。同じように、西麻布のテレ朝通りにあった会員制ディスコとしてスタートした「GEOID」も、毎週金曜日の深夜3時からアフターアワーズクラブになって、そこにもよく通った。そこも同じくエントランスフィーは1000円。ちなみに、私のクラブ初体験は、89年に渋谷にオープンした「Cave」のDJ K.U.D.O.のパーティーである。

80年代末から90年代初めにかけて都市デザイン研究所が刊行していた「都市」という季刊誌の第2号の特集が「性的都市」で、漫画家の岡崎京子が「死体派都市観光宣言〈2〉または『セックス都市』」という文章の中で当時の私の心境をうまく代弁しているところがあるので引用する。
「ダンス・トランス・エクスタシー。あれって、来る。来るのよ。来ちゃう。好きな曲でストロボ・フラッシュされるとイッちゃう。騒音の中での個人的で孤独なセックス・オージー・トランスミッション」
例えば、6時間から8時間ぶっ続けで踊るとどうなるか。完全にトランス状態に没入して、脳からはβ-エンドルフィンが出る。それは30歳になって生まれて初めての海外旅行でチベットに行って以来、熱中することになるチベット仏教のタントリズム、特に無上瑜伽タントラの性的ヨーガと共通性を感じさせる。例えば、クンダリニー・ヨーガでは、グンダリニーを覚醒することにより、神秘体験をもたらし、完全に覚醒すると解脱に至ることができるとされる。覚醒技法の失敗や日常生活におけるアクシデントなどにより準備が整わない形で覚醒が生じた場合、様々な快・不快の症状をもたらすとも言われる。クンダリニーとは、宇宙に遍満する根源的エネルギーとされるプラーナの、人体内における名称であり、シャクティとも呼ばれる。
当時、踊っていた音楽は、ハウスというより、そこから派生したテクノ、特にベルギーやドイツ産テクノが中心だった。本格的にオリジナル・ハウスやガラージ・サウンドにはまるようになったのは、1991年から2008年の16年間、西麻布に存在し、東京のダンスミュージックシーンを牽引したクラブ「Space Lab YELLOW」でニック・ジョーンズのプレイを体験してからである。ニック・ジョーンズの思い出としては、青山の表参道の骨董通りに1993年にオープンし、日本のテクノシーン黎明期に多大な貢献を果たし、「東京テクノの総本山」「テクノ聖地」と称され脈々と語り継がれている「MANIAC LOVE」で、いつもはテクノのパーティーだったが、日本における巨大レイヴの元祖とも言えるRAINBOW 2000という野外パーティーがあった時に、「MANIAC LOVE」のテクノDJ陣が総出していた際にニック・ジョーンズのシークレット・パーティーが行われて、その時、私は初めてLSDを体験した。最初はペーパーを試したのだが、すでにアルコール漬けだった私にはまったく効かず、仕方なくプッシャーの友人からLSDの結晶そのもののマイクロ・ドットを手渡されて試してみたらぶっ飛んだ。

90年代の東京のハウス・シーンやクラブ・シーンを語るうえで欠かせない存在として、芝浦の「GOLD」と西麻布の「Space Lab YELLOW」の2つのクラブがあるが、私は断然「Space Lab YELLOW」派だった。「Space Lab YELLOW」は、海外の大物 DJ からアップ・カミング DJ 、国内 DJ などが登場するカッティング・エッジでクオリティーの高いイベントと、最高級のサウンド・システムや設備を揃え、東京中のクラバーから愛され続けていた。"イエロー"の愛称で親しまれるこのクラブは、多くのナイト・クラブが登場しては消えていく東京という大都市において14年もシーンをリードし、数々の伝説を生んできた歴史のある老舗でもある。得意とする音楽ジャンルは何といってもディープ・ハウスだが、テクノ、プログレッシヴ・ハウスといったジャンルにおいても、常にツボをついた個性的なパーティーが揃い、どんなジャンルの音も最高に聴かせてくれるサウンド・システムは多くのクラウドを魅了してやまない。また、フロアと DJ ブースの距離が近い設計は、「パーティー感覚を大事にしている」と、パフォーマーからも高く評価され、Frankie Knuckles や Derrick May、Francois K、Hernan Cattaneo をはじめとする海外の大物 DJ もイエローをフェーバリット・クラブのひとつとして挙げている。また、古き良きクラブ時代を思わせる、尖ったクラウドやパーティー・ピープルが集まるフレンドリーな雰囲気も、「これぞナイト・クラブ」といった唯一無二のイエローらしい空間だった。オープニングレセプションにはニューヨークから「パラダイス・ガラージ」でラリー・レヴァンをサポートしていたビクター・ロサドを招聘するあたり、その力の入れようがわかる。また、「EDEN IN THE SKY」というアンビエント・ハウスのパーティーでは、アンビエント・ハウスをバックに、真言宗豊山派の僧侶20数名の声明のライブ・ステージが行われたり、なかなかカルチャーしていた。
ちなみに、2008年6月21日(土)に行われた「Space Lab YELLOW」のクロージングパーティーは31時間を超え、音が止まったのは6月23日(月)の早朝。音が止まるまで多くのオーディエンスが残り、名店の閉店を惜しんだそうで、それは、あの「パラダイス・ガラージ」のクロージングパーティーを思い起こさせる。

日本のクラブというと、フロアの煌びやかな雰囲気や、それぞれの時代の、お洒落なファッションを身に纏った人たちが創りだしていた少々、スノッブな雰囲気が好きな人々が集まり、お酒を飲んで盛り上がり、男も女もナンパしてその後のセックスがゴールとなるナイトカルチャーの代表選手であるが、私はそういったメインフレームには一切背を向けてきた。真っ暗闇の空間でお洒落する意味は?ひたすら汗まみれになり、時として頭から水を浴びながら踊り狂うのにドレスアップする必要は?ちなみに、NYのパラダイス・ガラージも、シカゴのウェアハウスもリカーライセンスがなかったので、酒類の提供はなかった。目的は音楽とライティングで踊ってトランス状態に入ることである。私が求めてきたものはあくまでオルタナティヴであり、メインフレームからは決してパラダイムシフトやイノベーション、革命は起こらないというのが私の信条である。
最後に、最近のクラブでパリピの間で流行っているEDMについて言及しておきたい。EDMとは、広義の意味では、エレクトロニック・ダンス・ミュージックの略であり、シンセサイザーやシーケンサーを用い、主にクラブないしは音楽を中心に据えるエンターテインメントの場において、その場の人々を踊らせるという目的の元作られたダンスミュージックのことである。曲はデスクトップミュージック (DTM) として制作されることが多い。またDJによって再生されるために制作する事が多いため、音楽家は作曲・プロデュース業だけではなくDJ業も兼ねていることが多い。ただし、ここで言及したいのは狭義的な解釈のEDMである。DJカルチャー以降の音楽的伝統を持たない、ポップなエレクトロニック・ダンス・ミュージックを指し、その成り立ち故に、従来のテクノやハウスミュージックのミュージシャンやファンから区別され、批判されることもある。確かに、EDMと呼ばれる音楽を聴いてみると、ハウスミュージックが持っているエロティシズムの片鱗もうかがえない。また、毎年、ラスベガスで開催される世界最大級のダンスミュージック・フェスティバル「エレクトリック・デイジー・カーニバル(EDC)」に代表されるように、ダンス・パーティーが儲かることに気付いたラスベガスの金持ちが、金儲けのために仕掛けた音楽ムーヴメントであり、ラスベガスで開催されるEDCには、3日間に40万人以上の来場者を動員し、そのチケット料金は日本円で8000円らしい。8000円×40万人。どれだけ儲かるか明らかである。こういった点が、私がEDMが大嫌いな理由である。LGBTQコミュニティを育み、パラダイス・ガラージのモデルとなり、ニューヨークのクラブカルチャーの発展に貢献した伝説のパーティー、The Loftを主催したDJのデヴィッド・マンキューソが、映画「Maestro」の中で語っていた忘れられない言葉がある。
「金のあるやつが来れて、金のないやつが来れないパーティーにはしたくない。金のないやつにはつけにしてやった」





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