あの日みた未来は今ー表現し「想い」でつながるんだ。「ロッキング・オンの時代」
橘川幸夫さんといえば、「ロッキング・オン」の創刊者の一人として名前を聞いたことがある人もいるかもしれない。
それよりも、伝説の投稿雑誌「ポンプ」の創刊者としてだろうか。
「ポンプ」は、デビュー前の岡崎京子、尾崎豊、大学生だったデーモン小暮が投稿したというSNSの先駆けのような雑誌だった。1978年にこれを作った。
先見の明、と言っても早すぎる。
全て投稿。住所も名前も知らせることができ、読者同士がコミュニケーションが取れるようになっていた。
送られてきたものに、編集者は全て目を通したという。
橘川さんは、異端の人だ。
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先日、橘川さんの著書「ロッキング・オンの時代」に驚いた。私はすでにいくつか彼の作品を読んでいたけれど、この本ほどプライベートなものはなかったと思う。
同時に、なぜ、彼が「ポンプ」のような特殊なものを作ったか、ということが分かった気がした。
「ポンプ」は、ただの思いつきではない。
橘川さんの思想であり表現だった。
世界がそうあるべきだ、という実践であり呼びかけだった。
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今となっては巨大な株式会社だけれど、「ロッキング・オン」は、たった4人の素人の若者で始めたという。
当時19歳の渋谷陽一は、自分たちで新しいものを作るのだ、という熱意だけでメンバーを集めた。爆音の響く「ソウルイート」で初めて渋谷と会った21歳の橘川さんは、「自宅では聞くことのできない音量で」きかせる「空間こそがロックそのものだと思った」という。
自分たちで原稿を書き、電車で移動してロック喫茶や書店に頼み込んで置いてもらった。何年も、作業代すら出せない中で信じるままに動き続ける。橘川さんは、経費を浮かせるために写植まで学ぶ。
「ロッキング・オンの時代」は、素人の若者が、編集も販売も広告も全てまかなった雑誌が、その後、業界の大きな力になっていく奇跡の話でもある。
だけど、それは、この本の片面でしかない。
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この本は、繊細な文学青年である著者が、自分を知り世界とつながるまでの個人ストーリーでもある。
外との摩擦の中で感じるヒリヒリとした違和感。「自分であること」をつかまえようともがくこと。失うこと、出会うこと。
地に足をつけ迷い、時に傷つきながら、歩き方を学ぶ。大人になること。
心の柔らかな青年が、人と「ともに」生きた。机の上での学びでなく、働きながら出会いとつながりの中で実感してきたこと。
投稿者同士がネットワークを作るという発想は、頭の中の勝手なアイデアから生まれたのではない。
実は、「ロッキング・オン」自体が、素人の「想い」が作り、投稿から成り立ったものだ。
「想い」が、人をつなげることを、彼は知っていた。
彼の提唱する「参加型社会」は、世界と、私たちという一人一人のあり方のこと。
人と人とが、思想によって対立しないこと。分断されるのではなく、個と個は、別のものでありながらもつながることができること。
違いも認められること。上下のないこと。表現を通して、互いに豊かになれること。
優しい文学青年だったからこそ、なのだと思う。ビジネスの成功よりも画期的なアイデアよりも、人がその人らしさのまま生きることができる未来を、真剣に考えていた。
ただ、もしかしたら、新し過ぎたかもしれない。だって、それは今、SNSを使い始めた私たちがようやく見始めた夢ではないか。
橘川さんは、40年前に、全て投稿による雑誌「ポンプ」を作った。
そして、今、私たちは、noteを使う。
ここは、あの日に見た「未来」の可能性。
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2021年の自室にいるのに、「ロッキング・オンの時代」を読む私の心は、若い頃の橘川さんとともにあるかのようだ。
私たちは、もちろん1970年代にはいない。だけど、今、混乱の最中だ。
橘川さんは、これを「コロナ渦」とよぶ。(だからといってもちろん、このパンデミックで起こされる痛みを軽視しているわけではない。生活が変わったということだ)
「渦」(うず)
パンデミックによって、私たちは、家にこもらざるを得なくなった。「自分にとって大事なもの」は何かという問題に直面した。社会の権威や流行よりも、本当に意味のあるものが何かを考えるようになった。
自分の「本当」とつながりたいと願うようになった。
表現と、真剣に向き合うようになった。
今、私たちがいる場所は、痛みを伴いながら、古いものが壊れ、新しいものが出てくる、少し手前なのだと橘川さんは言う。(「参加型社会宣言」)
だから、手を伸ばそう。
想いで、つながるんだ。
<終わり>
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橘川さんが「うわ、こんなに早く現れたか」と、即決。「ジミー」の出版が決まりました↓
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