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子ども集団には「適切にふざける」大人が必要なのです。

地元の子育て団体で一緒に活動している仲間の中に、子どもたちとの関係性作りや、子ども集団の雰囲気づくりがとても上手な男子高校生がいる。

何年も子育て活動をしているにも関わらず、子どもたちとの関係性作りに今でもやや苦手意識のある私は、そんな彼のことをすごいと思っていた。

我々の活動では、子どもたちの自由な発言を促したり、自然の中で心と体を解放させたりしながら集団活動を作っている。

子どもたちにとってそれが可能になるのは、「心理的安全性」が担保されることが大いに影響しているからだと思う。

そう思って私は、自分は彼らのことを何でも受け止めるつもりで、「自由にしていいよ」と言うように心がけたり、子どもたちの発言や行動を否定せず、どんどん肯定してけるように心がけている。

しかし、そのように努めている割には、子どもたちがあまり乗ってこないような気もしていたのだ。

一方で、冒頭に紹介した彼はそういうことを考えながらやっているようには見えないのに、子どもたちとの活動をどんどん盛り上げていけるのである。

だから私は、なぜ彼はそのように子どもたちとの関係性をうまく作っていけるのだろうか、と不思議に思っていた。

そういう思いを抱きながら彼のことを観察していて、また、色々なところでの情報を見聞きして、あるときその理由に思い至った。

それは何かというと、「適切にふざけること」である。

私が子どもたちとの活動の中で、彼らの自由さをあまり感じることができていなかったのは、おそらく、自分自身がちゃんとしすぎていたからだ。

「自由にしていいよ」と言われたとしても、そう言ったやつが「ちゃんと」していたら、子どもたちはどれくらいまで自由にしていいのか、結局はわからずじまいになるだろう。

一方で、その高校生の彼は、子どもたちとの活動中も、積極的に(私から見て)「適切に」ふざけているように思えたのである。

だから子どもたちも、「これぐらい自由にしていいんだ」というのがわかって、より気楽に自由にできたのではないか。

子どもたちの自由な発言や行動を促すためには、私が苦手な、「適切にふざける」ということを実践していかなければならないのだろうな、と思った。

ちょっと応援したいな、と思ってくださったそこのあなた。その気持ちを私に届けてくれませんか。応援メッセージを、コメントかサポートにぜひよろしくお願いします。 これからも、より精神的に豊かで幸福感のある社会の一助になれるように挑戦していきます。