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人の想像通りに生きるだけではつまらないのです。

昨日の記事で書いた食事の帰り道、友人の1人と電車で一緒になって、こう言われた。

「お前は、俺が昔に思っていた『この人はこうなるんだろうな』をそのまま実現しているように見えてすごいよ」

彼は私と幼稚園から高校までずっと同じ学校に通っていた幼馴染で、各学校の中では常に成績が良かった私のことを知っているからこそ、褒め言葉としてそう言ってくれたのだと思う。

これについて私は、ありがたいことだなぁと思った一方で、今の自分の姿は彼の想像の範疇に入っていた、という事実を突きつけられたような気もした。

周りの人の想像通りの人生を生きている、期待通りの仕事をしているということの意味は一体何か。

私の頭の中には常に、「人の期待に応えなければならない」という言葉が鳴り響いている。

これは、実際には誰に言われたわけでもなく、幼いころの生育環境から自分が生み出してしまった幻聴であることは既にわかっている。本当は別に人の期待に必ずしも応えなくたって、生きてはいけるのだけど、自分特有の生存本能というか、防衛意識としてそうなっているのだ。

冒頭の彼の発言を聞いて、やっぱり私は、ある意味で「人の期待に応える」ことによって自分を生かしてきたのだろうと改めて思った。本当に自分にはできないとか、やりたくないことについてはうまくバランスを取りつつも、およそのことについては人の期待に応えることが至上命題で、それ以外のことについては基本的に脱力していたような気がする。

しかし、本当に大事なのは、人の期待を上回る何かをすることではないか、とも思う。人の期待通りのことをやることは最低限としても、期待されている以上のことをやらなければ、自分という人間の価値は増していかないように思う。

だから、もし今の自分が彼の想像の範疇にいて、これまで関わった人々の期待に応えるような形で生きているように見られているなら、それでは不十分だと思う。期待されている以上のことをやらなければいけない。

しかも、それによって自分が納得するためには、そういう仕事や生き方を自分自身の手で作り出さなければならない。

言われてみれば当たり前だ。本当に自分だけの生き方を見出すつもりがあるならば、何か既存の仕事や役割に身を収めるのではなく、自分の納得いく形で周りの人々に貢献し、それが彼らの期待を上回る何かでなければならないのだと思う。

人の想像通りに生きるのなんて、つまらないのではないだろうか?

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