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一大事業は仕事の意義を生み出すのです。

昨日、今後仕事で関わるとある施設の視察に行ってきた。そこはこれからあと数年かけての実現が予定されている、とんでもない規模の土木・建設工事をやっている真っ最中の場所だった。

今回は中には入れず、外から眺めただけだったが、その大きさには度肝を抜かれた。

新幹線停車駅からはかなり離れているため周辺はかなりの田舎だと思われる(失礼)が、工事現場の中には多くの建設作業員の方々がいて、それぞれに作業を行っていた。

中にいる人たち、これに関係する人たちは、この施設が完成するまではきっと楽しい期待を持ちながら仕事ができるだろうなぁなどと想像しながら、工事の様子を外から眺めていた。

とはいえ、これを完成させることにどれだけ大きな意味があるのだろうか。

この施設に関しては、意味が無いことはないだろう。きちんとした社会的な大きな目的があって、それを実現するためにこの工事が行われていて、中にいる人たちはそのために汗を流しているはずだ。

こうした一大事業は社会的な目的のためにあると同時に、ある意味では多くの人たちに「仕事をする意義」を与えるためにあると考えることもできるかもしれない。

だれかがこの事業を「やろう」と言い出したわけだが、その言い出しっぺがいたからこそ、これだけの大人数(何千人だろうか)が仕事をする意義を得られているのだ(いや、やらされているだけだ、という反論もあり得るかもしれないが)。

私としては、そういう社会の構図がなんだかおもしろいと思っている(Funnyではなく、Interestingの意味)。

なぜかはよくわからない。でも、そうやってみんな生きているんだなぁという、少し感傷的な気分になって、施設を後にした。

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