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映画『ゴーストワールド』 自意識痛い系思春期映画(はぁと)(ネタバレ感想文 )

監督:テリー・ツワイゴフ/2001年 米(リバイバル日本公開2023年11月23日)

どういうわけだか22年ぶりの(たぶんデジタルリマスター)上映。
おかげで、公開時以来22年ぶりに鑑賞しました。
好きな映画です。星4だけど。星5を付けるほど完璧な映画ではない。
でも、ものすごく思い入れのある映画です。

好きなんですよ、この手の映画。
『レディ・バード』(2017年)とか。

青春映画というと「汗と涙!」的なイメージなので、私は「痛い系ティーン女子映画」あるいは「自意識痛い系思春期映画」と呼んでますがね。
私の中でその基準であり最高峰が、この映画。

当時、なんでこの映画を観る気になったのかな?
ソーラ・バーチは『アメリカン・ビューティー』(1999年)で脚光を浴びていましたが、私はサム・メンデスの薄っぺらさが嫌いで観てなかったし(後からソーラ・バーチ目当てで観た)。そう考えると、ソーラ・バーチ好きだったな。彼女主演の『穴』(2001年)なんて駄作も観てるし。
スカーレット・ヨハンソンに至っては当時無名だったしね。

当時ヨハンソン15歳、バーチ17歳ですって

ああ、そうか、『ファーゴ』(1996年)でお馴染みスティーブ・ブシェ~ミ目当てだったかも。

さらに余談は続きますが(余談だらけじゃ)、『8 1/2』(1961年)と『ナインハーフ』(86年)を間違えるネタってのを、私は映画で2度見た記憶があるんです。
見た記憶はあるんですが、それがどの映画だか忘れていました。
その一本がこれだったんですね。もう一本は何だったろう?

とにかくこの映画を、当時30歳過ぎのオッサンだった私は「痛い女子」の気持ちになって観ていました。
「自分で自分が分からない」「ここではないどこかへ行きたい」
そんな思春期のやり場のない焦燥感。
50歳過ぎた今でも思うもん(<思うなよ)。

まあ、当時は一般化されてなかった「腐女子」(もはや死語?)の物語で、私の腐女子仲間(<腐女子仲間ってなんだよ?)には当時不評でしたね、この映画。たぶん、自分を投影しすぎて、痛すぎたんだと思うんです。
特に最後のバスのクダリの解釈が大きく分かれて、私は「ここではないどこか」へ向かう「希望」と捉えたのですが、彼女たちは爺さんのエピソードと絡んで「死」のイメージを持ったようなんです。

いま観ると、最後のバスのクダリは、イーニド(バーチ)の主観に戻ることなく、引きので、第三者視点で描写されたままの不思議なショットなんですよね。どういう意図の演出だったんだろうな?

それに、腐女子仲間って言いましたけど、俺、腐女子じゃないもん(<当たり前だ)。
そういった意味では、「痛い女子の気持ちになって観た」と書きましたが、どこかで客観視してるんですよ。
共感できるけど自分事じゃない。
周囲に毒づき「ここではないどこか」に憧れつつも、世間に馴染んでいこうとするレベッカ(ヨハンソン)側の人間だったんですよ、私は。
だって30歳過ぎのオッサンだったからね。

あれから22年。
50歳代半ばになったオッサン、もとい、ナイスミドルになった私が再鑑賞したら、自分の立ち位置はスティーブ・ブシェ~ミでした。
趣味の世界に引きこもり、世間との関わりを断って、ビッグマックとナイキで満足する大衆を鼻で笑う。
仙人のように暮らしたいね。
ソーラ・バーチみたいなムチムチした若い娘が言い寄ってこないかな(<仙人どころか全然煩悩まみれ)。

余談
終盤、黒人のクダリが出てきますが、映画序盤でイーニドは「ユダヤ人」いじりされるんです。
この辺のアメリカらしさ、特に2000年前後のアメリカの片田舎辺りの感覚って、やっぱり皮膚感覚では分からないんですよね。残念。

(2023.12.03 Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下にて再鑑賞 ★★★★☆)

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