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映画『プリシラ』 ソフィア作品に特殊な人は出てこない(ネタバレ感想文 )

監督:ソフィア・コッポラ/2023年 米=仏(日本公開2024年4月12日)

「セレブ女子の孤独」を描いたら世界で一番巧いソフィア・コッポラ。
彼女の映画で貧乏臭い話を見たことない。
もっとも、世の中に「セレブ女子の孤独」が刺さる層はあんまりいないと思うんですけどね。
なぜか私は刺さるんですよ。庶民の中年男性ですけどね。ソフィア大好き。

今回初めて気付いたんですが、ソフィアの映画って、登場人物が意外と「普通」なんです。
エルビス・プレスリーという「特殊な人」を登場させながら、人間としては「特殊な人」扱いをしていない。
実は変な人とか、悪い人とか、変態とか、脚フェチとか(<ブニュエルか)そういうの全然ないんです。
これは、今までの映画でも同じ。
彼女が描くのはセレブですが、精神的に特殊な話ではない。人間的には、いたって普通の人々だと思うのです。

特にこの映画は、人間の「悪意」が存在しない。
エルビスはキレることはあるけど、悪人としては描かれない。
本当は「大佐」なる人物が悪徳プロデューサーとして名高いらしいけど、そこは強調しない。
プリシラは、陰口は囁かれるし友達もいないけど、誰かに「悪意」をぶつけられることはない。基本的に、彼女の周囲に嫌な奴は出てこない。

私は、『ロスト・イン・トランスレーション』(2003年)を「自然体の映画」と評しましたが、

実はプリシラも、ずっと「自然体」でいるような気がします。
セレブの世界に馴染もうとか、合わせようとか、そういった努力や苦悩は描かれません。孤独ではあるけど。
「髪を染めろ」「柄物は着るな」と言われますが、プリシラの彼女らしさを損なうような強要はされない。彼女はずっと彼女のままのような気がします。
もしかすると、ソフィアが描きたかったのは、女子の「自分らしさ」だったのかもしれません。

映画冒頭、タイトルバックで描かれるのは、マニキュア、口紅、つけまつ毛・・・。これは「女子の物語」宣言です。
「あなた達と変わらない普通の女の子の話ですよ」ということなのかもしれません。そう考えると、観客の女子に向けて「自分らしくあれ!」と言っているようにも思えます。

そしてこの映画は、プリシラ自ら車を運転して去っていきます。
「人生のハンドルは自分で握れ!」「おまえのオールを任せるな!(<それは中島みゆき『宙船』)」というわけです。

(2024.04.21 恵比寿ガーデンシネマにて鑑賞 ★★★★☆)

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