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映画『乱』 ピラミッドや万里の長城と並ぶ世界遺産的映画(ネタバレ感想文 )

監督:黒澤明/1985年 日

ピラミッドとか万里の長城とか、「どうやってこんなもの作ったんだ!?」と思うような世界遺産があるじゃないですか。
この映画も同じ。CGの無い時代にどうやってこんなの撮ったんだ!?
こんなの、いくら制作費があっても足りないよ。
世界遺産級映画。世界は無理でも、日本国内では文化遺産として重要文化財に指定するべき。
テレビ画面やスマホ画面で見るような映像じゃない。
でっかいスクリーン、できればIMAXとかで上映すべき作品。

4Kデジタル修復版を劇場鑑賞しました。恥ずかしながら初鑑賞。
黒澤75歳の頃の作品なんですよね。実は晩年の黒澤作品はあまり観てないんです。

私は、黒澤明の作家性……というかリアリズムって、「自己投影」だと思っているんです。

『醉いどれ天使』(1948年)から『赤ひげ』(65年)までほとんどすべての作品に(おそらく『生きる』(52年)以外に)、黒澤より10歳下の三船敏郎が出ていると思うんですが、三船の役って(おそらく『生きものの記録』(55年)以外)年齢相応の役柄だと思います。
つまり、ほとんどの黒澤作品の主人公(あるいは語り部)は、黒澤自身の年齢と比例しているのです。
三船が出演していない『生きる』(52年)は黒澤42歳の時の作品で、志村喬演じる初老の男を主人公にしていますが、クライマックスは、残された者(=つまり黒澤と同世代人)によって故人を回想する形式なのです。

少し余計なことを言うと、黒澤明83歳で撮った『まあだだよ』(93年)は、まあだ死なない老作家・内田百閒を主人公としていました。結果、これが黒澤の遺作となるわけですが、次作として脚本を執筆していたのが後に熊井啓が監督する『海は見ていた』(2002年)という若い男女の恋物語なのです。
つまり、自分の年齢から離れた物語、自己投影できない物語を作ろうとした時に、黒澤は死期を迎えたのです。

そしてこの『乱』。
75歳の黒澤が70歳の猛将を主人公に撮った作品です。
私がこの映画を含む晩年の黒澤作品をあまり観ていない理由は、その年齢の感覚が分からなかったからなんです。

いや、いまでも、まだ皮膚感覚では理解できません。
でも、いまなら、黒澤の気持ちがわかる気がします。
この映画で仲代達矢演じる一文字秀虎は、黒澤明の自己投影なのです。
いや、結果として自己投影になってしまったと言うべきか。

映画界で天下を獲った黒澤でしたが、この映画を撮る頃には、もはや大手映画会社は出資してくれない。
結果、独立系プロデューサー・ヘラルド・エースの原正人とブニュエル映画なんかをプロデュースしていたフランスの独立系プロデューサーだけが頼りだった。
それでも自分の信念を貫いた結果、約26億円の制作費に対し、配給収入は約16億円。もう「悲劇」でしかない。

撮影の凄さ以外に私がこの映画で感心したのは、話の転がし方と視点です。

この話、冒頭のジジイの「引退宣言」から後は、原田美枝子と根津甚八それぞれの「思惑」で転がっていきます。
実はそれ以上でもそれ以下でもない。実にシンプルで確実な話。
何と言ったらいいのかな?
不確定要素の多い「運命の悪戯」ではないんですよ。必然としての「破滅」。

視点は、小説で言えば三人称、映画的に言えば「神の視点」です。
おそらく黒澤は「神の視点」で描くことを充分意識した上で、「仏」の視点を持ち込もうとしているように思います。厳密には「菩薩」ですね。
もしかすると「人間はいつまでたっても悟りを開けないね」という物語なのかもしれません。

そう考えると、この映画を撮った黒澤明は、75歳でもまだまだ「執着」があったように思います。
私は若い頃、晩年の黒澤映画は「枯れた」印象を持っていましたが、間違いだったな。

(2023.01.02 Morc阿佐ヶ谷にて鑑賞 ★★★★☆)

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