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俺の人生で一番カッコいい親父が死んだ話

長いです。思い立って一気に書き込みます。


中学生の頃、親父が死んだ。それも修学旅行の1週間ぐらい前に。
親父は元々内臓が弱かったみたいで。まあそれを受け継いでいる俺も、すぐお腹痛くなってトイレが親友なんだけど。でも、親父は俺と姉には一切そんな弱さを見せなくてずっと強がって、男らしい父であろうとしたんだよな。

俺はいわゆる親父っ子で。デザイナーという仕事も小学生だった当時の俺には分からず、平日は夜遅くまで帰ってこなくて、夜中に髭を擦り付けられて叩き起こされる毎日。で、朝起きた時にはもう出勤してた。でも土日や休みの日は毎日遊んでくれた。野球やサッカーをして、経験者だったからかそのスポーツやらせたかったみたいだったけど、結局俺はバスケを始めた。親父が少ししょんぼりしてたの覚えてる。(素人だったからカッコがつかないと思ったのかな)

バスケに明け暮れていても、休みが重なれば必ず金曜の夜中に出かけて、目が覚めたらキャンプ場にいることがほとんど。まあ拉致されてたわけだ。

とにかくキャンプと釣りが好きで、隙あらば行ってたけど絶対に1人では行かない。同僚や上司との飲み会にも滅多に行かず、たまに帰れる日は真っ先に帰ってきたっけ。で、小学生だった俺ら姉弟の前で母さんといちゃつくんだよ。台所で。だからいつも母さんに怒られてて、今思えば尻に敷かれてた完全に。

でもとにかく曲がったことが大嫌いで、子供には厳しかった。俺が歯磨きしたって親父に嘘ついて、外につまみ出されたのはいい思い出。
とにかく姉貴には別の意味で厳しかったっけ。まあ女の子だからね。姉貴が高校時代、夜公園で同級生に告白されてる最中に、帰りが遅いからと携帯に「いくら(母方の祖母が北海道からよく送ってきた)なくなっちゃうよ?」と鬼メール&電話してたらしいし、
思春期の姉貴の携帯勝手に見て「お父さんのう●こ!流れちゃえ」って言われて死ぬほど落ち込んでたよ笑
俺が携帯を持つ前にあっけなく逝っちまったんだけど。

そんな親父が、自営業始めて、俺の部屋を仕事場にしてずっと仕事してた。別に嫌じゃなかったけど、友達が親父のPCさわって、他人の子なのにめちゃくちゃブチギレてたことから、友達に恐れられてた。でもその後ちゃんと飯連れてってくれるんだけどね、それが余計恐怖を煽るの知らなかったんだろう。

で、俺が中2の3学期のころ、昼飯に蕎麦食べに行くってなって、先に準備終えて待ってたら、突然目の前で親父が腹を押さえて悶絶して。なんのことだか分からなくて、救急車すら呼べなくて…
自分で病院行って、その時は腸閉塞って言われてた。
昔盲腸で腹切ったこともあって、切開した人には後遺症でよくあることだって、医者が言ってたから気にしてなかったんだけど、その時腸閉塞の手術があるからって入院してさ。周りが軽そうな言葉で言ってたから気にしてなかったんだけど、妙に入院長いなって思った。

それから4ヶ月くらいして(この間入退院繰り返してた)、中3の4月に姉貴に呼び出されて。
「言わないでおこうってお母さんと話してたんだけど、お父さん、もうダメみたい」って。
真っ白になった。ダメってなに?腸閉塞でしょ?みんなニコニコしてたじゃん、お見舞い行った時も元気だったじゃん。て。
「腸閉塞の手術(4ヶ月前)した時、剥がして行ったら奥底に癌があったんだって。レベル4。余命にしたら1ヶ月って言われてたみたい」

「テレビで見たことあるけど、それすぐ死ぬやつじゃん。なんで言わなかったんだよ!!!」って怒って泣いて落ち込んで。何にも返せてないし。わがまましか言ってきてない。母さんと姉貴に心底ムカついた。全てはお父さん子だった俺を悲しませたくない配慮だったんだけど。

その話を聞いた翌日、学校で高校受験の面接練習で待ってた時に、学年主任に呼び出された。「お父さんの容体が急変したとお母さんから連絡がありました。お母さんが迎えに来るから急いで行きなさい」って。母さんはタクシーの中ですごい取り乱してた。ハンカチも手放せずに前だけ見てずっと泣いてた。着いてモタついてる運転手に「お釣りなんか入りません」て言って飛び出して、病室に向かったらボロボロの親父がそこにいた。なんとか助かったって。母さんと俺の顔見てボロボロに泣いて、呼吸器の中「…‥死にたくねえよ」てつぶやいた。

で、その一ヶ月後、また急変。もう言葉も通じなくて、手の施しようもなくて、医者からは看ていてくださいって。「あーあー」って言うだけの親父。凛々しくて、外ではカッコつけて、授業参観ではチビのくせに893みたいな格好で威圧して、でも家では子供の前で母さんといちゃつく、そんな格好いい親父が、今はもうガリガリにやせ細って、あーしか言えない。なんだよこれ。

親父の友達や親戚もみんな駆けつけてくれた。人望あったんだね、すげえよ。死にゆく中でずっとあーあー言ってたんだけど、その音で俺と姉貴の名前をずっと連呼してたことをわかって、そのまま逝った。

死んだ後もずっと口が塞がらなくて、糊付けされてた。半年ぶりに自宅に帰ってきた親父はなんだか嬉しそうに見えたよ。もちろん修学旅行なんて行くわけにもいかず、初七日を終え、翌日に通夜。三日目の告別式には多くの人が参列してくれて、俺のクラスの生徒や仲良かった子たちはみんな修学旅行終わりのその足で、来てくれた。親父を知ってる友達が泣いてるの見て、初めて実感。悔しさとやるせなさと悲しさと嬉しさで、通夜でも泣かなかったのに初めて泣いた。

納骨の時も骨がスッカスカでさ。中が空洞になってたよ。

俺は姉貴が味わった高校も大学も、親父がいない状況で過ごさなきゃならないのかって、落ち込んだけど、周りが本当に優しくて、逆に強がってた。全部笑話にして、母さんが元気ないのもわかってたから無理に明るくして。1人で泣いてた。それも15年以上も前の話だけど。

今度、婚期の遅れた姉貴が結婚するっていうから思い出して書いてみた。今親父が生きてたら俺は確実に勘当されてもおかしくないレベルで最低だからなんも言えんけど、姉貴は違う。ずっとダメな俺や、強くて弱い母さんを支えてきた人だから、親父も喜んでるんだと思う。

俺は親父と酒飲みたかったけど叶わなかった。家系的にも男が弱い代々母子家庭だし、俺も早死にするだろうけど、子供と酒飲めるくらいまで生きていられたらいいな。

私的な話でもっとたくさん書けることはあるけれど、自己満はこの辺で。

みなさんも今そばにいる人が明日にはいなくなるかもしれない、いなくなってからは遅いってことをわかって欲しい。イメージ湧かないのも伝わらないのもわかる。俺もそうだったし。人生なんて、「あの時こうしてればよかった」の繰り返しだから。だから、恩着せがましいことは言いません。ただ、言わなくてもいいから心の中で愛して、ありがとうと思ってくれればそれで。きっと伝わるので。

長い駄文でした。


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