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「苔むさズ」#02

港がよく見える、真新しいビルの8Fで働く様になって1週間が経った。最寄駅からすぐ目の前に見えるのに、駅の周辺の道路工事のせいで回り道して行かねばならず、その10分程の徒歩の間に同じ編集部で働く顔見知りになったばかりのスタッフと気まずい空気で世間話をするのが苦痛だった。

デザイン部と言えば、初日に続々と到着した私以外の5名のデザイナーは男3名、女2名という構成で、皆20代。1番年上が27歳男性モトヒロさんだった。彼は早くて午後3時位にアクビをしながらジャンプを片手に登場した。そんなに遅く出社するのに、身支度の時間もないのか、無精髭を生やしヨレヨレのシャツで現れた。
彼は6名のうち最年長であり、凄腕デザイナーである事は間違いなさそうだったが、チームを仕切るアートディレクターは25歳のサヤさんだった。彼女を中心に全てのデザインの仕事が回っている事が1週間の間に徐々に分かってきた。
私よりたった2歳年上のサヤさんは、短大卒の後すぐに働き出したので、この時すでに5年目社員だった。
「〇田ちゃんはさー、なんて呼ばれてるの?友達とかに?」とサヤさんが聞くので、
「エリコとかなので、適当にエリコでいいですよ」と答えた。
「なんかさー、エリコってなんか不思議ちゃん系だよねぇ。」
雑用係しかやっておらず鈍臭いせいか、その挙動不審さからか、恐らくサヤさんは「不思議ちゃん」という定義で遠回しにおバカさんな私をなんらかのかたちでチーム内の位置付けをせねばならなかった。

「はい、いいよーみせてごらーん」というサヤさんの声がよく聞こえた。
他のデザイナーメンバーが各々ある段階までできるとサヤさんに、こんなデザインで良いかと確認をするのである。
雑用係の私にとっては、そんな風にデザインの確認をしてもらっているデザイナーメンバー全員が羨ましく素敵にみえた。

一方、不思議ちゃんである雑用係の私は、来る日も来る日も、編集部から届く大量のポジを、指紋などで汚れない様にピンセットで挟みながら、小型サイズのスキャナーにギッシリ並べてスキャンを取り、ポジと撮った画像に共通の番号を付けて管理する作業が続いた。
私以外の全員はMacに向かって何やら雑誌のレイアウトをしているのである。
様子を見ていると、仕事の合間に、各々自分の好きな別の雑誌をたまに眺めたり、デザイン書を読んだり、タイポグラフィについて熱く語ったりしていた。

「大学出てもさぁー、あんまり変わんなくない?(笑)」モトヒロさんとよくつるんでいる私の目の前のデスクのタケシさんが、ニヤニヤしながらタバコの煙と一緒に毒のある一言を吐き出した。
それもそうだ、大学を出ているのはこの6人の中で私だけであり、その私が毎日スキャナーにポジを乗せてウィーン、ウィーン、と同じ音を立てながらひたすら単純作業をしているのだからそう思われても無理もない。タケシさんとその他全員が短大か専門学校を卒業して活躍しているのがまぎれもない事実で私に突きつけられた現実だった。
ただ、私はその現実を不思議に穏やかに受け止めていた。その様な現実より、真新しいMacや、スキャナーや、そこから発せられる電子音やみんなが叩くキーボードとクリックするマウスのカチカチ言う音。
雑用をしながらこのBGMを聞き、きっと3ヶ月後には私だってMacを覚えてデザインしてやるぞ。と、固く志し、心踊らせワクワクしている気持ちが上回り、本来なら悲しく嘆く様な場面だったにもかかわらず、とにかく楽観的だった。

夜になると港の見える大きな窓には、大観覧車の何色ものネオンが反射して、規則的なリズムで窓の枠をカラフルに照らし始めた。

私は充分に幸せだった。

[続く]

#エッセイ #小説 #デザイン #デザイナー #20代の苦悩


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