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東京へ 文学フリマ前日の記

東京へと向かう高速バスの中である。窓を通して射す日の暖かさでうっとりとしている。横光利一の「火」は、キビキビしていてしみじみする。次々と通り過ぎてゆく山は青々として気分が好い。

『文藝誌灯台』は、谷垣君が小此木君に声を掛け、小此木君が私を誘ったことで今の形になった。谷垣君と小此木君は旧知の仲であるが、私は小此木君とはそれ迄顔見知り程度であって、谷垣君のことはもちろん知らなかった。
小説についても、私は今度、たまたま書き溜めがあっただけで、書く習慣はなかった。お蔭で今、手習いから始めなければならない有様で、苦労している。
要するに、私は、参加の順序からしても、書き手としての経歴からしても、僭越ながら殿の務めを負っているものと独り決めに決めている。
ところが、二人は今、各々の自宅に籠もっている。二人共身辺に不測の事態があって、来られぬ仕儀となったというのである。そうして、殿だけが好い気になって進軍しているわけである。むろん、そうなっては最早殿などとは呼べぬ。殿だったはずの、また殿に戻るはずの何者かとして豪気に振る舞わねばならぬ。
谷垣君、小此木君よ、まあ取敢えずは吾輩に任せ給え。任せる外ないのだからやや気の毒であるが、悪いようにはしない。
さて、二人の不測の事態とやらを暴露しておいてやろう。これはささやかながら、私への信頼の担保のつもりである。決して、腹いせではない。

谷垣君は、金を貸していた友人に逃げられたのだという。それを聞いた時、私は曽根崎心中を読んだばかりだったので、思い出して感心した。昔も今も人は変わらぬものだ。彼のことである、これも小説の種になるに違いない。
ある男から、惚気話を聞かされて、その女の名に聞き覚えがあると思ったら、それは7年前自分の金を持ち逃げした女であった。その時は随分弱って人にも迷惑をかけたが、自分はどうしてもその女を憎み切れない。といって、男の惚気話を平気で聞けるわけもない。話すにつれて酔いもまわり、男はますます勢い付いてくる。勢い付くに連れて、自分はその女のことを思い出し、男の話などついに耳に入らなくなる。ところでその金を貸した事情というのは、結局のところ下心であった。自分はあてどもなく歩き回り、気付くとその女とよく会っていた店の前まで来ていたが、一歩、そしてもう一歩、渋い顔をして立ち去った。
こんなところで、どうだろう。

小此木君、彼は女の機嫌を損ねたのである。電話口で、いつも通り時々つっかえながら説明をしていたが、気付くとつっかえかたが平時より劇的であって、どうやら泣いているらしかった。
(この時、ふと窓外を見ると真っ平らな海の全面が陽光に照らされていた。これはこんな与太話どころでないと暫し眺め入る。反対側を見ても広い水面である。これは揖斐川が伊勢湾に流れ込む所であって、ここでは川だか湾だか区別がつかないため、面白い。間もなく観覧車やジェットコースターが見えたが、これはナガシマスパーランドである。何度か行ったことがあるが、こんな海沿いにあるのだとは知らなかった。最後に行ったのは当時の交際相手に誘われて、あまり気乗りしなかったことを覚えている。彼女はジェットコースターにしきりに乗りたがってはしゃいだが、そのジェットコースターは楽しくなかった。私にはどうすればいいか分からなかった。悪いことをしたと思っている。すぐにまた、レゴランドが目に入った。名古屋港より更に端の、埠頭の所にあるが、アクセスの悪いところに建てたものである。私は、名古屋港の近くの中華料理屋で、瓶に入ったラー油を不思議がって、店員に冷淡にあしらわれたことと、卵とトマトの炒め物が旨かったのを何故か覚えている。)
それで、彼はその間の事情を泣き泣き説明したのであった。この件で大いに懲りたとの由であったが、彼もこれを、何らかの形で創作に織り込むことは懲りずにするだろう。
自分は彼女を大いに愛しているつもりなのだが、彼女の方からは度々、愛のない人間だと罵られる。しかし彼女の言う愛は、自分には何か違うもののように思われる。しかし、その意見を擦り合わせる会議を開くのが無意味なのは分かりきっているし、憂さ晴らしに別の女と仲良くなるという度胸もない。いや、そもそも、彼女を愛しているのだからそんなことをするなど考えられない。いま、彼女の機嫌を直し、自分の愛を証明するためには、彼女の言う愛を演じなければならない。そうして暫くは良好な関係が続くが、最後には破局する。
今度の小此木君の話からは、大体こんなストーリーが想像できた。

何れにせよ、小説的想像力に乏しい私の考えた貧弱なストーリーよりも、もっと凝った、面白い話の小説を、今頃は二人共思い付いているに違いない。

では、また何処かで。

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