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だから本を手放した(続編)〜読めない私が無理に本を開いたら

本を読めない私が、本を読まないといけない場面に遭遇した。

「故人の半生が書かれた本を読む」という研修課題が突如として言い渡されたのだった。

▽ 読めなくなった理由は、以下の記事へ。

本が好きだったが、読むことを手放した。

本の核心、それが見えてしまう。
書き手の傷や痛みが見えて、シンクロしてしまう、だから読むことは怖いししんどい。

職場の研修の一環で、課題の本を読んで感じたことをディスカッションするらしい。
ディスカッションをするという土俵に乗るためには、読んでこなければ話にならないようだ。

私が本から身を引いていること、またその理由を職場の上司や同僚は知らない。

それなりに体力や神経を使う仕事をしているが、これほどまでに酷な案件はなかった。

しかも、故人の半生が書かれていると言うのは、余計に気が進まなかった。

結局、1ヶ月半前に言い渡された課題の本を、当日になるまで開けずにいた。

ディスカッション当日。
仕事だものやるしかない!と、割り切って、いつもより早く職場へ向かう。

1時間有れば読めると見て、無理に開いた本を、人目につかない部屋で読みはじめた。

100年前の故人の手記なるものであった。

ものすごいエネルギーで、周りの人を巻き込み、偉業を達成した事が記されていた。

彼はハンディキャップがあった。
目が見えなかったのだ。

彼は障害がある人にとっての1番の理解者となった。
障害を持った人が社会から妨げられ、活躍できない理不尽な現状も知っていた。

障害を持つ自分や仲間が仕事の幅を広げられるように、彼は自分を犠牲にして戦った。
そして、チャレンジした。目が見えなくてもできることを夜通し実践し、考えた。

企業に出向き、「こんなものは売り物にならない」と言われても、諦めずに勉強を重ね改良し、何度も企業を訪問したのだった。

手記には、以上のようなトライアンドエラーの経験が沢山書かれていた。

自分や家族を犠牲にしてでも守りたかったもの。

それは、仲間たちの心や未来の人々の心だったのだろう。

ハンディキャップがあるから、働けないのか。何もできないとレッテルを貼られたままなのか。
いや違う。社会がそうと決めつけているのだ。だから、どれだけ心ない言葉を浴びせられても、自分にできる精一杯のことをしようと、駆け回ったのだと思う。

このパッションは、どこから来るのだろうか。

読んでいくうちに、そんな疑問が生まれた。
また、この手記の核心は、ここにこそあると思った。

障害があると言うだけで、その人のことを見なかったことにする社会を変えたいという熱い思いに加え、
彼は「痛み」を知っていたのだと思う。

排除される痛み。
仲間たちの悲しみ苦しみを共に味わっていた。

人に寄り添わなければ見えてこないものを、彼は見ていたのだ。

彼の圧倒的なパワーの裏側には、相手の心に寄り添うという深い愛があってのことだと理解した。

以上のことを推察して、読み終わると泣いていた。

彼の痛みや苦しみ、そして前向きなパワーを感じたし、単純にかっこいいと思った。
しっかり絶望した人は、それを力にも変える事ができるのだと勇気を貰った。

ディスカッションでも意見を述べる際、言葉が詰まってしまったことは言うまでもない。
(実際は気持ちがいっぱいになって、心配されるほど泣いてしまった、、恥ずかしい)

手記には、当時の彼の気持ちについては一言も書いていなかった。ただ、どんなことをしたかいう事実だけが書いてあった。
少し考えすぎただろうか。

人より痛みを感じやすいため、本と距離を取るわたし。

今回の読書はとても疲れたが、故人と対話ができた良き時間だった。


ものすごい体力を使ったので、本を読むのは暫くお休みとしよう。
頑張った自分に拍手して、この文を締めたいと思う。

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